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仮に、万が一、億が一にも本当だとして、彼女を死地に送り出すのか?

次回は来週火曜19:00更新です。

 ドアと窓以外のほとんどがセイヨウキヅタに覆われ、隙間から赤煉瓦が覗く。駅には近いが表通りからは外れており、探さなければ見つからないような店だ。露出は少ないが、静かな空間とその味で固定客をつかんでいる。昼は喫茶、夜はバー。重々しいドアを開くと、カフェ&バー「メタカフェ」のマスターが東堂ら三人を見やり、柔和な笑顔を見せた。



「受験の時期に見えられるのは珍しいですね。モカでよろしいですか?」



「お願いします。彼らにはカフェインの入っていないものを」



「大麦のコーヒーをカフェ・ラテにしましょう」



 マスターに促され、東堂、和久井は最奥の窓際の席に腰かけた。明日香は「少し」とパウダールームへ立った。東堂は苛立ちを隠しておらず、運転、ドアを開ける仕草、手拭きを取る仕草、腰かける勢い、声の調子、それぞれがやや刺々しい。和久井は緊張のため肩が強張っていた。



「まず和久井、お前は話にならん。全く解せん。受けろ」



 店内であるため声のボリュームは落としているが、怒気のこもった口調で東堂が告げた。和久井はすぐには返せず、深い呼吸を挟んだ。



「わかるよ先生、でも本当に大事なところなんだよ。損してもいいんだ」



「明日香の何を知っている? その判断は正しいのか? 損と言って、浪人して勤務年数が一年減ることで減じる生涯年収が東大卒クラスだと一体いくらになるかなどお前は想像していないだろうが、そんな些細な話をしているんじゃない。お前は俺と一緒に明日香を止めなければならない、違うか?」



 東堂に気圧され、和久井がごくりと唾を飲み込んだ。ちょうどマスターが飲み物を持って席に来たため、東堂は今にも握りつぶさんばかりにグラスをつかんでいるのに気付き、力を緩めた。「駄目ですよ、先生、また怪我しちゃ」とマスターにたしなめられ、「すみません」と東堂が謝るのを聞き、和久井は「前にもやってるんですか」と顔をひきつらせた。



 ステンレスドリップのモカが甘く匂う。



「譲歩案を出そう。まずちゃんと知り、それから判断しろ。勢いで決めるな。きちんと判断したならばお前らは二人とも何事もなく受験し何事もなく受かると俺は確信している」



 学習塾は当然タダで教育を施しているわけではなく、金を取っている。もちろん公教育にも多額の税金がかかっており、公教育よりもコストパフォーマンスは圧倒的に高いと東堂は自負しているが、ともあれ学習塾はそのサービスを享受するために費用を要する。一般のサービス業であれば、サービスを受ける人物と費用を負担する人物は同一だが、学習塾は、ずれる。親は、子どもがサービスに満足しているかを想像し、そこに安くはない額を賭けている。多額のプランを提案し、それを通し、合格者を出してきた東堂だが、プランの通る通らないには、肝心な点がある。提案の場は三者面談。その場で二対一の関係を築くことだ。先に生徒とプランを固め、二対一で親に挑む。またやる気のない生徒に親と二対一で生徒に臨む、というパターンもある。いずれにせよ、困難なステークスホルダーを懐柔するのには、周りを先に固めるのが肝要だ。



「……先生、俺は冗談で言ったわけじゃないんだ。本当に大事なことだと思っている。東大現役合格と明日香さんを天秤にかける、ということがそもそも無理だ。選択の余地のあるようなものじゃない、和久井国の国宝みたいな存在だ、明日香さんは。もっと考えて決めるべきだった、だとか、安易だ、とか、実際そうかもしれないが、それでも、今明日香さんが重大な決断をしようとしているということそれ自体、大事な大事なことなんだ。彼女が行くなら俺も行く。だけど」



 明日香が席に戻った。和久井はそこで言葉を切り、カフェ・ラテを口に含み「うめえ」とつぶやいた。明日香も一口飲み「美味しい」とこぼした。東堂もブラックのままのモカを一口飲み「だけど?」と続きを促した。



「だけど、確かに知らない。先生、どういう結論を思い描いてる?」



「そりゃさっき言った通りだ。何事もなく受験し、受かれ」



「ホントに異世界がどうの、ってことがあると思う? 俺は彼女の話を真剣に聞くつもりでいる」



「真剣さにも種類がある。俺はお前らの良き人生を素朴に願っているよ。お前、明日香が言っていることが仮に、万が一、億が一にも本当だとして、彼女を死地に送り出すのか?」



「……明日香さん、もう少し詳しく教えてくれる?」



 和久井は明日香に向き直った。まずは東堂の目論見通り、二対一の構図になったと言える。明日香もやや体の向きを変え、東堂、和久井に向き直った。瞳に決意の色を浮かべて。

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