炊き出し
全焼した家屋の中には、古くから続いている、酒造の蔵元がある。しかし、全焼はしたものの、小さな蔵だけはそれほど被害がなく形がそのまま残っていた。 昔にもこの辺りは火事がありそのときも、この小さな蔵だけは無事だったそうだ。
(これだけは本当に奇跡的に助かっている。他は全部ダメになったけど・・・でもこの小さな酒蔵がこうして無事だってことは、まだまだこれからだぞって意味だと思うんだ。悲しんでなんかいられない。今からが本当の勝負だ。)
この酒造の従業員の人たちは、強い決意を持ち、焼けた酒瓶や樽などを撤去していた。
娘さんが東京から急遽、帰省し実家の父親と一緒に跡形もない真っ黒な敷地に来た。
(見てみな・・・家がこんなになっちゃったぞ。)
(嘘でしょ?・・・私の家を返して!!!・・・うっうっ・・)
無理もない・・全く無理もない・・・ この娘さんは、大学が東京で下宿先でニュースを見て実家に連絡した。しかし一向につながらないため、もしかしたら・・という思いで高校の同級生に連絡をし、家に燃え広がっているということを知った。
(もう、何も持ち出せなくて、こんな薄着で出てきてしまった。 子供たちや孫が帰ってくるっていうのに・・・何も出来ない・・・・)
私の祖母と同じくらいの方が、防寒着を着ながら震えていた。 このお正月に息子さんや娘さんたちが子供を連れて帰省するはずだった。料理の準備やお年玉なども用意しておりあとは年末に来るだけというときに、この火災に見舞われた。
火災現場は、避難解除も出ており、被災者たちは各自、自宅があっただろう場所で持ち帰られるものを探していた。糸魚川市だけでなく近隣の市町村からも、建設会社などが重機を手配し、出きるところから廃材などの撤去も始めていた。
連日、新聞やニュースでも、この大規模火災は報道されており、取材や中継など各テレビ局も現地に来ていた。また、自衛隊の要請もしており、物資や撤去作業にも着手している。こんな中、私たちはいったい何をしたらいいのだろうか。ただ火災現場に立ってるしかなかった。そのとき・・・
(あれ?熊本地震のとき、避難所にいたよな?)
自衛隊の人が、私たちに話しかけてきた。
(え? あのときの?)
深夜に2度目の震度7が来たとき、屋根が倒壊したあの避難所にいた人だった。
(あの後、救助された奥さん、どうした?)
(無事に赤ちゃんも出産して大丈夫でしたよ。)
(そうか。良かった。でも、偶然、また会ったね。何でここに?)
(ニュースを見て、災害支援チームに参加したいと思って。)
(でも、焼け跡は危険な作業が多いから、ここは男手に任して、避難所での作業の方が女手が必要なんじゃないか?寝泊りする準備や食事とか・・・)
(そうですね。とりあえず、ここは退去して避難所に行きます。)
避難所に行けば、人がたくさんいるし何か役に立てることがあるだろう。私たち3人は火災現場を後にした。
避難所では、ダンボールなどで仕切りを作り各自、寝泊りできるスペースを作ったり、また車の中でも生活できるようにと準備をしていた。益城町でもそうだったけど避難生活が長引くと体力的にも影響が出てくる。それに、一番怖いのが感染症だ。特に冬の時期だと、(ノロウィルス)がある。一人が発症するとその周りまで感染してしまいかねない。 幸いにも、糸魚川市は国への要請も迅速に進めており、被災者たちへの支援もスムーズに行きそうだ。
大学の先輩で市の職員でもある、関さんは私たちに、食事の準備のお手伝いをお願いしてきた。
(月岡さんたち、これから女性陣で昼食の準備に入るから、手伝ってくれないかしら?)
(分かりました。でも・・・料理なんて出来ないんですけど・・・)
(大丈夫よ。ここのお母さんたちが教えてくれるから。)
セギョン、ティファニー、私と3人は、ご飯を炊く、野菜や肉を切る、炒める、煮るなど各班に分かれた。
(お米はね、こうして真水でとぐんだ。そうすると白い米汁がでてくるだろう? これは別にしておく。)
(その米汁は何に使うんですか?)
(これで顔を洗うんだよ。そうすると肌がスベスベでもちっとするよ。)
(へぇ・・)
米汁で顔を洗うとは驚いた。試しにやってみた。
(どうだい?感じが全然ちがうだろう?)
(ほんとだ。すごい。スベスベしてる。)
まさに、おばあちゃんの知恵というものだろう。
(野菜は、こういう風に斜めに切るんだ。これは長ネギね。)
(韓国でもキムチって白菜を唐辛子に漬けるんですけど、こういう細かく切るのは見たことないです。)
セギョンも興味津々だ。
(これはね、サトイモっていうの。ちょっと粘りがあるんだけどね。こうして皮をむくんだよ。)
(いやぁ、この小さな野菜、皮を剥くとヌルッとする・・・何を作るんですか?)
ティファニーも、どんな料理ができるのか楽しみのようだ。
(これはね、芋煮っていって、ねぎや牛肉、この里芋をお酒と醤油、みりんなど一緒に煮込むんだ。美味しいわよ。)
避難しているお母さんたちも混ざって、炊き出しの準備をするのは賑やかで、笑顔も見れる。益城町の避難所でも同じだったな。
包丁も始めは怖かったが、使ってるうちに手にも慣れてきて、長ネギなども上手く切れるようになった。ティファニーもセギョンも野菜をうまく刻んでいる。
(お姉ちゃんたち、上手じゃない? 使えるようになってくると楽しいでしょ?)
(楽しいです。こんなに野菜を手にしたのは初めて。笑)
(私は肉がいいですねぇ・・)
ティファニーは、野菜より肉が好きか。
野菜、肉、芋・・・すべて準備は整った。あとは煮込むだけだ。 大きな鍋が所狭しと並んでいる。ガスコンロに乗せ食材をすべて入れ、(芋煮)スタートだ。
出来上がった(芋煮)を避難所の人たちに振舞った。 私たちも、お母さんたちも芋煮をよそって食べた。自分たちが作った、出来たての温かい芋煮は、なんともいえない美味しさだ。避難所の人たちからも好評でおかわりまでする人がいるほどだ。 少しばかり安堵の表情も見れる。 まだまだ遠い道のりだが、一歩一歩、進んでいくしかない。
そんな避難所も大晦日を迎える。益城町でもそうだけど、地震や火災などがなかったら、年越しそばを食べて、レコード大賞や紅白歌合戦、ゆく年くる年など見ながらお正月を迎え、親戚や兄弟、子供たちも集まり、おせち料理など囲んで、ゆっくりとしたお正月を迎えてたはずだ。 災害はいつ自分の身に襲いかかるか分からない。 明日は我が身・・・ 私は強く思った。




