小さな水槽と恋する脳
【短編1作目】
大好きだけど、ずっと何年も会っていないあの子。
とても仲がよかったあの子。
特に根拠も無く、幸せに生きている事を前提で、あの子の事を思い出す。
でも、不幸な事もあるかもしれない。
だから「幸せでありますように」と願う。
でも、それは誰のため?
自分に言い聞かせるためか。
自分の精神の安定のためか。
あの子のためにはなっていないのは確かだ。
あの子のためにできる事は、あの子の前にいる時だけだったのだろう。
僕はB子にレンガみたいな石で殴られた。
一瞬、意識が遠くなった。
変な声が出た。
理解できなかった。
痛いとか、痛くないとか理解できない。
絶対に殴られたのだけど、本当に殴られたのか理解できない。
間違いなく、目の前の彼女に殴られたのだろうが、あまりの有り得なさに、理解できない。
僕は立て続けにスタンガンを押し当てられ、また殴られ、意識が途絶えた。
「僕はB子の事が好きだ。
だから、これからもずっと一緒に居たい」
それが僕の最後の台詞。
その後、B子は嬉しそうな顔で頷いた。
そして、公園の花壇を囲っていた大きな石の一つを拾った。
彼女にとっては、僕を殴りやすそうな石だったのだろう。
レンガの形をした、持ちやすくて、殴りやすそうな石。
◆ ◆ ◆
僕は6年前、入院中に彼女と出会った。
彼女はいつの間にか僕のベッドの下に隠れていた。
ベッドの下から這い出てきた彼女に僕は心臓が止まるかと思ったけど、彼女も入院患者だという事が格好で理解できたし、幽霊でない事も理解できた。驚きは心の奥に急いで飲み込んだ。
名前を尋ねると「好きに呼んで」と言うので、「B子」と名付けた。
先に彼女が僕を「A太」と呼んだので、お返しだ。
彼女は病院の大人から逃げているのだと言う。
僕は彼女に協力する事にした。
それが小さな冒険となった。
2人で病室を抜け出して、立ち入り禁止の場所に隠れ、未知との出会いを繰り返した。
17歳になった今から思い返せば、大人に迷惑をかけ、愚かで本当に小さな冒険だ。
でも、B子との冒険は愛おしい思い出になった。
僕はB子に恋をしたのだ。
ただ、僕はB子より先に退院した。
それからB子と会うこともなく17歳になった。
「退院したら会おう」という約束は今でも有効なのだろうか。
◆ ◆ ◆
僕は普段通り家に帰ると、妹の客が来ていた。
妹がチンピラに絡まれているところを、助けてくれたらしい。
僕は礼を言い、妹の恩人に名前を尋ねると、しばらく不機嫌そうな顔をして首を傾げてから「B子です」と返事が返ってきた。
瞬時に瞳孔が開き、病院の思い出がフラッシュバックする。
B子は驚いた僕の表情を確認してから、「A太は相変わらずだね」と、笑顔を見せてくれた。
僕は5年ぶりにB子と再会した。
それから、何度かB子と会い、幼かった頃の恋心が再燃するのは簡単だった。
そもそも、5年前から火は消えていなかったのだろう。
◆ ◆ ◆
「僕はB子の事が好きだ。
だから、これからもずっと一緒に居たい」
また彼女と離れ離れにならないように、僕は自分の気持ちを伝えた。
「A太君の気持ち分かった」
彼女は嬉しそうな顔で花壇の石を持った。
「B子ちゃんもきっと喜んでいるよ」
B子は僕を「A太君」とは呼ばない。
ましてや自身の事を「B子ちゃん」とも呼ばない。
でも、そんな子がいた気がする。
未知との出会い。
思考が霧散する。
「B子ちゃん待ってて。
A太君がこれからそっちに行くからね」
◆ ◆ ◆
ある医療機関にて──
「意識不明の重体です」
「体は長く持ちそうにありませんが、脳にダメージはないようです」
「過去に1年間、仮想空間に居た履歴があります。一方通行になるかもしれませんが、仮想空間に移動させるしかありません」
◆ ◆ ◆
ある仮想空間にて──
5年前、私はA太とここで過ごした。
ずいぶん前の話だが、彼以上に気心が知れた人は居なかった。
彼は先に退院した。
「退院したらまた会おう」という約束を、私は絶対守りたいと思っていた。
その言葉で胸が温かくなった。
でも、私の現実の体は、私が思った以上に強く無かったようだ。
仮想空間の私は、帰るべき現実の私を失ったのだ。
5年前、私の体は死んで、今いる私は仮想空間だけで生きられる魂的な何かである。
脳だけがどこかにあるらしい。
自分の脳なのに、どこにあるか分からないというのも変な話だ。
「そういえば、1年前に退院したあの子もどうしてるかな」
昔、A太と私がこの仮想空間にある病院を冒険している最中に、女の子と出会った。
その子は、A太と私が一緒にいる所をいつもニコニコしながら見ていた。
仲良さそうな姿を見るのが好きなのだと言う。
◆ ◆ ◆
「A太君、B子ちゃんに会えたかな?
私も早く2人に会いたいな」
あとがき──
体が不自由な状態で入院している人たちが、仮想空間で日常を過ごせたら良いのにな。
でも、仮想空間に居る最中に亡くなってしまって、仮想空間に残ってしまったらどうなるのだろう。
という発想から、このお話が生まれました。