#09:もしかして、運命の人?
長らくお待たせしました。
少し長くなってしまいました。
どうぞよろしくお願いします。
俺達は少しずつ近づけていると思う。それでも……。
彼女は、就職試験が近づくとピリピリとし出した。そしてついに試験が終わるまで逢うのを止めたいと言い出したのだ。
そんな事を言い出したのも、彼女にとってこの試験は、とても重要なものだからだと思う。
誰だって就職試験は社会へ出るための第一関門だから重要だろう。でも彼女の場合、女手一つで苦労して育ててくれた母親の「女性も男性と同等の評価をしてもらえる仕事につかないといけないよ」と言う言葉を受けて、高校生の頃から公務員を目指して準備し勉強をしてきたから、なお一層その思いが強いのだと思う。そして、とうとうその試験を目前にして、他の事に気持ちを向けていられなくなったのだろう。
思い返せば、俺と付き合うかどうかは就職試験が済んでから考えると言う事で、いったん保留されたのだった。それを前倒しで付き合う事になったのだから、恋人として待つ三ヶ月ぐらい、どうって事ないと自分に言い聞かせていたんだ。
恋愛を断って人生の大きな難関に立ち向かう彼女を思うと、逢いたいとか、逢えなくて淋しいとか、声だけでも聞きたいとか、安易に言い出せなかった。電話をする事さえ憚られた。それでも何とかメールだけは許してもらい、彼女の方から電話をかけてくれるのはいつでも大歓迎だからと、俺は笑ってみたが、彼女は苦笑するだけだった。
4年生になった彼女はサークルのリーダーを伊藤先輩に譲り、サークル自体へも出てこなくなった。唯一大学での接点であるサークルで会えなければ、本当に試験が終わるまで見る事も出来ない。寂しさを感じながらも、彼女のためにできる事は勉強の邪魔をしない事だけだった。
せめてメールが彼女の息抜きになるように、日常の中の何げない風景や、身の回りの物を写メールした。けれど、頑張れと言う言葉だけは添えないでおこうと決めていた。
律義な彼女は、こちらがメールを送ると必ず一言のメールを返してくれた。そんな彼女からのメールで、まだ彼女と繋がっているんだと安堵している俺だった。
彼女は一次試験を乗り越え二次試験を終えた日、メールをくれた。
『無事に試験が終わりました。結果が出たらまた連絡します』
俺はそのメールを見て、やっと会えると喜んで電話をした。けれど彼女は結果が出るまでは会えないと言う。結果が出るまでは落ち着けないからと言う彼女に、無理に会いたいとは、やはり言えなかった。
そして、待ちに待った連絡が来たのは、8月の半ば過ぎだった。学童のアルバイトを終え、携帯を確認するとメールが来ている事に気付いた。俺は急いでメールを確認すると、すぐに彼女に電話をかけた。
「美緒、おめでとう」
「ありがとう。長い間会えなくて、ごめんね」
「そんな事はいいんだ。美緒が無事に合格したんだから、言う事無いよ」
「うん。私もホッとしてる。慧のメールが励みになったの」
「そっか。邪魔になってなかったんだったら、いいんだ」
「邪魔だなんて……慧からのメールのお陰で煮詰まらずに済んだのよ」
彼女の言葉が嬉しくって今すぐ会いたくなった。
「今日はもう遅いから、お祝いは又週末にでもさせて欲しいけど、帰りにちょっと寄ってもいいかな?」
「ごめん。今から姉達がお祝いしてくれるの。だから……」
「わかった。じゃあ、今度の土曜日は、絶対に空けておいて」
何よりも家族を大事にしている彼女だから、無理は言えない。
「うん。大丈夫。楽しみにしてる」
今はまだ家族の次でも仕方が無い。いつか、彼女の中で一番の存在になれたら……。
でも、やっと、大きな山を乗り越えて、これから本格的に彼女との距離を縮めて行けるだろうと、俺は心密かに期待していた。
土曜日は彼女との久々のデートで、俺は内心浮かれていた。けれど、彼女の何となくよそよそしい雰囲気に、近づいたと思っていた俺達の距離が、また元に戻ってしまった様な気がした。
彼女が逢うのを止めたいと言い出してから約四ヶ月、ずいぶん長い間逢わずにいて、よく我慢できたものだと思う。でも、彼女の方は逢いたいとか、声が聞きたいとか思わなかったのだろうか?
今は助手席で流れ去る風景に目をやっている彼女と、ただ前を向いてハンドルを握る俺の間を、言葉の見つからない戸惑いが溝を作って行く。ただFMの音楽がその溝を静かに流れていく。
俺は彼女と逢えば、逢わなかった四ヶ月なんて無かったかのように、また四か月前の続きから二人の距離を縮められると思い込んでいたんだ。
彼女は自分の将来が決まった事で現実が見えて来て、二つ下の学生の俺なんかと付き合う事を後悔し始めているんじゃないだろうか?
そんな想いに囚われ始めると、俺はますます何も言えなくなってしまった。
「どこへ行くの?」
沈黙を破ったのは彼女で、でも俺は最初から行先は内緒にしておくつもりだったから、「ひみつ」と素っ気なくならないように気を付けながら、柔らかく言った。
「じゃあ、楽しみにしてる」
彼女の方からも、少し笑みを含んだ様な声で返って来た。
こんなやり取りだけで、さっきまで感じていた緊張が、少し緩んだ。
一時間程して着いたのは、二人の始まりの雪の山の麓。
今は夏だから雪は無いけど、この時期の山の上は避暑地のように涼しいらしい。
「あ、ここは……」
どこだか気付いたらしい彼女が、声を上げて俺の方を見た。俺が笑って頷くと、彼女は恥ずかしそうに顔をそむけた。
あの日と同じようにロープーウェイに乗って頂上へ。夏休みのせいか家族連れが多い。ロープーウェイを降りると、地上とは違う澄んだ涼やかな空気に包まれた。少し緊張気味だった彼女の表情が緩む。それを見て俺も無意識に入れていた肩の力を抜いた。
前回は、一面真っ白な銀世界で、山の風景などはわからなかったけれど、夏山は緑がまぶしかった。
冬にはスキー場になる所は草原で、子供達が段ボールそりで遊んでいる元気な声が響いている。
「あれ、楽しそうだね?」
子供達の声のする方を指さし、彼女はそちらへ視線を向けたまま言った。「やってみる?」と言うと、彼女は驚いたように振り返った。
「ううん。甥を連れて来てあげたら、喜ぶかなって思ったから……」
「お姉さんの子供だっけ? 今何歳?」
「2歳なの」
「2歳って、もうそりとかできるの?」
「しっかりしてるから大丈夫だと思う。大人が一緒にすれば」
親の足の間に子供を座らせて一緒にそりをしている親子を見て納得しながら、あんな風に自然の中で親子で遊べるのはいいなと思った。けれど、自分の事としては上手く想像できなかった。俺にとってはまだ遠い未来の事だ。だけど、彼女の方は甥と一緒の生活の中で、より身近な事なのかもしれない。
遠い未来に彼女は隣にいてくれるのだろうか? いや、それよりも今、彼女は俺との事をどう考えているんだろう。チラリと彼女の方を見ると、彼女は温かい眼差しで子供達の遊ぶ姿を見つめている。
こんなところで真剣な話をするのもな。
まあ、今日はこの自然を楽しもう。
俺がこの場所を選んだ意図を、彼女が何となく気付いてくれたら、それだけでいいさ。
俺達は遊歩道を歩きながら、お互いの胸の中にあるモヤモヤしたものを、この清涼な空気で浄化している様な気がした。彼女の表情はだんだんと柔らかくなり、俺も自然に笑えている。
やっぱり来てよかった。
「私ね、こんなに長く逢わずにいたから、もう愛想尽かされちゃってるかも知れないって思ってたの」
「えっ?」
俺は思わず立ち止った。
彼女も同じような事を思っていたなんて……。
行き過ぎた彼女が振り返って苦笑する。
「でもね、落ちる訳にはいかなかったから……」
俺と会うと落ちるのか……と言う疑問が頭をよぎったけれど、俺は「しかたないよ。美緒の目標だったんだから」と彼女に理解を示した。
「そうじゃないの。もしも落ちてたら……あなたは自分のせいだって思ってしまうでしょ? 前倒しで付き合ったせいだって、あなたに後悔して欲しくなかったの」
ええっ? 何だって? 俺に後悔して欲しくなかったからだって?
でも実際、美緒が落ちていたら、俺も責任を感じてたかもしれない。でも、俺はそんな事まで考えが及ばなかった。彼女は俺に会いたい気持ちは無いのだろうかと不安な気持ちでさえいた。
「本当にごめんね。友達にも、彼に逢う事で頑張るエネルギーがもらえるんじゃないのって言われたんだけど……私、逢えると思うと浮かれちゃって、勉強に集中できなくなっちゃうから……」
「………」
君はいくつ爆弾を落とせば気が済むんだ。
さっきから何も言えずにいる俺は、驚きと嬉しさで胸が一杯になった。今すぐ彼女を抱きしめたい。でも俺達がいる場所は、木立の中で歩いている人は少ないと言え、声は響いているから、すぐに誰か来てしまうだろう。
俺の様子に気付いた彼女は、自分で言った事を自覚して盛大に照れた。
「いや、あの……逢いたくなかった訳じゃないから……」
「うん。わかったから」
俺今、顔が赤くなってるかも知れない。
頬が上気しているのを感じた俺は、彼女の方を見る事ができなくて、彼女の手を取ると、スタスタと歩き出した。引っ張られるように付いて来た彼女が驚いて「どうしたの?」と声をかけてくる。
「どうもしない。ただ……一緒だから。俺もずっと美緒に逢いたかったんだ」
そう言った途端に彼女がぎゅっと手を握り返してきた。その時俺は、以前よりもずっと彼女を身近に感じていた。
この日を境に、彼女の俺といる時の緊張感が急速に消えていったと思う。そして、秋も深まった頃、彼女の家族を紹介してもらった。
彼女の家まで送り迎えする事は少なかったけれど、その時彼女の家の中へ入る事も、家族を見かける事もなかった。きっと俺との事は内緒にしていたんだと思う。でも、彼女のお姉さんは気付いていたらしく、一度家に連れて来なさいと言われたと、俺を招待してくれたんだ。
お姉さん家族はニコニコと迎えてくれ、ご両親はすでに他界しているとの事で、俺は仏壇に挨拶をさせてもらった。彼女の甥もやんちゃ盛りで、これならあの草原のそりは大喜びだろうなと想像できた。
彼女のお義兄さんはなんと、俺の実家の近くの大学出身で、こちらの友達の所へ遊びに来ていて事故にあい、入院した病院で看護師だったお姉さんと知り合ったらしい。お義兄さんも年下らしく、何となく親近感がわいた。
高校生の頃の恋愛は本人達だけの事で、相手の家族は関係無かった。けれど、彼女の身内に受け入れられると言う事が、思いの外嬉しかった。そうして彼女の存在が、益々身近に感じる様になって行ったんだ。
10月は二人の誕生日の月だ。偶然にも一日違いで20日が彼女、21日が俺。それを知った時、俺は初めて運命と言うものがあるかもしれないと思った。
父とお互いに運命の人だと言う母。運命の人に出会ったと嬉しそうに話す兄。何かに付け運命にしたがる家族に感化されてるなと思うけれど、やはり彼女は運命の人かもしれないと俺は感じ始めていたんだ。
2013年1月19日改稿しました。