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あの虹の向こう側へ  作者: 宙埜ハルカ
第二章:婚約編
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#13:夜の学校にて

 拓都がインフルエンザで早退してから毎日様子伺いの電話をしている。これは、どの児童が休んでも、必ずしている事だ。だから、いつもあいつに電話を掛ける時と違い、拓都の寝る時間まで待たずに電話をする。

「もしもし、拓都はどうだ?」

「ありがとう。今日はそれほど熱は上がっていないの。熱が下がっていると退屈そうにしてるわ」

 どこの子供も同じらしい。高熱の時はぐったりするが、熱が下がると途端に元気が出て、寝ていてくれないと母親達は口を揃える。

「美緒の方は大丈夫か? 子供が治りかけた頃に気が緩んでうつったりする事もあるから、気をつけろよ」

「うん、わかっているよ」

 

 拓都がインフルエンザになってから、電話でのあいつの声のトーンがいつもと違って暗い。唯一の家族が病気なのだから仕方のない事かもしれない。俺はその事に触れずに会話を続けた。

「今日は土曜日だし、欲しいものがあったら買って行くから、家に寄るよ」

 今日はいつもより早い時間に電話をした。それは少しでもあいつの助けになりたくて、買い物を申し出るためだ。

「大丈夫。生協で一週間分の食材を注文しているから。それに、慧にうつしたら大変だしね」

 やはりあいつは甘えてこない。こんな風に断っているのに、無視して押しかける事もできない。幸いインフルエンザの方は、早くに病院を受診したお陰か薬が効いたようだ。

 インフルエンザの場合、発症後5日を経過しなければ学校への登校が許可されない。その上、解熱後2日を経過する事も必須条件だ。だから、拓都の場合は最低でも来週の月曜までは出席停止だ。

 このまま熱が上がらなければ、火曜日には登校できるだろう。そうすればあいつも出勤でき、いつもの元気が出るだろう。早くいつものあいつに戻って欲しいと願いながら、俺は電話を切った。



 拓都が全快して登校した日の夜、俺はいつものように拓都の寝た頃に電話を掛けた。あいつの声のトーンが明るくなり、元に戻ったことに俺は安堵した。

「美緒、やっと元気が出たみたいだな?」

 安心した嬉しさから思わず出た俺の問いかけに、あいつは驚いたようだった。俺は慌ててここ数日あいつの声のトーンが暗かったんだと説明した。

「拓都の病気のせいで参っていたのだろ」

「そうね。やっぱりいつもの日常が一番いいね」

 あいつは苦笑したように答えた。


「そうそう、今週の金曜日の夜、3学期の広報の会議なの。19時からなんだけど、慧はまだ学校にいる時間?」

 たわいもない会話の後、あいつはこんな事を言い出した。

「いつも、19時頃はまだ学校に入るけど、何か用事あった?」

「別に何もないんだけど……私が行く頃に、居るのかなって思っただけで……」

焦ったように言い訳するあいつが可愛い。それって、俺の顔を見たいって事だろ? 素直に会いたいと言わないあいつが可笑しくて、俺はクスッと笑った。

「わかった。それで、美緒はその日、何時頃学校へ来るんだ?」

 笑いを抑えながら、あいつに会える時間が取れるか頭の中で画策する。7時過ぎには学校を出なくてはいけないけど、7時からの会議の前なら10分弱の時間なら取れるだろう。

「5分から10分前には着くように行くつもりだけど」

 俺が笑ったせいか、あいつの天の邪鬼に火をつけたようで、返答の声が低いトーンだ。恥ずかしくて素直になれないあいつのいつものパターンだと思うと、また笑いがこみ上げそうになる。でも、これ以上拗ねないように、気をつけなければ。

「じゃあ、10分前には着くようにおいでよ」

「忙しいから、約束はできない」

 やっぱり拗ねているなと内心苦笑しながら、こちらから折れる事にする。

「みーお、一目でもいいから会いたいんだ」

 あいつは言葉に詰まったように一瞬黙り込む。電話だけど、どう返事をしようかと焦っている姿が見えるようだ。

「で、でも、他のメンバーも集まって来るし、西森さんだって……」

「担任からクラス役員さんに渡すものがあるんだけど……ダメかな?」

「もう、慧には参るなぁ。……それで、10分前に行って、職員室へ寄ればいいのですか? 守谷先生」

 天邪鬼なあいつでも歩み寄れる落し所に持って行くのは、以前の時に習得した裏技だ。案外あいつもわざと天邪鬼な態度を取っているのかも知れないなと、遠く過ぎ去った二人の過去へと思いを馳せる。

「いや、俺が時間を見計らって玄関の方へ行くよ」

「はい、了解しました。……でも、本当に渡すものなんてあるの? なんだか慧に上手く言い包められているみたい」

やっぱりあいつも分かっているんだなと思いながら「ハハハ」と笑って誤魔化した。あいつも暗黙の了解のごとく「フフフ」と笑った。


    ****


 約束の金曜日、定時を過ぎ帰って行く同僚もいる中、終え切れない仕事を続けている。それでも心の中はソワソワとし、職員室の壁に掛けられた時計をチラリと確認してしまう。後30分かと、席を立つ時間を見計らって仕事を進める。6時40分を過ぎた辺りで、トイレでも行く風に何気なさを装い職員室を出た。

 玄関のガラス扉の向こうは闇に沈み、昼間の子供達の声が響く賑やかさと相対する様に、物悲しいほどの静けさが夜の学校に広がっている。

 いつもならそんな事に気付きもしないのに、用もないのに示し合わせてあいつと会うなんて言う非日常のせいだろうか。

 他の人が入ってきた時に見つからないよう、玄関口から死角になる様な場所にひっそりと佇む。夜の校舎内は灯りが少なく影が多いので、身を潜める場所には困らない。

 玄関の扉が開く音がして、そっと玄関の方をのぞくと、あいつが入って来て靴を脱いで上がろうとしている。俺は一つ息を吐き出して、影から灯りの下へと進んだ。


「篠崎さん」

 俺の呼びかけにあいつは顔を上げ、少し驚いた表情をし息を呑んだ。そんな表情も目の前で見る事のできる喜びに、胸が震えた。

「……こんばんは」

 あいつは少し挙動不審な様子で、挨拶をする。

「こんばんは、お疲れ様です。……時間通り、来てくれてよかったよ」

 俺は担任口調で挨拶を返し、後半は人目を忍ぶように声を潜ひそめた。

「うん。まだ誰も来てないのかな?」

 やはりあいつは、まだ緊張気味で、きょろきょろと周りに視線を彷徨わせてこちらを見ようとしない。密会と言うシチュエーションは、あいつには荷が重かったか。

「ずいぶん前に、広報の委員長だと思うけど、図書室の鍵を借りに来ていたから、もう来ているんじゃないのかな?」

「そっか、委員長達はいつも早く来ているみたいだから。もうすぐ他のメンバーもやって来るから、こんなところで話をしていてもいいの?」

 あいつは周りに誰もいない事に安心したのか、俺の方を見上げて問いかけた。やっと目が合い、まともに顔を見た気がする。拓都が早退した日から一週間ぶりのあいつ。触れる事はできなくても、やはり顔を見られるのは嬉しい。

「いいだろ? PTAの仕事でやって来た役員さんに担任が声をかけるぐらい。……ああ、そうだ。忘れないうちに、これを渡しておくよ。来月にあるクラス役員の会議のお知らせが入っているから。本当は今日拓都と翔也に渡すつもりだったんだけど、忘れた事にしたよ」

 そう言いながら、俺は手に持っていた二つの封筒を差し出した。

「守谷先生でも、忘れる事があるんですね?」

 あいつは封筒を受け取りながら、茶化すように笑った。俺も笑いながら肩をすくめて見せた。


 その時、玄関のガラス扉が開いて、冷たい風が吹き込んだと同時に明るい声が響いた。

「こんばんは~。あっ、守谷先生、こんばんは。美緒ちゃんも、もう来てたんだ」

 いつもの明るい西森さんの声に、あいつがビクッと反応し振り返った。明らかに緊張している様子が伺える。仲の良い西森さんにまだ話していないから、俺と二人でいる所を見られて気まずいのだろうか。俺にとってはこれも想定内なので、西森さんに笑顔を向ける。

「こんばんは、西森さん。さっき、篠崎さんにも話していたのですが、今日拓都と翔也に役員会議のお知らせを渡すつもりが、忘れてしまって……ちょうど篠崎さんを見かけたので、渡せて良かったです」

 俺が声を掛けている間に緊張が取れる事を願いながら、担任としての対応をする。

「千裕さん、こんばんは。これが、そのお知らせなの」

あいつがちょうどスリッパをはいて上にあがって来た西森さんに、封筒の一つを差し出した。まだどこかぎこちない態度だが、西森さんは気付いていないようだ。

「二人揃っているからちょうど良かったです。そのお知らせにも書いたのですが、三学期の学年行事は発表会と親子レクリエーションなんです。でも、会議の時間をそれほど取れないから、親子レクリエーションの内容をそれぞれのクラス単位で会議までに考えておく事になりました。体育館の中で出来る、体を動かすようなレクリエーションを考えておいて下さい。それで、申し訳ないですけど、会議の日、三十分早く来てもらって、教室の方で一年三組としての提案を話し合いたいと思います。どうですか?」 

「わかりました。私は時間の方は大丈夫だけど、美緒ちゃんはどう? いつもより早く早退できる?」

「うん、大丈夫だと思う」

「では、詳しい日時は、そのお知らせに書いてありますので、よろしくお願いします。じゃあ、これで」

 すっかり担任対応になってしまったが、目の前の二人の本来の予定時間が迫っているので、話を切り上げ背を向ける。職員室へ向かって歩きながら、胸の奥がほんわかと温もった様な気がした。

 その後の二人がどんな会話をしたかはわからないが、西森さんに対していつものあいつに戻っているといいなと、心の中でそっと祈った。



 職員室へ戻った後、すぐに片付けて帰る用意をする。少しだけ仕事を持ち帰る事にした。愛先生の方を見ると、彼女もこちらを見ていて目が合う。お互いに暗黙の了解のごとく頷き合うと席を立った。

 すっかり一緒に帰る事に慣れた俺は、特に深く考える事無く、送迎を続けていた。

「明日、病院でレントゲンを撮るんです。それで骨の再生が上手くいっていたら、来週辺りでギプスを外せると思います」

「それは良かったですね」

「はい。守谷先生のお陰で、仕事も休む事無く乗り切れました。ありがとうございました」

 愛先生が助手席で頭を下げる。俺はただ行き帰りに車に乗せただけだ。お礼を言われるほどの事じゃないと、面映い気分になった。

「いやいや、大原先生が頑張ったからですよ」

「いえ、皆が助けてくれたから、頑張れたんです。本当にありがとうございます」

「いえいえ、どういたしまして。でも、安心して無茶や無理をしないようにしてください」

「はい、それは肝に銘じています」

 そんな会話を続けながら、俺は心の中で安堵の息を吐いた。同僚とは言え、やはり独身女性と車に二人きりなのは、決して自分自身にやましさは無いのに、何処か後ろめたさを感じていたのだ。

 やっとその日々ももうすぐ終わると思うと、やはり肩の荷が下りる気がした。

 

 


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