別れと決意
※鬱?注意。
いつもどおりの朝だった。
いつもどおりの朝のはずだった。
いつものように朝起きて身なりを整え、昨日買った髪留めを着けて軽く運動し、汗を拭いた後朝食の準備をしてマスターを呼びにいく。
昨日は例外だったが今日はこの後家事をしながら魔法の練習をしてマスターの長話を聞くのだろう。
そんないつもどおりの一日になると思っていた。
部屋の中でマスターが倒れているのを見るまでは………
「マスター!!」
急いで倒れているマスターの元に駆け寄る。何故床で寝ているんだ!とは思わなかった。いや、そう思いたかった。しかし、倒れているマスターの顔は生気が抜けたように蒼白で…
「マスター!どこか具合が悪いのですか。…返事をしてください。」
マスターは意識がないのかぐったりしている。治さないと、と思うがどこが悪いのかが分からない。それならばと全身に片っ端から治癒魔法を全力でかける。しかし、一向に良くなる気配がなかった。
「な、なんで………」
頭の中が真っ白になって焦りばかり募ってゆく。
「………っぅ。」
マスターが苦しそうに身じろぎをする。意識が戻ったのかもしれない。私は魔法で身体強化した後マスターを担いで近くのソファーにゆっくりと寝かせる。
「マスター」
私はマスターに呼びかけながら改めて治癒魔法をかけようとする。しかしマスターの手が伸びてきてそれを遮る。
「…無駄だ。…もうしなくていい…。」
「マスター!…無駄とはどういう事ですか?」
意識が戻ったことに少し安堵するがマスターの言った事の意図がわからなかった。マスターの顔はいまだに蒼白であり苦しそうに歪ませている。とてもでないが何もしなくて良いとは思えなかった。
「…そのままの意味だ。…体はどこも悪くないから治癒魔法をかけても効果が無い…。」
「嘘をつかないでくださいマスター。どこも悪くない人が倒れたりしません。」
こんな時にマスターの嘘に付き合ってられる余裕が私には無かった。再度、治癒魔法をかけようと用意する。
「…嘘ではない。これはただの寿命だ…。」
「…寿命…」
そんな筈無い。そんな筈無いと頭の中で必死に否定する。確かにマスターは年を取っているかもしれないが殺しても死なないような人だと思っていた。寿命と言われても冗談にしか聞こえない。もし寿命がくるのだとしても私のほうが先だろうとさえ思っていたのだ。
「…一昨日の夜から魔法が使えなくなった。おそらく肉体と魂の結合が切れたのだろう。…こうなってしまったらもうどうしようもない。…もうすぐわしは死ぬだろう・・・。」
「…そんなっ!なんでそんな大事な事を私に言わなかったのですか!なんでそんな状態のくせに昨日私を街に行かせたのですか!」
たとえ事前に聞いていたとしてもどうしようもないのは分かっている。分かってはいるが聞いていれば昨日、のこのこと街に出かけたりはしなかったのに。肉体と魂の繋がりが切れてから生きていられるのはおそらく、通常のホムンクルスと同じくらい。つまり数時間から数日くらいだろう。いつ死んでもおかしくないのなら絶対に傍を離れなかったのに。
「…わしも確証がなかったのだ。それにそれが事実だとすると外を知らないお前は本当にいつまでもこの屋敷に引きこもってしまうのではないかと思ってな。」
「本当に…もう…だめなのですか…?」
「…ああ。蘇生魔法も魂が肉体から切れる前に肉体を正常に再生する魔法だ。切れた後はどうにもならん。…少なくともわしは知らない。」
ヒック…ヒック
視界が歪む………いつの間にか涙が流れていた。
「マスターでも…知らないことがあるのですね。」
「…当然だ。でなければ研究者になどなっていない…。」
「マスター…私の寿命、どうにかして延ばすのではなかったのですか?」
「…わしがしなくても…お前なら自前で方法を思いつけるだろう。…」
「マスターは…客観的に見て極悪人でしょう。ろくな死に方しないのではと思ってました。」
「…わしはただ知りたかったのだ。…その際ちょっと他人の都合を無視しただけだよ。…それに死に方にろくな物なんてあるのか?…」
「マスター…私はこれからどうすればいいのですか?」
「…それはお前が自分で考える事だ…。」
「マスター…研究はもういいのですか?」
「…まだやりたい事が多くあったのだがな。…仕方ない。一番無念なのは………もっと見ていたかった…。」
「??…マスター…私に出来る事は何かないですか?」
「…そうだな…。最後に一つだけ…まだ知らないことがあってな。…それを教えて欲しい…。」
「いいですよマスター。…私の答えられるものなら何でもお答えします。答えられないならすぐに調べてきます。」
「…わしはお前の笑っている所を見た事がなくてな。…どんな笑顔をするのか知らないのだ。………教えてはくれないか?…」
そうだっただろうか?初めて魔法が使えた時、料理が上手くいっておいしかった時、ちょっとした悪戯が上手くいった時、他にも機会は多くあったと思うのだが。しかし、マスターは見ていないと…教えて欲しいと言っている。
それならば………………
「………マスター…」
呼びかけても答える声はなくマスターはいつの間にか目を閉じて動かなくなっていた。ちゃんと見ていてくれたのだろうか…?
「…ウッ…ウゥ…ウァァァァァ」
私も言葉を出す事ができなかった。
屋敷の敷地の中にマスターのお墓を作った後、私はフラフラとセンテの街に向かった。
何か用事があったわけではない。ただマスターの居ない屋敷にいると寂しくて悲しくなってしまうのだ。屋敷の外はセンテ街しか知らなかったので自然とここに向かっていた。
街の広場の隅に腰掛ながらボーと道行く人々を眺めていた。
「…これからどうすればいいのでしょうか?」
誰に聞かせるでもない独り言を呟きため息をつく。マスターは自分で考えろと言っていたがどれだけ考えても答えは出なかった。これまでどおりあの屋敷で暮らすというのもいいと思うのだがマスターは私を屋敷の外に出そうとしていた。実際に一度外に出た事で今選択肢の一つに入っている。だが外へ出てどうするのかというのがまったく思い浮かばないのだ。
「どうしたの?」
いくらか時間がたったころ声をかけられた。ローブを被っていたからかいつの間にか隣に女性が立っていることに気づかなかった。知らない人という事で警戒するが追い払う気力もなくまたかなり煮詰まっていたこともあり素直に言葉を返していた。
「何をすれば良いのかわからないのです。」
女性は少し唸った後言葉を選ぶように
「あなたがしたいと思うことは何かないのかな?」
「私の…したいこと…」
正直会話が続くとは思っていなかったが言われたことについて考えてみる。だがやはり直ぐには思いつかない。一番はやはり今日まで…今日の朝まで続いていた日常を続けたかった。しかし、それはもう叶わない。その現実に再び涙が出そうになる。
「ああっえっと、そう楽しかった事は?今までしてきた事で楽しかった事や嬉しかった事は何かなかった?」
今までしてきた事…家事は必要だからしていた事かな。新しい料理とかに挑戦するのとかは楽しくはあったけれど、…運動や魔法の練習はどうだろうか。うん、楽しかった。新しい事ができると嬉しかったし思いついたことをいろいろと試すのは面白かった。でもこれは屋敷の中でも出来ることだ。…他にはマスターの長話だろうか?あれも楽しかった事だと思う。どうでもいいことを喋り続けて呆れることもあったがそれでも毎回話しを真面目に聞いていたのはマスターの話の内容が私の知らない事だからだ。ただの知識ではない。そんなのは聞かなくても知っている。話の内容は知識をマスターの経験から更に解釈した物だった。正しいかどうかは分からない。事実、突飛な話もいくつかあった。しかし大事なのはそこではない。私の足りない経験では思いつかない事。マスターの話を聞くと多くの知識を与えられ知っている事…知っている筈だった物が知らないかもしれない物に変わるのだ。そのことに毎回私の胸が弾んだ。
しかし、マスターはもう…いない。屋敷にいてももう自分の知らない事を見つけることは出来ないかもしれない。外ならどうだろうか?昨日初めてこの街にきてとても胸が弾んだ。どれも初めて見る私の経験した事のない…知らない光景だったからだ。
他にもあるのだろうか…。この世界には私が知った気になっている物が!もしかしたらマスターも見た事の無い新しい物が!
…見つかったかもしれない…私のしたい事!
「ありがとうございます!お姉さん」
私は急いで街をあとにし屋敷に向かった。
屋敷に着く頃には完全に日が落ちてしまっていた。真っ暗な屋敷は昨日と違って私を出迎えてくれる人はいない。暗い気持ちになりながらも明日に備えて準備をした。
机の上に残った完全に冷えてしまっている二人分の朝食を見たときはもう一度泣いてしまった。
次の日の朝、私は昨日作ったマスターのお墓の前にいた。
「マスター、行ってきます。…次帰ってきたら今度は私がマスターに長話をしてあげますね。」
他にも言いたい事はあったのだがこれ以外の言葉は出てこなかった。
そして私はそのまま屋敷の外に出た。
そう、私は《知らない事》を探しに旅に出る事に決めた。
「今までありがとうございましたマスター。」
※次回一週間以内の更新を目指します。