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あの虹の向こう側へ  作者: 宙埜ハルカ
第二章:婚約編
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#04:つかの間の逢瀬

 いよいよスキーに出かける日がやって来た。夜中に出発なので、午後から昼寝もしておいた。今夜出発したらしばらく戻らないからと、冷蔵庫の中を片付け夕食も済ました。それでも出発までは時間があり、あいつに電話をするにはまだ時間が早過ぎた。


 あいつとこんな風になれるなんて思ってもみなかったから、年末年始のスキー旅行なんて予定を入れてしまった。そして、女性も一緒のグループで行く事は、何もやましくないのに何となく後ろめたい。だからだろうか、あいつにはっきり誰と行くとは言えなかったのは。

 その上、年度末までは会わないと決めたくせに、もうどこか後悔している。昨夜の電話で、川北さんからの提案を聞いたから余計に思うのか。

 別に拓都に知られず会えるのなら、少しぐらいいいんじゃないのか。そんな悪魔の(ささや)きが、心の言い訳が、脳裏をぐるぐると渦巻く。

 実際、もう電話で話すだけでは物足りないんだ。昔のようにあいつをぎゅっと抱きしめて、充電したくなる。


 ─────そうだ、スキーに行く前にあいつの顔を見に行くぐらいできるんじゃないだろうか。

 拓都ももう寝ている時間だ。この時間なら玄関で少しの時間なら……。

 待ち合わせの場所へ行く前に少しだけあいつの所へ寄る時間ぐらい取れる。拓都を誰かに預けるんじゃない。誰にも迷惑をかけずに会えるのなら、少しぐらい良いんじゃないか。

 もう、そう思いだすと止まらなくなり、自分の中で時間の計算を始める。余り長い時間はダメだ。余計に離れられなくなる。ほんの少しあいつを充電するだけ。


 色々と考えている内にもう10時になっていた。あいつの家に寄るならもう出なければ。

 家を出る前にあいつに電話をして、拓都がもう寝ているかを確認する。

「じゃあ、今からちょっと美緒の家に寄ってもいいかな?」

「えっ? ここへ来るの?」

「ああ、まだ少し時間があるし、玄関先でいいから、美緒に会いたいんだ。着いたら携帯に電話するから」

 用件だけ告げて、すぐに部屋を出た。外は随分冷え込んでいるけれど、寒さなんか感じなかった。


 あいつの家の有る住宅街も、この時間になるとひっそりとして、街灯だけがぽつぽつと灯っている。ゆっくりと車を走らせながら、ミニクーパーの停まるカーポートの前に車を停めた。

 ここへ来るのは何度目だろう。ふとそんな事を思った。再会して初めてここへ来たのは、家庭訪問の時。次はこの間のクリスマスの時だ。どちらも担任として訪ねている。今日もドアを開けたら『守谷先生』なんて呼んだりしないよな?

 ─────どれだけこの現実を信じきれないんだ。

 思わず自分に突っ込みを入れる。

 一つ深呼吸をしてから、そっと車を降り、静かに玄関ドアの前まで来ると携帯を鳴らした。


「美緒、今、家の前に着いた」

「あ、ちょっと待って、すぐに開けるから」

 あいつの返事を聞いて、ホッと息を吐き出す。良かった。以前の恋人同士の時のような親しい反応に安堵する。

 ドアの向こうで物音がしたと思ったら、ガチャリとドアが開けられた。そして、こちらを見上げた美緒と目が合う。どこか緊張気味の彼女は一拍置いた後で「こん、ばんは」と詰まり気味の挨拶をした。その様子が可笑しくて、俺は笑いを止められず肩を震わす。

「こんばんは、美緒。とにかく中へ入れて」

 玄関先で話していたら、外に声が漏れるかもしれない。こんな時間に女性と子供だけの世帯に男が訪ねるのは世間的にいかがなものか。

 美緒は慌てたように「どうぞ」と中へ招き入れてくれた。

「リビングの方が温かいから、上にあがって?」

 美緒は土間から上にあがりながら、俺に声をかける。とっさに俺は、彼女の手首を(つか)んだ。

「美緒、上にあがったら、帰りたくなくなるから……ここで」

 そう言いながら掴んだ手首を引っ張って、美緒を自分の腕に抱き込んだ。凍えた身体で湯船に入った時のように、じわじわとリアルな幸せが胸に染み込む。そうして胸一杯に染み込んだところで、安堵の息を吐いた。

「良かった……」

 心の声が漏れたように、俺は思わず呟いていた。黙って腕の中にいた美緒が「えっ?」と反応する。

「美緒がドアを開けた途端、守谷先生なんて呼ばれたら、どうしようかと思ったよ。良かった……夢じゃ無くて……」

 腕の中で静かにしていた美緒が、急に身じろぎして抱きしめた腕から逃れようとする。その様子に俺はハッとさせられた。

 こんな事言ったら、美緒を責めているみたいじゃないか。只でさえ俺を傷つけたと罪悪感で一杯なのに。

 俺は慌てて「ごめん」と言うと彼女を解放した。


「慧……ごめんなさい」

 俺の腕から逃れた美緒は、俯いたまま謝罪した。

 ああ、やっぱり……彼女の罪悪感は大き過ぎて、すんなりとは自分を許せないのだろう。それでも、そんな罪悪感に囚われて、再び俺との距離をとられては堪らない。

 

「美緒、ごめん。美緒を責めた訳じゃないよ。ああ、ごめん。美緒はずっと俺に対して罪悪感を持ってたのに、こんなこと言ったら、責任感じちゃうよな。違うから、美緒、違うからな。俺は嬉しすぎて、夢のような気がしていただけだよ。だから、美緒、会わなかった3年間の事はもう忘れよう。俺達は今から始まるんだって、この前も言ったよな?」

 俯く美緒の顔を覗き込むようにして、問いかける。彼女は小さく頷くと「わかってる」と顔を上げた。彼女の目は今にも涙が決壊しそうだ。俺はニッと笑うと、「バカだな」と言いながら彼女の目元に手を伸ばした。

 すっかり泣き虫になった美緒は、一生懸命口角を上げ、泣き笑いした。


「美緒、寒くないか?」

 俺が来るまで暖房の効いた部屋にいただろう美緒の服装は、何の火の気もない玄関では寒そうに見えた。それでも「寒くない」と答える彼女は、我慢強いだけだ。俺はダウンジャケットを脱ぐと彼女に着せかけた。

 ダウンジャケットを着た美緒は、嬉しそうに笑うと「ありがとう。でも、慧は大丈夫なの?」と俺を見上げる。

「俺は大丈夫。美緒を充電したから、心はポッカポカ」

「もう~、慧ったら……」

 俺の言葉に頬を染めて反応する美緒が、可愛すぎて目が離せなくなる。俺は再び彼女をダウンジャケットごと抱きしめた。

 こうしてずっと抱きしめていたい。そんな思いで胸が一杯になる。やっぱり声だけなんて耐えられない。

 俺は、溢れる想いを吐き出すように、息を吐き出した。


「美緒、会いたかった……三ヶ月なんてあっと言う間だと思っていたのに、まだクリスマスから五日しか経っていないのに……情けないよな」

「ううん。私も同じだよ。こんな日が来るなんて想像もしなかったから、まだどこか夢みたいで……」

「そうだな……でも、ごめんな。こんな形でしか会えないなんて……」

「それは、拓都と私の事を考えての事でしょう? 私達はまだ担任と保護者なんだから、今は変な誤解や噂が立たないようにしていた方がいいと思うし……慧の立場が悪くなるような事になって欲しくないの。だって、守谷先生は前科があるし……」

 そんな事を言って美緒はクスリと笑った。

「前科って言うな。俺の方が被害者だよ」

 痛い所をチクリと刺すような言い方は、以前の美緒のようだ。悪気がない事は分かっているが、俺も怒ったように彼女を睨んだ。それでも彼女は、「ごめんなさい」と言いながらも笑っている。

 そんな態度を取るならと、俺は彼女の鼻を摘まみ「美緒って案外意地悪だよな。頑固だし……」と言ってやる。

 途端に彼女は腹を立てたようにもがき出し、俺の腕の中から抜け出そうとしながら「慧の方が意地悪」と膨れた。

 以前のような彼女の反応に俺は内心嬉しくなった。そして彼女を解放すると、「そうやってすぐ怒るところが単純だけどな」と笑った。

 再びムッとしてこちらを睨む彼女を見て、まるで離れていた時間などなかったかのように感じた。

「安心した。美緒が変わって無くて」

 彼女の顔を覗き込むようにして目を合わせ、ニッと笑う。

 会わなかった時間はお互いの環境や立場を変えたけれど、本質や気持ちは変える事が出来なかった。

 彼女は照れたのか視線を逸らした。そして居た堪れない様に視線を彷徨わせた後、何かを思い出したようにこちらを見た。


「ねぇ、慧の写真を撮らせて」

 いきなり何なんだと驚いた俺は「写真?」と訊き返した。美緒はポケットに入れた携帯を取り出すと、「今の慧の写真が無いから……」と答えた。

 その携帯で、俺の写真を撮ろうと言うのか。美緒の要望は分かったけれど、素直にそれに従うのも何となく癪にさわった。それに、俺も写真なら撮りたいよ。

 そう思うと行動は早かった。

「携帯貸して」と彼女の手から携帯を奪うと、おもむろに肩を引き寄せ、携帯を持った手を前に伸ばすと自分達の方へカメラを向けた。そして、頬と頬をくっつけて、撮影ボタンを押す。携帯はカシャっと綺麗な音を立てて撮影を完了した。

 その間、約1分。ポカンと口を開け、唖然とした顔で写る美緒が可愛くて笑いが零れる。我に返った彼女が俺の手元の携帯を覗き込んだ。

「いや~! 消して!! 慧の写真だけでいいのに!!」

「え~、美緒がこんなに可愛く写ってるのに、消すのか? じゃあ、おれが貰うよ」

 俺は撮った写真を自分の携帯へ写メールした。すぐにズボンのポケットに入れた携帯からメールの着信音が流れた。そして、すぐにもう一度、撮影準備に入る。

「じゃあ、もう一回」と又肩を引き寄せ頬をくっつける。「今度は笑えよ。はいチーズ」と伸ばした腕の先の携帯のボタンを押した。再び携帯は、小気味いいカシャっと言う音をたてて、撮影を完了させた。

 今度の美緒は少し頬を染めて、一生懸命笑顔を作っているのがわかる写真だった。俺は「まあまあかな」とつぶやき、再び自分の携帯へ写メールをした。

 良い写真を撮れたと俺は大満足だった。これで会えない時も、少しは寂しさを紛らわせられるかも知れない。


 美緒に携帯を返し、「じゃあ、そろそろ行くよ」と告げると、彼女は少し心細そうな顔で俺を見上げた。そしてダウンジャケット脱いでこちらへ差し出す。

「外は寒いから、ここでいい。美緒、約束できないけど、できるだけ電話するようにする。二日の夜には帰って来るから、また連絡するよ」

「他の人も一緒だから、無理しなくていいからね。気を付けて行ってね。居眠り運転しないように」

「昼間しっかり寝てあるから、大丈夫だよ」

 そんな不安そうな顔をしないでと俺は彼女の頬を撫で、安心させるように笑った。


「来年は3人で行こうな。じゃあ、行ってきます」

 背を向けてドアを出る。その背後から「いってらっしゃい」と言う声が聞こえた。もう一度振り返り、笑顔で手を振る。彼女も笑顔で手を振ってくれた。

 車に乗りエンジンをかける。もう一度玄関の方を見るとドアの所であいつがこちらを見ていた。寒いから出てくるなって言ったのにと思いながらも、あいつの優しい眼差しに送り出されるように車を発進させた。


「来て良かった」

 夜道を待ち合わせ場所の谷崎先生の自宅目指して車を進めながら、ポツリと声に出した。

 何時間もの電話より、一度の抱擁の方がずっと心が温められると知った一時だった。

 


 





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