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あの虹の向こう側へ  作者: 宙埜ハルカ
第二章:婚約編
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#17:言い訳と氷解の夜

「美緒、こんなに遅くにごめん」

 挨拶もそこそこにいきなりの来訪をまず謝罪した。あいつは「ううん」と小さく首を横に振ると、俺を玄関の中へと招き入れた。

「今まで仕事していたの?」

「ああ、いろいろしてるとすぐに時間が経ってしまうんだ」

「夕食は?」

「途中で軽く食べたよ」

「寒いから部屋へ入らない?」

 珍しくあいつが、次々と質問を繰り返す。今日学校で会ったばかりなのに、突然来た事に何か感じているのか。

「いや、ここでいい。本当はこうして会いに来るのも、いけないと思っているんだけど、どうしても今日だけは美緒の顔を見て話したかったんだ」

 俺の焦ったようなお願いを聞いて、あいつは神妙に頷いた。そして覚悟を決めたようにこちらを真っ直ぐに見つめると、俺が話し出すのを待っていた。

「美緒、今日は美緒に相談せずに、西森さんにあんな事言って、ごめん」

 あいつは俺の謝罪を分かっていた様に首を横に振った。

「私の方こそ、千裕さんに本当の事を言って無かったから……慧に嫌な思いさせてしまって……ごめんね。でもね、千裕さんは好奇心や興味本位で言ったんじゃないからね。慧の事を応援したいって思っているからだからね」

 やはりあいつは西森さんの天然爆弾は、自分のせいだと思っているようだ。西森さんが興味本位だけじゃない事も分かっている。でも今はそんな事はいいんだ。それよりも確認しなければいけない事がある。

 俺はあいつの謝罪を気にするなと言う意味を込めて首を横に振り、真っ直ぐにあいつを見つめた。そしてゴクリと唾を飲み込むと、覚悟を決めた。

「美緒も……知ってたのか? 大原先生を送り迎えしていた事」

 あいつはゆっくりと頷くと、俺の目を真っ直ぐに見た。まるでそんな事は気にしていないと言うように。俺は「そうか」と言うと、小さく息を吐いた。

「2学期の懇談会の時、西森さんに、俺と大原先生が関係あるような事を言われて、驚いたんだ。それ以前にも西森さんは、大原先生と美緒が似ているって言う話をして来たから、美緒から何か聞いてるのかと思ったりしたけど、とぼけてたんだ。そうしたら、美緒との事じゃ無くて、大原先生と関係あるように言われて……やっぱり、美緒もそう思っていたのか?」

 かねてからの不安を俺は口にした。あいつは何か考え込むように視線を落としたまま、黙り込んでいる。しばらく後、俺は痺れを切らして「美緒」と呼び掛けた。

「ごめん。俺が美緒に何も言わなかったから、美緒を不安にさせたんじゃないか?」

 何も答えないあいつは、自分の中の不安と戦っているのだろうか。

 俺達はお互いが不安に思う要素を、もっと早くにハッキリさせて、解決しておくべきだったんだ。

 あいつも俺も、まだまだお互いに遠慮しているのかもしれない。

 

 あいつは覚悟したように顔を上げ、口を開いた。

「1学期の頃、慧と愛先生がデートをしていたって、二人は付き合っているって噂を聞いたの。その後、キャンプの時に二人の雰囲気を見て、やっぱり本当なんだって思ってた。ずっと……」

「そんな噂が流れていたのか……」

 驚いた。噂が流れていた事も驚いたが、そんなに以前から俺と愛先生の事を誤解していたなんて。いや、あの頃は諦めようとわざとそうしていた部分もあった。

 今までの不安を口にしたあいつの辛そうな顔を見た途端、あいつを抱きしめていた。

 あいつはそんなに前から、不安を抱えたまま耐えていたのか。

 あの頃はお互いの気持ちが分からなかったとは言え、俺は自分の気持ちを偽って、あいつにあてつける様な態度を取っていた。なんて馬鹿な事をしていたんだ。

「ごめん。美緒、ごめん。そんな噂が保護者の方まで流れているなんて、知らなかった。大原先生とは本当に関係ないんだ。付き合ってもいない。でも……彼女が赴任して来て初めて見た時、驚いたんだ。以前の美緒と髪型が同じで、そっくりに見えた。だから、たぶん、彼女に対しての俺の態度が、他の女性に対するものとは違っていたんだと思う。だから、周りの同僚から二人はいい感じだと冷やかされても、なぜか否定できなかった。それに、彼女は大学時代に男子バスケのマネージャーをしていて、バスケの話で意気投合して……デートしているのを見たと言うのも、バスケの試合を見に行った時だと思う。デートのつもりはなかったけど、周りには余計に良い仲だと思われたみたいで……それが、保護者の方まで噂になっているなんて……」

 俺はあいつを抱きしめながら、一生懸命あの頃の言い訳を続けた。それは自分自身に対する言い訳でもあった。

 あいつを忘れ切れなかった俺は、あいつに似た愛先生を見て心が揺れたのは確かだった。でも、そんな自分が許せなかった。


 突然あいつが俺の胸を押して俺の腕から逃れ、「もしも、私がこちらへ帰って来なかったら……」と呟くように尋ねた。

 何を、一体何を考えたんだ?

 何を思ってそんな事を訊くんだ?

 もしかして、あいつと再会していなかったら、俺は愛先生と付き合っていたとか思ったのか?

 こちらを見上げたあいつと目が合い、俺は焦ったようにあいつの腕を強く掴んだ。

「美緒。美緒とたとえ再会しなかったとしても、噂の様になる事は無いよ。分かってしまったんだ。大原先生に美緒を重ねて見ている事に……」

 強く言い募る俺を、見上げたあいつの怯えたような表情を見て、俺は我に返り、掴んでいた腕から手を離した。

「……それに、今回の送り迎えしていたって言うのも、今日話したように俺の責任なんだよ。スキー場で凄いスピードで突っ込んで来た人を避けるのに、咄嗟に大原先生を突き飛ばしてしまったんだ。そのせいで腕を骨折して、運転ができなくなったから、送り迎えをしていたんだよ。他の先生も交代しようと言ってくれたけれど、俺の通勤途中に大原先生の家があったから、俺にとっても一番都合が良かった。それだけの事なんだ。……美緒に何も言わなかった事は、悪かったと思ってる。2学期の懇談会で、西森さんに大原先生と関係があるように言われて、初めて美緒もそんな風に思っているかも知れないって、不安になった。だから、言えなかった。どんなふうに言っても、美緒に誤解されそうで……」

 俺はとうとう自分で気付かないフリをしていた不安を口にした。情けないと思うけど、再びあいつを失う事が一番怖い事だった。

 しばらく考え込んでいたあいつが、急にクスッと笑った。

 え? 何か笑うような要素があったか?

 俺は問いかけるようにあいつを見た。


「ごめんなさい。私達、まだまだ試されているんだなって思ったら、なんだか可笑しくなってしまって……由香里さんに言われたの。二人が一緒にいると何度でもお試しがあるって。それは、二人の絆をより深めて行くための試練なんだって……私、その話を聞いたとき、3年間の辛い日々のことを思ったら、乗り越えられるって思ったの。それなのに、ぜんぜん成長していなくて……なんでも話し合おうって言ったのに、慧に心配かけたり、愛想つかされたりするのが怖くて、不安な気持ちが言えなかったの。本当にごめんなさい」

 試されている?

 俺達の気持ちが試されているのか?

 こんな事で気持ちがすれ違っているようじゃ、まだまだだと言う事か?

 いや、俺達はあいつの言うようにあの三年間を乗り越えたんじゃないか。

 何の約束も無く、心変わりを受け入れて、それでも忘れられなかった。

「何謝っているんだよ。悪かったのは俺の方だろ? 俺が何も言わなかったから……」

 お互いが不安から本音が言えず、それもお互いを想うゆえだから。

 最後まで言う前にあいつが俺の腕に触れて、俺を見上げて微笑んだ。

 その微笑みは、あいつに始めてあった時に見た微笑と同じだ。心に染み入る笑顔。  

「慧、お互い様だから、もうこれ以上言うのは止めよう? 私達はまだまだって事なのよ。だから、何度でも試されるんだと思う。でもね、強い体を作るのでも、負荷を掛けて鍛えるでしょう? それと同じで、今回の事も二人の絆を強いものにするための負荷だと思うの。やっぱり慧と分かれた後の辛さを思えば、どんな事だって乗り越えられると思う。今こうして慧の傍にいられる幸せを、私は大切にしたいの」

 ああ、あいつはいつもこうだ。

 さっきまで泣いていたと思ったら、もう乗り越えている。いつも背を真っ直ぐにして前を見ているあいつの強さを改めて確認した。

 笑顔を向けたあいつをまじまじと見つめる。どこにそんな強さを隠し持っているんだ。

 俺が何も言わずに見つめているからか、あいつは急に不安そうな顔になり視線を逸らした。

 さっきはあんなに強く言い切ったのにと思うと可笑しくなって、俺は噴出した。

「美緒にはやっぱり敵かなわないな」

 俺は自嘲気味に笑いながら降参した。

 そんな俺を見上げたあいつを愛おしく思いながら見つめる。

 やっと取り戻したこの愛を、もう二度と手放したくない。   

「まだまだ俺達が試されるなんて思いたくないけど、美緒の言う通り、俺達って成長が無いって言うか、学習してないよな。美緒はいつも強いなって思うよ。今だってもう気持ちを切り替えている。美緒のそんな前向きな強さが好きだし、羨ましいよ」

「そんな事無いよ。今だって不安だらけだもの……慧の方がいつも自信に溢れて、前を向いて頑張っているじゃない」

「美緒の前では虚勢を張っていただけだよ。本当は不安で怖くてしかたないんだ。本当に美緒は、もう一度俺と一緒にいてくれるのかって……」

 俺はあいつの言葉を受けて、無意識に自分の中の一番の不安を口にしてしまった。それは、あいつの罪悪感を思い出させるものだと言う事を、すっかり忘れていた。

 あいつの悔やんだような申し訳なさそうな顔を見た時、やっと俺は思い出した。

「ごめん美緒。美緒を責めている訳じゃない。こんな事言ったら、美緒が気にするのを分かっていたのに……俺は、美緒が負い目で俺の傍にいなくちゃって思うのが嫌なんだ。同情とか謝罪の意味で、俺の気持ちを受け止めるのなら、はっきりと断って欲しい。確かに、あの時の事を思い出すと怖くなる。でも俺は、あの別れは、俺たちにとって必要な事だったんだと思っている。あの時俺は学生で、美緒には拓都がいて、どうしようもなかったんだって納得している。だから、もう、俺に対して申し訳ないとか、負い目を持たないで欲しいんだ。償いなんて欲しくない。俺は純粋にこれからの人生を美緒と歩いて行きたいと思っているだけだから。拓都も一緒に」

 あいつはまだまだ俺を裏切った罪悪感から抜け出せていない。もう俺は、あの別れは仕方のなかった事だと理解しているのに、あいつはまだ自分を許せていないんだ。ゆっくりでいいから、その罪悪感そのものを忘れて欲しい。

 強いのに泣き虫なあいつの目から涙が決壊しそうだ。

「慧、ありがとう。確かに負い目や罪悪感はあるし、自分のした事を忘れちゃいけないとも思うの。同じ事を繰り返さないためにも。でもね、この気持ちはそんなものとは関係ないの。あの別れ以前と変わらない、いいえ、再会してからもっと大きくなっている。……慧、慧が好きだから、私もこれからの人生をあなたと歩いて行きたいと思っているの。……本当にこんな私で、いいの?」

 あいつも俺も馬鹿だよな。お互いにこんなに想っているのに、相手を想いすぎて不安になって……。

 何を今更そんな事を訊くんだ?

 普段素直に自分の気持ちを言わないくせに、今日はやけに素直で……。

 俺は堪らなくなって、あいつの名を呼ぶとそっと抱き寄せた。そして、涙の溜まった目元に、頬にキスを落とし、耳元に唇を寄せて「美緒、愛してる」と囁いた。

 途端にあいつの目から涙が決壊し、俺はあいつを強く抱きしめると唇を重ねた。





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