第2波
この避難所だけでもかなりの人が押し寄せていて、中に入りきれず、廊下や階段、また玄関など座れるところならと人が集まっている。車で来た人もいてその人たちは車中で過ごしていた。
とにかく困ったのは電気や水道が使えないことだ。自衛隊の方が設置した大きな非常用スタンドライトを照らす以外は、懐中電灯やローソク、たき火くらいしか明かりを灯せない。また水道も使えないため歯も磨けないし、顔も洗えないし、トイレも使えない。
電話をするにもあまりにものアクセスが集中しすぎてネットも見れないし通じない。これには本当に困った・・・情報が入ってこない。
そうだ!ラジオがあった。持参しているリュックには、災害用ラジオが入ってたはずだ。手巻きで充電できるラジオ。良かった・・・秋田県、感謝!
私は、ラジオをNHKに合わせて被害の状況を聴いた。
地震2日目の15日 金曜日、午後7時、この時点で判明してるのは一番、被害が大きいのはこの益城町。他にも大分、宮崎、鹿児島、佐賀、長崎と九州全体に広がっていた。私が学生寮にいた、14日午後9時46分に震度7、10時7分に6弱、同じ38分に5強、午前0時を過ぎたころに震度6強の連続して大きな地震が来ている。死者9名、負傷者600名とわずか2日目でこれだけ増えている。各市町村の学校や役場、公民館、体育館など、避難所として利用できる施設はどこも人が溢れかえり、中に入れず外で段ボールを敷いて毛布一枚だけとか、またショッピングセンターなどの駐車場で車中に避難してる人もかなり多い。
益城町だけではなく御船町、美里町、熊本市内や宇土市、八代市、熊本市内全体で同じ状況になってしまっている。
負傷者も増え続け、受け入れる病院も被害を受けており、自家発電だけでは対応しきれず、廊下や待合室などでも対応に当たっている。 ラジオだけでなく新聞も見たい。なんとか情報を得たい・・・コンビニはどこにあるんだ??新聞販売店は?最寄の駅に売店なんかあるのか・・・相棒(iphone 6)が使えないのはマジで辛い。おい!起動してくれ!
想いが通じたのか、yahooが開いた。よし!そうこなくっちゃ!
益城町近辺にある、コンビニを検索した。セブン、ローソン、ファミマ・・・あったぜ。少し距離はあるが行けなくはない。営業してるかは分からないが、明日の朝、自転車を借りていくしかない。
医療チームの人たちも集まってミーティング。医師や看護師、保健師など私も含め、状況報告をした。ティファニーたちも今夜は避難所で一夜を過ごすようだ。私たちも疲労が出てきてるようで、今夜はこの辺にして休もうということになった。 避難所も所々で就寝に入ってる人たちも多く、こんな状態だと体も壊してしまう。
炊き出しも始まり、ようやく食べることが出来るかと思ったが・・・
配られたのは、ご飯に塩をまぶしただけのおにぎり一個と4分の一ほどに切られた、きゅうり一本、あとペットボトルのお茶一本だけ。 被災者の現実ってこういうことなんだ・・当たり前に食べれたものが食べれない・・・でも文句など言ってられない。これも支援物資なのだ。これだけいる避難者に一人一人配るといったら、今の段階ではこれが精一杯なのだ。こういうときこそ、感謝という気持ちを持たなければならないのだ。
秋田を出発する前に、スーパーでティファニーが言ったことがようやく理解できた。(カロリーメイト)や(ソイ・ジョイ)が、ニュージーランド大地震でどれだけ助けられたかってことが。
私たちも配給のおにぎりとお茶を頂いた。
当たり前に出来てたことが出来なくなるというのは本当に辛い。これは直に災害に遭わなければば分からないことだ。 この塩だけのおにぎりが何とも言えないほど、美味しい。たった一個のおにぎりだけなのに、こんなにも幸せを感じるなんて自分自身がマジで信じられない。
医療チームの人たちも床に引かれた段ボールに横たわり、配給された毛布一枚をかけて就寝に入った。
私も横になりウトウトしながらラジオを聴いていた。(午前1時をお知らせします・・・)夜中の1時か・・・この時間になっても地震のニュースだけだ。文化放送やニッポン放送にも変えてみるが、どこも同じ。 このまま朝なのかな・・・
NHKに戻したとき、(緊急地震速報です・・・)アナウンスが流れた。 え?まさか?
相棒(Iphone6)からも、緊急地震速報の音が鳴る。寝静まった避難所からも続々と、(緊急地震速報)の音が鳴り響く・・・
え?-、ヤダー、ほんとかよ?・・・就寝中の人たちからも、どよめきが次第に大きくなってきた。 医師たちも起き出して、すぐに緊急体制の準備になった。私も表に出て自衛隊の人たちや外で避難してる人たちを見に行った。その時だった。
ドカン!ドカン!・・ドカドカドカドカンーン!!!
地面から突き上げられたんじゃないかと思うくらいすごく強い衝撃! と次の瞬間!
ものすごい揺れが襲い避難所のガラスはバリバリと割れ、車は飛び跳ねるようにグラグラと揺れている。 ヤバイ! 私も逃げなきゃと思ってもあまりにも激しい地震で足が動かない。地面にくっついてしまってるような感じで進むことが出来ない。
バリッ!バリッン!バリバリバリー!!!!
へ? 避難所が崩れ始めた・・ちょっとぉ・・マジで中に人がいるんだよ。!! ワーッ! 私の体は地面に叩き付けられた。建物の崩壊とともにその衝撃で私自身も倒れてしまった。 痛っい・・・少し揺れが収まってきて、避難所を見ると建物が傾いてしまっている。中にいる人たちは大丈夫か?けが人はいないか?自衛隊や外で避難していた人たちが建物の中に入り救助に出た。しかし今の時間は真夜中だ。真っ暗で中がどうなってるのか全然分からない。他の場所でも被害が出てるのではないか? ラジオを聴きながら、私も建物の中に入った。懐中電灯を一面を照らしてみると、震えてる人や泣いてる人も多く一刻も早く、外にださなければならない。しかしこの真っ暗な空間でどう救助したらいいのか・・・
自衛隊が外にある災害用ライトを中に照らしてくれた。1人1人、誘導をして外に出していく。いったい何人、この中にいるのか? また(緊急地震速報)の音が鳴り響く。泣き叫ぶ声と(緊急地震速報)の音で建物の中は大混乱になっている。このような状況で慌てずゆっくりと・・・なんて出来っこない。開く窓や扉は全部開けて、出れるところからでてくれと、外に出た人たちが誘導してくれた。これが幸いに続々と中から外に避難出来て無事を確認した人たちは泣きながら抱き合ったりしていた。まだ中にいるのではないか?この先は自衛隊だけが入り、私たち一般人は外で待機。
ガタタタター!!ガタン!ガタン!ガタガタガタガタ!!!!
今、来たばかりなのにまたきやがった。傾いた建物が更にバリバリと砕けていく。自衛隊も急いで外に出てきた。
カタン・・カタン・・カタ・・・ン
収まったか? まだ建物の中には人が残ってるはずだ。なんとか無事でいてほしいが。医療チームの医師もここまで崩れたら、中で下敷きになってるかもしれない。と言っている。
でも希望を捨ててはダメなんだ。3・11東日本大震災や阪神淡路大震災のときも瓦礫の中から生存者が出てきたんだから・・・・自衛隊も諦めてたまるか!!と言わんばかりに照明ライト一つの明かりで瓦礫の中を探しだした。私もその他の人も、医療チームのメンバーも外に避難した住民たちも瓦礫を撤去し生存している人を探し始めた。2時間、3時間と過ぎていくうち、1人の住民が声を上げた。
(ここに人がいるぞ!!)
一斉に集まり救いだした。 生きている・・・生存者がいた。そうなると次もまた次も瓦礫の中から生存者が救助され助け出された。 何だか子供の泣き声らしきものが聞こえる?
(ここから、子供の泣き声が聞こえます!!)
私は周りにいる人たちに助けを求めた。
(よし、みんなでどかすぞ。せーの!!)
瓦礫の中から出てきたのは赤ちゃんだった。お母さんはいるのか?赤ちゃんを救助したが、お母さんが下敷きになってるかもしれない。更にみんなで瓦礫を撤去した。予想は的中でお母さんらしき人が挟まれていた。何とか助けだしたが意識がない。医師に伝えると、
(すぐにドクターヘリを要請するから、心配停止のようだ・・・)
20分ほどして、ドクターヘリが救命救急医療センターから救助に来た。すぐに親子をヘリに乗せ病院に向かった。)
救助だけでは先に進まない。医療チームと自衛隊が率先して避難した人たちに確認をした。
(家族や兄弟、また友達、側にいた人など、見当たらない人はいますか?もし、あの人がいないなど、あったらすぐに伝えてください。)
拡声器で呼びかけた。
時刻は朝6時になっており、私は震災3日目の朝を迎えた。
その時、医療チームの医師が、私に言った。
(これから災害派遣医療チームのメンバーが、名古屋と大阪からこちらに到着するんだ。それで、私と看護師と月岡さんで南阿蘇村に向かうから。土砂災害が起きて被害がすごいらしい。それに孤立している集落もあって学生たちが取り残されているようなんだ。)
私たち3人は自衛隊のヘリで南阿蘇村まで向かうことになった。他の看護師と医師は残り派遣されてくる医療チームと合流し救助にあたることになっている。いったいどれだけの被害になってるんだ・・・ヘリから見える南阿蘇村を見て驚いた。山が土砂崩れを起しその下にある畑や家屋が見事にずれ込んで下がってしまっている。ここに橋があったのか・・寸断されて落ちてしまっている。どれだけの震度だったのか?
ヘリは集落した大学のキャンパス内に着陸した。学生たちは外に避難しており無事のようだが、学生寮と思われる2階建のアパートは一階部分が押しつぶされ2階部分だけが残っていた。学生たちによると中に人が残ってるようで助けようにも助けられないと言っている。自衛隊の他にも消防署からヘリが到着して救助にあたることになった。私たちも一人一人、学生を援護しながらヘリに誘導する。
この倒壊したアパートからどのように救助すればいいのか・・・やれるとこまでやらなければならない・・・
(Is it AI? Was it all right? アイ?大丈夫だった?)
(Is it Tiffany? え?ティファニー? )
驚いた。何で?ティファニーが????
(Is why; here? どうしてここに?)
(Because a chief goes to Minamiaso-mura. When I joined AI and rescued it, I came. チーフが南阿蘇村に行くからって。愛たちと合流して救護するって来たの)
ティファニーと、この南阿蘇村で再会した。お互い無事で良かったが、ティファニーがいた避難所もすごい被害で、近くの公園や学校の校庭、また大型スーパーの駐車場などにたくさんの人が避難してきた。泣きながら家族に電話をかける女性や、怯えて震えてる子供、落胆している人など、ニュージーランド地震よりはるかに衝撃が凄かったようだ。
警察のヘリも到着してアパートの中にいる学生の救助が始まった。
クレーンや重機などは交通網ががけ崩れや地割れで遮断されてるため来ることができない。すべて人力で助け出すしかない。私もティファニーもかって出た。押しつぶされた1階部分からは入ることはできない。2階部分から床を壊し、救助する方法を実行した。1時間、2時間と過ぎても人らしきものが見えない・・もしかしたらすでに逃げ出してるのでは?と、バールやハンマーなど壊し続けてると、人が見えた。
(いたぞ!ここだ。みんな来てくれ!!)
警察の人が学生を探し出したようだ。天井部分をハンマーで叩き、バールで押し上げ引きずりだした。生きてる。けがもないようだ。奇跡だよ。 助け出された学生によると就寝中に突然、大きな揺れに目が覚めて天井が落ちて来た。無我夢中で逃げようとしたが身動きが取れなくなってしまった。
また一人、救助された。この学生は(緊急地震速報)の音で目が覚め、スマホを見ようとしたとき壁が倒れてきた。『助けて!!』と何度も叫んだ。しかし反応がなく(死にたくない・・・)と思いながら救助を待っていた。
1階は6部屋あり、内4名は救助された。残すは2名だがその部屋の真上から入り込んでも反応がない。しばらくして自衛隊の人が発見した。
(たのむー!こっちに来てくれ!!)
押し潰れた天井部分を壊しながら女子らしき学生を引きずり出した。ぐったりしていて意識がない。と、その時、警察の人から呼びかけがあった。
(見つけた!!!ここにいたぞ!!早く来てくれ!!)
自衛隊や消防隊の人たちも駆け寄った。この学生は男性でやはり意識がない。すぐに消防のヘリに乗せ救命救急医療センターに向った。
私たち医療チームもヘリで益城町の避難所に戻り、救援に向かう。
生きる・・・諦めない。
報道によれば、4月16日 土曜日に起こった地震は震度7、その直ぐには震度6強の震度が襲った。この16日現在で、死者41人、負傷者1000人以上、避難者9万人、余震330回という熊本県では観測史上、初の記録を作ってしまった。
私は【神】という存在を疑った・・・