00話:エピローグ
幾線もの赤い閃光が放射線状に広がると、闇夜を裂いた。どうやらもう、あまり時間は残されていないらしい。銀色の光沢を放つ星鳳器に跨ったウォルムス公国リヒト第一王子は、その光を追って夜空を駆ける。
「王子、危険です! お下がり下さいっ!」
後ろには、王子直属の近衛騎士団が何十、いや何百人規模の隊列を組んでいる。しかし、彼らとの差は瞬く間に広がっていく。
「王子――ッ!」
彼らの叫びをそのままに、リヒトは更にスピードを上げて、漆黒の風を切る。もはや、通常の星鳳器ではあの術式は止められない。それならこの《月の星鳳器》の使い手が直々に赴くというのが当然だろう。
夜空の閃光は更に色濃くなり、術式は最終詠唱に入った。深紅の瞬きが、ウォルムス公国の城塞都市の一つであるシルシャの、重厚なレンガ造りの街並みを照らす。ここが陥落すれば、ドルガ帝国の軍勢がウォルムス公国になだれ込み、多くの民が虐殺されることになる。リヒトの手には自然と力がこもる。
―――もっとだ、もっと早くっ!
奇しくも今日は、《月の星鳳器》が最も力を発揮できる、満月だった。輝き、闇夜を照らすその純白の光を吸い込むようにして、リヒトは限界を超えて加速する。物凄い衝撃と風圧に吹き飛ばされそうになりながらも、奥歯を噛み締めながら堪える。
今も波の様に広がり続けているこの赤い閃光は、ステージ四の巨大星術《アンタレス》に違いない。この様な超高火力星術を発動させるには、数百人もの星鳳士を一カ所に集結させる必要がある。それ程の兵力を投じてまで、破壊する対象といえば……。
リヒトは目を凝らした。街を取り囲むようにして延々と続く城塞、その彼方にひときわ目立つ大きな砦が見える。ドルガ帝国との国境線、シルシャ中央東門。この中央東門は公国領への最終防衛線という役割もあって、巨大、かつ重厚に作られている。今まで幾度も敵の侵攻を阻み、ウォルムス帝国を守護してきた。
それを隔てた向こう側から、赤い閃光が螺旋状に天へと伸びているのをリヒトは見逃さなかった。
「……っ! 居た!」
シルシャ中央東門へ向かって、リヒトは更に速度を上げた。星鳳器に掛かる爆発的な衝撃のせいで、それを握るリヒトの掌に血が滲む。既に背後の近衛騎士団は見えない。
ものすごい勢いでシルシャの街並みが飛び去って行く。アンタレスは今にも天から落ちてきそうだった。リヒトのスピードを持ってしても、止められるかどうかは微妙な所だ。
まさか、ドルガ帝国の星術開発が、これ程まで進んでいるとは想像もしなかった。つい十数年前までは、ウォルムス公国が圧倒的にその技術力において秀でていたのにも関わらず、今ではウォルムス公国の星鳳士の英知を結集しても発動が難しいと言われるステージ4の術を、ドルガ帝国は目の前で発動するに至っている。もし、あのアンタレスが発動すれば、中央東門どころかシルシャの街全体が破壊の渦に巻き込まれることになる。
止めなければ。
民を守る使命と、どこかドルガ帝国の兵力を見縊っていた自身の責任が、リヒトの背中に凄まじい重圧となって響く。ここで斃れれば、第一王子の名が泣くだろう。
何としてもこのシルシャの街を守らなければ。
―――たとえ、この命に代えたとしても。
「うおおおおおお!!」
頭の中で否応なく想像させられる最悪のシナリオ、それを強引に振り払おうと、リヒトは絶叫する。この国を、そして未来を守る。
今考えるのは、それだけでいい。
―――止めどなく溢れるその熱情が奇跡を呼んだのか、それは分からない。しかし、リヒトが中央東門に集結していた敵の主力陣営に突入したのは、シルシャの街が壊滅するより先だった。
地面に降り立つ直前、跨っていたその星鳳器を頭上へ大きく振り上げる。
「呼び起こせ、《真夜中の皆既月食》!」
その瞬間、リヒトが降り立った場所から半径三十メートル以内に居たドルガ帝国の星鳳士が、爆発的な勢いで吹き飛ばされた。陣営に大きな穴が穿たれ、天空を覆っていたアンタレスの閃光も弱まる。
間に合った。安堵の感情がリヒトの胸中に湧き上がる。裂けた掌の痛みに表情を歪めながらリヒトは周囲に視線を放った。総数およそ七百から八百といった所か。限界を超えた飛行のせいで既にボロボロとなった体で対するには、聊か無理がある数だ。
ドルガ帝国の鎧をまとった星鳳士達は、その圧倒的な破壊力を前に一瞬たじろぎを見せたが、リヒトの姿を認識するや否や、我先にと星鳳器を掲げると一直線に突撃してきた。すかさずリヒトも応戦するが、簡単に防ぎきれる数では無い。元からのダメージも相まって、すぐに体中に生々しい傷跡が刻まれていく。
それから百、いや二百人は薙ぎ倒しただろうか。今まで最低限、致命傷から身を守っていた星護術の耐久も遂に切れ、リヒトが膝をついたその時、今までの兵士とは明らかに格の違うオーラを感じ取った。そして、周囲を囲う兵士の向こうから、黒い影が近づいて来ている事にリヒトは喉を鳴らした。
全身を悪趣味な紫色の甲冑で覆ったその体は、普通の人間の倍はあろうかという桁違いの大きさで、手にしている星鳳器も周囲の星鳳士とは比べ物にならないほど巨大だ。不気味な紫色の鈍い光沢と共に、黄色く濁った双眸がじっとリヒトの方へ向けられていた。圧倒的な嫌悪感が背中に冷たいものを走らせ、リヒトは身震いした。
「どうも、リヒト王子。お会いできて光栄ですよ」
地の果てから届く様な、どす黒い声。
「……ご丁寧な挨拶をどうも。こんな馬鹿でかい術式まで発動してくれて」
まだ血の滴る生傷を押さえながら、リヒトは笑った。天空は今も、不規則に揺れる光に一面覆われている。それはまるで、空が血を流しているようだった。
「せっかく王子を招待するなら、これくらい派手な演出があった方が良いと思いましてね」
「成る程、それにしても悪趣味な演出だ」
「そうですか。私は結構、気に入っているのですけど」
大男は気味の悪い笑い声と共にそう言うと、まっすぐ星鳳器をこちらに向けた。砦全体を照らす赤い光とは明らかに違う、鈍色の混ざった汚い紫色の光がその男の周囲を照らす。
「さて、王子様の側近御一行に到着されても厄介ですし、そろそろ終わらせましょうか」
頭上のアンタレスは再びその赤い輝きを取り戻し始め、シルシャの空は朝焼けの様に染まった。その光を通して見ているせいか、白く輝くはずの満月も赤く濁って見える。
近衛騎士団は、まだ到着しない。
リヒトはまだ血の止まらない脇腹の傷を押さえながら、長い溜め息を吐いた。それは王子としての揺るがない自敬と、それ故に負うべき覚悟の再認識だった。近衛騎士団が到着するまで、あの赤い巨星が堕ちるのを何としても防ぐ。
―――それが王子としての、恐らく、最後の使命。
リヒトはたった一人の、遥か遠い場所にいる家族に思いを馳せた。別段、思い出そうとした訳では無い。どうしてか自然と、リヒトの心情の中に浮かんできたのだ。
―――後は任せたよ、カイ……
恐らく自身の遺志を継ぐことになろうその家族の名を、しっかりと心に刻んだ。その直後に、全力で蹴り出した一歩に迷いはない。
「うおおおおおっ!」
手に持った星鳳器が純白の輝きを放つ。既に手の感覚は殆ど失われていたが、今までで最大の力をリヒトは感じ取る。対する大男の星鳳器も、紫色の光をおぞましいほど増大させている。
「食らえっ、《烈激超月の煌き》!」
「さよなら王子、《紫微星の虐殺》!」
開闢の光と禍殃の闇が。
今、交錯する。
・星鳳器
特定の星から発生するエネルギーを、地球上で使用できるレベルへ変換し、出力する杖状の装置。専ら武器として用いられるが、跨って飛行する事で移動手段に用いられたり、生活に必要なエネルギーの供給元として使われるなど、その用途は様々。エネルギー供給元の天体の種類によって、その特性や出力できる力の限度は異なる。エネルギーの出力方法は星術と呼ばれ、強さによって五段階に分類される。特別、星鳳器を扱う事を生業とするものを星鳳士と呼ぶ。
(ウォルムス王立図書館 資料七一三より)