第六十四話 男たちの宴
次回は五月十五日に投稿する予定ですえどす。
アブドミラル・マッスル!それは割れた腹筋!
マッスル・オブ・チェスト!輝く分厚い胸筋!
マッスル・オブ・リッジ!壮烈なバンバンに膨れ上がった背筋!
マッスル・オブ・ダンディー!その姿は天球を抱えし伝説の巨神アトラスの如し!
マッスル神の化身マティスが今、ズボンを脱いでパンツ一丁の姿になっている。
(食われる…。この感覚はライオンを前にしたウサギのそれだろう…)
ドワーフ族のハイデルには以前から融合種はあらゆる面で眷属種に劣るという固定観念というものを持っていたが、いざマティスの筋肉の要塞を前にしては上位種族特有の単なる思い込みにすぎないということを思い知らされていた。
マティスはそのダンディズム溢れる横顔に微笑さえ浮かべながら生まれたままの姿になっているハイデルを持ち上げた。
そして、この時ばかりはマティスをよく知るセオドアでさえ「ストップ!」をかけるタイミングを考えていたほどである。
しかしここでもう一つ、先ほどから厩舎の中を覗いている小さな瞳もまた二人のおっさんのあられもない姿に見入っていた。
正体は先ほどテレジアに見事、水を飲ませることに成功したエリオットの次女コーデリアである。
好奇心旺盛なコーデリアは両親のもとを離れ、マティス町長の屋敷を探検しているうちに馬小屋に辿り着いてしまったのだ。
「じゃあね。次はハイデルさんの足を先っぽからゆっくりと入れてあげてね」
速人は口元に下卑た笑みを浮かべながら仔馬の身体を洗うための桶を指さす。
誤解を受けるような言い方をしているのは故意によるのである。
マティス町長は「よし来た!」と叫んだ後にどんな刃も通さないようなぶ厚い胸板をバンッと叩き、風呂の中に入れやすくする為にハイデルを腰から抱えた。
案の定、一部始終を見ていたマイケルたちは驚愕のあまり口が塞がらない。
ハイデルの息子カッツに至っては「これ以上は見ていられない」とばかりに両手で目を覆っていた。
「おいおい、お前らいい加減にしてくれよ。こんなやり方つうか、自分の息子の前で他人に風呂に入れてもらうなんて…。親の面目丸つぶれだぜ」
さっき速人が口うつしで飲ませた解熱剤が効いてきた為か、ハイデルの言葉にも活力が戻っている。
ハイデルは素面になるとくだけた口調になる性格だった。
「大丈夫ですよ、ハイデルさん。わたしもこういうのは”初めて”ですから!」
マティスは紳士的な微笑をハイデルに向ける。
(俺は今の今まで融合種たちは皆眷属種を憎んでいるものとばかり思っていた。医者としての責務以前に、衰弱した俺の世話をするなど不本意だろうに。今はただ他者を疑うことしか出来なくなってしまった自分自身が恥ずかしい…)
この時ハイデルの中でマティスへの誤解が氷解する。
ハイデルは赤面しながらマティスに向かって傅いた。
そして、マティスは速人に言われた通りにハイデルのつま先からゆっくりとお湯の中に入れる。
正しく美しい光景であるはずなのになぜか釈然としない。
いつの間にか周囲にはそういった空気が流れていた。
速人は大人同士の蟠りなど一切気にせず、マティスに老人用の身体の洗い方などを教える。
しかし、速人にしてみれば懇切丁寧に教えたつもりだったがマティスがハイデルの身体をお湯の中に沈めたり、身体を捻じったりする度に悲鳴が上がった。
ガツンッ!!
ここで速人の鉄拳がマティスの脳天に落とされる。
とうとう速人はマティスの粗雑さに呆れて、途中からハイデルとマティスの両方の身体を洗うことになったという。
「悪いね、速人君。世話になりっ放しで。ここ数年は、私も月に何度か水浴びをするくらいで本格的に風呂に入ったのは久しぶりだよ」
現在、速人は手持ちの糸瓜束子を使ってマティスの背中を拭いている。
隣ではすっかり元気になっていたハイデルが鼻歌を歌いながら、上半身に湯をかけていた。
ドワーフ族の他の種族と比べて最も優れている部分を挙げるとすればそれは回復力なのだろう。
速人はマティスの背中から残った垢を剥がしている。
強烈な体臭で既に意識を保つことさえ難しい状態になっていた。
「坊主。マティスの背中はもういいだろ。そろそろこっちを洗ってくれないと湯冷めしちまうぜ」
そう言いながらハイデルは速人に背中を見せる。
速人はマティスをお湯に入れるとハイデルの背中を洗うことにした。
以前よりは肌の張りも良くなっていたが病人であることには違いない。
セオドアたちにもやり方が伝わるように皮膚を傷つけぬよう、かといって汚れや垢を残さぬようにハイデルの背中を洗って見せる。
後に湯をかけてハイデルはのしのしと桶まで歩き、マティスと肩を並べるような形で湯に浸かる。
その際にはハイデルも軽く頭を下げることを忘れない。
速人はこの辺りだけはエイリークにも見習って欲しいと思った。
「ぶえくしッ!!」
場所は変わって、ここは第十六都市の下層域の市街地にある隊商”高原の羊”のオフィスとなる。
封書だらけで汚い机で周囲が忙しくやれ報告だ派遣だのと働いているにも関わらず居眠りをしていたエイリークがくしゃみをする。
「ほう。エイリーク、暇そうだな?」
エイリークが寝ぼけ眼で前を見ると、そこには腕を組んだダグザとソリトンが立っていた。
二人ともに抱えきれないほどの書類を持っている。
おそらくはこの一週間くらいの魔獣の目撃や野盗の被害などの案件をまとめたものだろう。
マルグリットはモーガンやレクサと共に上層の役所の方を回っている。
(本当に使える男はジタバタしねえ。どんと構えているもんだ)
エイリークは口元をわずかに歪めニヒルな笑みをこぼす。
「エイル。ハンスでさえ慣れぬデスクワークと格闘しているんだ。リーダーのお前もそろそろ参加してくれると有難いのだがな」
どさっ。
ソリトンが何冊かの綴じ本をエイリークの机の上に置く。
「ふわわわあああ…。今日は無理。頼むわ」
エイリークは欠伸をしながら、外側に向かって手を仰いだ。
おととい来やがれという意味である。
ピシイッ!!
その時、ダグザの額に深い亀裂が走った。
「ところでさ。お前ら今さっき俺に対して失礼なことを考えていなかったか?風呂の入り方がどうとか、…さあ?」
ダダンッ!!
ダグザは拳を固く握りしめながら、エイリークの机を思い切り叩いた。
「そういうことはいいから仕事をしろッ!!」
この後エイリークはダグザとしばらくケンカをすることになった。
そして場所はサンライズヒルに戻り、十分な入浴を終えたマティスとハイデルは着替えを終えていた。
今二人は完全に打ち解けて湯上りの一杯とばかりに一昨年前に仕込んだワインなどを飲んでいる。
速人としては例え相手が成人だろうが昼間から飲酒などを許すつもりはなかったのだが、ハイデルが自分から進んで飲食に興味を示したことは良い兆候だったので一杯だけは許すことにした。
速人はハイデルたちと入れ替わりで裸になったマイケルの背中を流していた。
ハイデルたちが風呂から出て来た後にカッツやセオドアが「丁度いい機会だから親交を深める」ようなことを言いだして集団で風呂に入ると言い出したのだ。
空気の読める男、速人はここで勢いを殺すことは得策ではないと判断しセオドアたちの主張を受け入れることにした。
しかし…。
「え?お前が俺らの身体、洗ってくれるんじゃないの?」
セオドアは肌を露出した後に薄らと毛の生えた胸板を見せる。
反射的に速人はセオドアの乳首をねじ切ってやろうかと思った。
追い打ちをかけるようにマイケルたちは裸になった跡に、おんぶ紐を外して赤ん坊たちを胸に抱きながら縦に列を作って並んでいた。
「速人。俺たちだって他の誰かに体を洗ってもらいたい時があるぞ。お前とはもう親友になったつもりだったが町長とハイデルが良くて俺たち兄弟が駄目ってのは何かこう…、心の壁のようなものを感じるな」
マイケルは細い眉を八の字にしながら速人に抗議してきた。
マイケルたちに混じってハイデルの息子カッツも既にシャツを脱いで白い肌を晒している。
毒喰らわば皿まで。
先人の言葉を体現すべく速人はセオドアたちの身体を洗うことになった。
雪近とディーはかけ湯を用意したり、湯から上がったセオドアたちの体を拭く為のタオルを用意していたことは言うまでもない。
速人は「早く機械の身体が欲しい」と思いながら黙々と無駄にマッチョな男たちの身体をたわしでゴシゴシと擦っていった…。
その頃、馬小屋の入り口からこっそりと中の様子を伺っていたコーデリアは一部始終を見届けた後に口を押えながらテレジアたちのいる屋敷の正面玄関まで走って行った。
セオドアは扉が閉じた音に気がつき、そちらの方を見る。
「今のもしかしてエリオのところのコーディか?」
「うちの母ちゃんか姉ちゃんに命令されて監視しに来ていたのかもな。気をつけろよ、テオ。女はなババアになると急に耳が良くなるんだぜ?」 ← マイケルの死亡フラグ。
マイケルはタオルで長い髪を拭きながら皮肉っぽく言う。
普段はテレジアやダイアナには頭が上がらないわけだが、不満がないというわけではないのだ。
「はっはっは!それは違いねえや!んでもって、都合の悪い時は急に耳が遠くなるんだよな!」 ← セオドアの死亡フラグ。
セオドアとマイケルは二人でゲラゲラと笑っている。
速人はマイケルの兄弟たちの背中を洗いながら、二人の暗黒に満ちた前途を想像せずにはいられなくなっていた。
一方、コーデリアは小さな手で口を覆いながらテレジアたちがいる屋敷の正面玄関に到着していた。
マティスの屋敷は迎賓館も兼ねた建物だったので、正面玄関は天井の高い大広間になっている。
コーデリアは口を閉じたまま玄関に入るとすぐに姉のペトラのもとに向かった。
コーデリアは姉のもとに辿り着くと、まず抱きついた。
エリオットとジェナは幼いコーデリアが見つかったことを素直に喜び、コーデリアの兄のリックは妹に姉を取られたと思って面白くなそうな顔をしていた。
「コーディ、一体今までどこに行っていたんだ?母様と父様が心配していたんだぞ。リックと私もだ」
「ごめんね、姉様。うんとね。セオドアが町長に悪さをしてるんじゃないかと思って見張ってた」
ダイアナを先頭にテレジアの子供たちは頷いている。
彼にはそういう過去があったのだ。
そして娘の話を聞きながらエリオットはもうしわけなそうに笑っていた。
「テオがまた何かしていたの?」
セオドアの妻ジュリアは口もとを隠しながら苦笑している。
エリオットや彼女が幼い頃のトラブルメーカーといえば決まってセオドアだったのだ。
ジュリアの母親であり、マティスの妻であるアンは腰を下ろして泥で汚れているコーデリアの顔をハンカチで拭いてあげていた。
「あのね。町長が、ドワーフを服を脱がして水の中に沈めていたの!それで町長も服を脱いでドワーフをいっぱいゴシゴシしていたんだけどね、それを見ていた猪豚が怒って町長とドワーフを一緒に水の中に入れたり出したりして大変なの!」
「!!!!」
コーデリアは身振り手振りを交えながら馬小屋の中で起きた出来事について説明する。
コーデリアが一生懸命になっている姿があまりにも可愛らしくて、最初のうちはエリオットたちも笑っていたが話が核心に迫る頃には誰も笑わなくなっていた。
「それでね。町長とドワーフが赤いお薬(※ワインのこと。以前マティスはそのようにコーデリアに説明していた)を飲んで、マイケル伯父様たちもすっぽんぽんになっちゃったんだよ!」
コーデリアは自分が見てきた出来事を最後まで話した。
いつしかダイアナたちは薔薇の園で全裸になりながらワインを酌み交わすマティスたちの姿を想像していた。
マティスと長年苦楽を共にしたジュリアとアンでさえ顔を真っ青にしている。
エリオットに至っては妻ジェナによって羽交い絞めにされていた。
要は馬小屋へは行くな、という意味だろう。
しかし、テレジアだけは冷静に孫娘の伝えんとすることを正確に理解していた。
「要はあの死にかけのドワーフを風呂に入れたって話だね?それでマティスのヤツが酒をふるまったってわけだ。全く、男どもときたら進歩ってもんがありゃしないんだから!お前ら、馬小屋に行くよ!あの馬鹿どもにこんな陽の高いうちから酒宴なんかさせてたまるかい!」
テレジアは怪しげな妄想に耽る自分の娘たちを一喝する。
強面の女たちは各々の顔に平手を打って(※エリオットはジェナに軽く叩かれただけ)勝機を取り戻す。 娘たちの様子を見守った後に、テレジアは肩にほとんど戦斧のようなサイズの手斧を乗せてズカズカと馬小屋まで歩いて行った。
コーデリアはご褒美とばかりにジェナとペトラに頭を撫でてもらった後にテレジアを追いかけて行った。
一方、馬小屋の中ではハイデルたちに同行した男たちは全て風呂に入った後になっていた。
マイケルたちの厳めしいモヒカン頭も今となっては蒸気を浴びて艶やかな黒髪を肩に下ろしているような状態となっている。
さらにモヒカンたちの顔を彩っていた刺青もお湯で落ちてしまったことによりペイントであることが判明し、カッツやハイデルたちは普通に話せるような状況となっていた。
健康を取り戻したハイデルは恩人の息子であるマイケルたちに深々と頭を下げた。
「知らなかった事とはいえ、グリンフレイムの家族であるアンタらに対して散々なことを言っちまったな。この通り、俺は一生かけて償うつもりだ」
カッツもまたハイデルだけに背負わせまいと続けて頭を下げる。
もはやただの黒髪のロン毛となってしまったマイケルはおんぶ紐をかけ直し、速人に自分の子供を背負わせてもらっている。
「頭を上げてくれよ。ハイデルさん、カッツさん。ウチの母ちゃんや姉ちゃんの前では恐くて言えないけれど俺たちの親父はやっぱり親父なんだ。親父のことで、アンタらに頭なんか下げさせたことを知った日にはこっちに戻って来て逆に謝られることになるぜ?」
マイケルたちは生前のグリンフレイムが、よその子供を相手にケンカをして怪我をさせた時にわざわざ相手の家まで謝りに行ったことを思い出しながら大笑いしていた。
(まあ、革命の旗手などと呼ばれる男の本当の顔はこんなものだろうな)
速人はマイケルの息子の頬を軽く突いていた。
「まあ、終わり良ければ総て良しだ!!今日は色々あったけど、最後は丸く治まっちまった。カッツさんところの家族も呼んで、今後の話をした後は仲良く酒でも飲もうぜ!!」
酒がまわり、顔を赤くしたセオドアが杯を掲げる。
(酒を飲むと気が大きくなるタイプか。つくづく小者だな)
次いでひっくとしゃっくりを一つ。セオドアは約束の一杯以上確実に飲んでいた。
「流石はセオドア様!!今日はもうガンガン飲みましょう!我々の仲直り記念です!!」
だんっ!
マティスがワイン蔵から新しい酒樽を持ってきた。
セオドアは大ぶりのナイフの刃を使って蓋を開ける。
マイケルたちやハイデル親子も拍手と喝采を送った。
しかしその陰で怒りを発する死神の軍勢たちの足音に速人だけが気がついていた。




