第六十二話 立ち上がれ!ハイデル!!
風呂まで行かなかった!!
次回は五月八日です!!
マイケルは自分の出自即ち前の大戦のきっかけを作った人物である巨人族のグリンフレイムが父親であることをドワーフ族のカッツとハイデルに打ち明けた。
その話を聞いた直後、当のカッツはマイケルの複雑な出自を教えられて困惑している。
一方のハイデルは速人に支えられながらも疲労による発熱と失意から暗鬱な表情となっていた。
そして、速人はこの場にいたマイケルの肉親の人数を数えている。
結果、テレジアの子供は男六人、女八人。
速人はナインスリーブスの家族事情に詳しいわけではなかったが、決して少ないくない人数だろう。
「…そういうのは数えなくていいから。よその夫婦が何人子供を作ろうともお前には関係ないだろ」
セオドアは速人の後ろから速人の肩を抱え込んだ。速人は冷めた目つきでセオドアを見ていた。
「ああ。はいはい。そういうことにしておいてあげますよう」
速人のそれは露骨な蔑みが含まれている目つきだった。
実際セオドアの子供も五人いるが経済事情を鑑みれば決して裕福とはいえない。
貧乏人子だくさんと後ろ指をさされても決して文句は言えなかった。
故にセオドアは速人の身体を力いっぱい抱き締めてやったが家事とヌンチャクによって鍛えられた鋼の肉体にはまるで通じない様子である。
速人は森の中を歩くうちに纏わりついた枯草を払うようにしてセオドアをぶん投げてしまう。
「力の無い者の尊厳を踏みにじりやがって!力持ちがそんなに偉いのかよ!」
「何と愚かな。力を持たぬまま生まれたことが弱者の罪よ。お前のような軟弱者はせいぜい嫁さんに授乳行為してもらいながら慰めてもらうがいい」
ピキンッ!!
速人の言葉を聞いた瞬間、セオドアの顔が一瞬で凍りついてしまった。
考えたくもない話だがおそらく図星だったのだろう。
セオドアはその場でしばらく体育座りをしたまま動かなくなってしまった。
速人は抜け殻と化したセオドアを突き飛ばしてハイデルの元に行った。
ハイデルの灰がかった青い瞳は精気を失い、白目の部分はさらに充血の度合いが増している。
おそらくはハイデルの体力も限界に近いだろう。
速人は時間の経過と共に衰弱しているハイデルの健康を心配して休憩の有無について尋ねる。
「ハイデルさん。一度、家に帰って休んだ方がいいんじゃないのか?」
ハイデルは虚ろな視線を速人に向ける。
ほんの少し前に速人から声をかけられるまで意識を失いかけていたのだ。
しかし、まだ意識は混濁したままだったが速人の質問の事は忘れていなかったので、すぐに頭を振って速人の提案を拒否する。
ハイデル当人は気づいてはいないようだが動作の一つ一つが力を失い不安定なものに変わっていた。
「悪いがまだ家に戻ることは出来ない。せめてこれが終わるまで息子の側にいてやらねばならないからな」
そういってハイデルは再び目を伏せる。
速人は少しでもハイデルの心が落ち着くように頭を撫でた。
一方、マイケルたちの会話にも何らかの進展があったようである。
マイケルの話を聞いた後にしばらく黙っていたカッツが謝っていた。
「マイケルさん、テレジアさん、ダイアナさん。何も知らなかったとはいえ失礼なことを言ってしまって本当にすいません…」
カッツは己の軽はずみな言動を恥じていた。
そして、グリンフレイムの家族であるテレジアたちの前で噂程度のことしか知らなかったグリンフレイムのことを悪く言ってしまったことを悔やんでいた。
(俺の親父は今も生きているから話合うことができる。もしも彼らと俺の立場が逆だったら…。きっと俺は耐えられなかっただろう)
カッツは今日の失敗を忘れまいと奥歯を噛み締めた。
「カッツさん。俺たちの親父は巨人族の使命がどうとかと言って勝手に家を出て行った。集落の人間は誰も親父にはついては行かなかったよ。その後に親父のやらかした事が原因で集落にいられなくなっても誰も親父の事で文句は言わないってことで全員で話合いは終わっている。俺は親父の事を悪く言われてもいい気はしないけど怒ったりはしない。けど、カッツさんとハイデルさんが親父の事が原因で喧嘩をするっていうのならばこっちの方から話しておくのが筋道ってもんだろうからわざわざ言ったんだ」
グリンフレイムも自分の事でカッツとハイデルが争うようなことになれば悲しむだろう。
マイケルは言葉を喉の奥に飲み込んだ。
「俺の方こそ知らなかったとはいえ、自分の父親の命の恩人を悪く言うなんてどうかしていたと思う。こっちも悪かった。もうしわけない」
カッツはその場にいたテレジアの家族全員に向かって頭を下げる。
テレジアは事も無げに受け流し、ダイアナたちは大きな声を出した手前どう対処したものかと赤面しながらカッツと目を合わせないようにしている。
カッツが頭を上げるとマイケルが右手をカッツに差し出した。
和解の握手のつもりだった。
二人のおっさんが赤面しながら握手をするという実に気持ち悪い光景である。
話の決着がついたところで速人はハイデルの容態が悪化したことを伝えた。
「盛り上がっているところもうしわけない。カッツさん、ハイデルさんが高熱を出して死にそうなんだが」
速人はソファの上で横たわっているハイデルの姿を見せている。
ハイデルは既に意識を失い、全身から大量の汗を流していた。
精気が失われたハイデルの肌の色は青白くなっている。
カッツは意識を失いながらもしきりに口を開閉し、カッツの名を呼んでいた。
「えッ!?」
カッツは変わり果てた父親の姿を見て絶句する。
速人はハイデルの上着のボタンを外して、左の首すじに手を添えた。
(脈が荒い。肺炎を起こしていないだけマシか)
ここは本職の出番だろう、と速人は鈴ヤカン視線をマティス町長に向ける。
「い、医者だ!!誰か医者を呼んできてくれ!!」
そこには慌てふためく筋肉モリモリのマッチョダンディーの姿があった。
マティスはなりふり構わずにエリオット、アン、ジュリアのところに行っては不安をぶちまけて、全員のところに言った後は頭を押さえながら震えている。
見ている方が辛い場面であった。
その時、速人は不意に肩を突かれる。
マティス町長の娘婿セオドアだった。
セオドアはすっかり落ち込んでしまったマティスの姿を見ながら感慨深げに語る。
「ウチの親父さん、普段は頼りになる人なんだけどよ。想定外の事態に弱いっていうか、なっ?…後は任せた」
セオドアはそこまで言ってから速人の肩をバンバンと叩いてきた。
屈託のない笑顔には殺意さえ覚える。
速人はセオドアのワイルドな感じに立てたジョー東のような黒髪に食用油をぶっかけて盛大に燃やしてやろうかと本気で考えていたが、その程度では生温いという結論に達したので止めることにした。
速人は「はあ…」とため息を一つこぼす。
次に速人は全身汗まみれとなったハイデルの左胸に耳を当て鼓動を確かめる。
か弱くなってはいるが規則正しい鼓動が速人の耳まで届く。
その後、速人は軽い触診をしてハイデルの現在の状態を調べた。
(やはり栄養失調が原因の発熱か…。咳が出てくる前に体温を温める必要があるな)
速人は手持無沙汰なセオドアの方を見る。
「セオドアさん。とりあえずハイデルさんの身体を拭きたいから綺麗なタオルとお湯を持って来てくれ」
「了解」
セオドアは隣の部屋から白いタオルとお湯の入った桶を持ってくる。
桶の中を満たす湯の温度は人肌のものより少し高めのものになっていた。
(脳みそが空っぽなヘタレだと思っていたが少しは仕えるということか)
速人はお湯で濡らして、暖かい濡れタオルを作る。
「カッツさん。ハイデルさんをここで脱がせるけど、俺がやってもいいかい?」
カッツは「自分には出来ない」という意味で首を全力で振った。
「お、お願いします!」
速人はハイデルの胸元のボタンに手をかける。
ドワーフ族は体のつくりそのものが他種族に比べて筋骨たくましいので、頑健と精緻の両方を備えていた。
すでに老齢の領域にありながらもハイデルの肉体から瑞々しさというものが失われてはいない。
パチン…ッ、パチン…ッ。
速人はシャツのボタンを外しながら背後に無数の視線を感じる。
ギギンッ!!!
(これは、ガン見だ!誰かが俺たちの姿をガン見している!)
視線の主は、テレジアとその娘たちだった。
「ハンッ!ドワーフの男の裸なんて滅多に見られるもんじゃないからね!私が覗いちゃあ悪いのかい?」
テレジアは居丈高な態度で自らの行為を正当化しようとした。
速人はでかい目を細めながらマイケルとエリオットに覗き行為を控えるように頼んだ。
ダイアナやエリオットの妻ジェナもテレジアの後ろで背伸びをしながらハイデルの姿を見ようとしている。
「マイケルさん、エリオットさん。一回、部屋から出てもらって」
速人は雪近とディーに人間バリケードになってもらいながら、ハイデルの裸体を隠した。
マイケルとエリオットは女性たちを連れて部屋の外に出る。
その間にも速人はハイデルの服を脱がしながらべっとりと染みついた汗を拭き取るのであった。
ハイデルの身体を何度か拭いているうちに汗を吸ったタオルが黒ずんでしまう。
その度に速人はタオルを桶の中に入れて汚れを落とさなければならなかった。
セオドアは気をきかせて変色してきたお湯を交換したり、ハイデルの衣類を籠の中に入れたりしていた。 セオドアは案の定、作業の途中にハイデルの脱いだ衣類をめくり返したりする速人から指示を受けた。
魔王を倒すとかそういったことよりも次に使うことを考えて、脱いだ衣類は表にしておくことの方が重要なのだ。
速人はある種の使命感が達成させていることを確信していた。
「母ちゃん、こっちだって」
「…ジェナ。とりあえず部屋の外に行こうか」
マイケルとエリオットの活躍によって、ようやくテレジア一家とマティス町長の家族が部屋の外に出て行った。
速人はハイデルの背中を拭きながら次の仕事について考えている。
(まずは体力を回復させる必要があるな。眠って体力を回復させるのが一番いい方法だが、今の熱が出ている状態ではやや難しい…)
速人はその後もハイデルの体温を計ったりしながら幾つかの解決策を検討する。
現状、ハイデルの健康は何とか維持されているが体力の減衰が今回倒れてしまった原因であることは間違いない。
このままハイデルを放っておけば肺炎を患って確実に死んでしまうだろう。
その時、速人はマティスが以前は医者の仕事をしていたという話を思い出した。
「マティスさん。ハイデルさんに熱冷ましか何かを飲ませてあげたいんだけど?」
マティスは沈痛な面持ちで速人の質問に答える。
「…残念ながら今、私のところには薬は無いんだよ。少し前に近くの川から町の中に水が入ってきてしまった時に大勢の怪我人や病人が出てしまってね。その時に使い切ってしまったんだ…」
マティスはそのまま黙り込んでしまったが、今に至っては町の住人全員が病気や怪我しないように注意しているというところなのだろう。
速人は左の首筋を掻きながらマティスの心の傷を抉るような真似をしたことを反省する。
(やれやれ。深入りをするつもりは無かったんだが)
速人は腰に下げた道具袋から丸薬を取り出した。
以前から速人が数種類の薬草から作っておいた解熱と沈痛の効用を持つ薬である。
速人は他に胃腸の働きを助けたり、酔い止めの薬も普段から持ち歩いているのだ。
速人はまず自力で薬を飲めるかどうかハイデルに尋ねることにする。
ハイデルの呼吸は以前よりも穏やかものになり、汗を拭き取る前よりは健康状態が安定していた。
「ハイデルさん?」
ハイデルは何も答えない。
しかし、薄く開かれた眼だけは速人に向けられたような気がする。
速人はそれを肯定の意志と捉えた上で質問を続けた。