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あの虹の向こう側へ  作者: 宙埜ハルカ
第一章:再会編
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#53:二人の距離と小さな祈り

 文化祭の日の夜、自宅に帰って携帯を見ると、着信有りの点滅。先程までのPTA本部役員達との文化祭の打ち上げが騒がしく、マナーモードにしていた携帯の着信に気付かなかった。

 発信者を見ると、思いがけない人だった。


「伊藤先輩、お久しぶりです。夜分すいません。今日は文化祭で、さっきまで打ち上げがあって遅くなってしまって……」

 大学時代の折り紙サークルの唯一の男性先輩である伊藤先輩とは、年に一度連絡を取り合うかどうかと言う程ご無沙汰だった。

「ああ、まだ10時だから大丈夫だよ。ホント久しぶりだな。元気してたか?」

 久々に聞く伊藤先輩の元気そうな声を聞いて嬉しくなり、「先輩も元気そうで」と返しながら、今夜の打ち上げでの嫌な気分が吹き飛んだ。

「19・20日と大学祭だろ? ゼミの教授が何とか言う賞を貰ったらしくて記念公演があるからゼミの仲間で集まろうって事になって、久々にM大に行くんだ。それで、守谷にも会えたらなと思ってさ」

 勤務先の文化祭の事で頭がいっぱいだったから、大学祭の事はすっかり忘れていた。そう言えば去年は同僚のいつものメンバーで大学祭へ行き、折り紙サークルの展示も見に行ったっけ。

「いいですね。俺も会いたいです。先輩は日帰りですか? 泊まりなら、俺のところへ泊まって下さい」

「悪いな。お願いしても良いか? 助かるよ」

 

 それから思い出話を少しした後、19日に会う約束の場所と時間を決めて電話を切った。思い出話の中に、サークルの先輩であるあいつの話題は出ない。あいつと別れてしばらくした頃に、偶然連絡してきた伊藤先輩にあいつの事を聞かれ、別れたと話したからだ。

 あれ以来、伊藤先輩は俺との会話にあいつの話題は出さなくなった。だから、俺からもあいつと再会した事を言い出せなかった。まあ、どちらにしても伊藤先輩はあいつに会う事もないだろうから良いだろうと思う反面、リーダーだったあいつを慕っていた伊藤先輩は、あいつに会いたかっただろうなと思ってしまう。だからと言って、今の関係ではあいつを大学祭に誘うなんて無理だろうな。

 そこまで考えて、俺は大きく息を吐き出した。電話を切ったまま握っていた携帯の画面に、あいつから届いた森林公園の写真を表示させる。この写真は俺の背中を押してくれているような気がする。単なる思い込みでもいい、今日の文化祭が終わった後に出会ったあいつが拒絶するように去って行ったのも、学校だったから二人の過去の関係がばれたくなかったからだと、自分の都合の良いように解釈する事にした。


 文化祭翌日の月曜日は振り替え休日で、俺は一人森林公園へ来ていた。あいつからの写メールで懐かしかったから、あいつと初めてハイキングに行った森林公園へ、あの日と同じルートを歩いてこようと思ったのだった。

 あの日の事を思い出すと笑えて来る。俺は初デートだと思い、あいつは俺との戦いだと思っていたっけ。今ここにあいつがいれば、思い出話で笑い合えるのに……。

 あいつと再びここへ来る事を想像していたら、昨夜の打ち上げでの嫌な出来事が思い出された。


 ――――――――――教師と保護者なんて、タブーでしょ。

 酔った保護者にしな垂れかかられ、「携帯の番号を交換しましょう」とか「私独身だから、不倫じゃないですよ」とか、酔っていたせいだとは思うが、何とも積極的な母親にたじろぐと、周りにいた母親達がこの言葉を言ったのだ。

 タブー……。たとえ相手が独身でも、教師と保護者と言う関係は、恋愛関係になってはいけないと言う事か。そんなの関係無いと言い切れないのは、担任だからか。

 やっぱり来年度は転勤だなと、心の中の密かな計画を再確認する。それまでの間に少しずつあいつとの距離を縮め、拓都の担任が終わったら想いを告げよう。俺は頭の中で何度もシミュレーションをしながら、あの日と同じルートで森林公園の展望台まで登って行った。


 その日の夜、昼間撮った写真を見ながら、あいつにまた写メールを送ろうと写真を選ぶ。再び繋がったあいつとのプライベートを嬉しく思いながら、少し浮かれて森林公園の奥にある滝の写真を写メールした。

『美緒からもらった森林公園の写メールを見て懐かしくなったので、今日行ってきました。滝のマイナスイオンに癒されてきました』


       *****


 文化祭の終わった翌週の金曜日、それは起こった。

「守谷先生、拓都君がジャングルジムから落ちた!」

 お昼休みに子供達と運動場で遊んでいると、子供の慌てた呼び声で俺はジャングルジムへと駆けつけた。子供達が集まっている真ん中に拓都が倒れている。すぐに養護の青木先生を呼びにやり、俺は拓都に呼び掛けた。しかし、ピクリとも動かない。頭を打ったか……動かさないように様子を見る。怪我は無いか、骨折は無いか……。嫌な想像が頭に過ぎるがすぐに否定する。大丈夫、大丈夫。何の根拠もないが自分に言い聞かせる。何度か呼びかけていると瞼がぴくぴくと震え、うっすらと目を開けかけると急に口元を歪ませ、そして声を上げて泣き出した。その様子を見て、やっとホッとする。意識が戻って良かった。

 青木先生がやって来て、頭を打っている様だからと救急車を呼ぶ事になった。その頃にはお昼休みも終わり、子供達に教室へ入るように言うと、拓都を青木先生に任せて校長に報告するために職員室へ戻った。そして、一番気の重い保護者への連絡をしなければ……。

 携帯電話の呼び出し音を聞きながら、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かす。頭の中で言うべき事を組み立て、相手が出るのを待つ。

「はい、篠崎です」と言う声を聞いて胸が震えた。それは今から言う事に対するあいつの反応を思ったからだ。

「篠崎さん、拓都君がお昼休みにジャングルジムから落ちまして、先程救急車で市民病院へ運ばれました」

 俺は出来るだけ冷静に簡潔に言ったつもりだが、あいつからの反応が無い。

「篠崎さん、聞こえてますか? 養護の青木先生に一緒に行ってもらっています。私も帰りの会が終わりましたら、病院へ行きますので……」

「それで、拓都は大丈夫なんですか?」

 あいつは俺の言葉を聞いているのかどうか、俺の言葉を(さえぎ)ると、勢い込んで尋ねて来た。

「落ちてすぐは気を失っていたんですが、すぐに気がついて大泣きしました。でも、頭を打ったようですので、救急車を呼びました。私も校庭にいたんですが……」

「わかりました、ありがとうございます。すぐに行きます」

 再び俺の説明を遮ると一方的に言って切ってしまった。

 俺は携帯を持ったまま茫然をしてしまったが、すぐに我に返り午後の授業のために教室へ戻った。


 午後の授業を終え、子供達を帰すとすぐに青木先生の元へ急いだ。

「擦り傷程度の怪我はありましたけど、頭も体も骨折は無く、頭部のCTも異常はありませんでした。ただ、病院へ来てから少し吐きまして、様子を見るために今晩は入院となるようですよ」

 吐いた? 頭を打って吐くのはよくないんじゃ…と思っていると、青木先生は俺の心を読んだ様に「子供の場合、頭を打った時の嘔吐はよくあるらしいですよ」と付け足してくれた。

 とりあえず一度病院に顔を出そうと、そのまますぐに学校を後にした。


 病室の入り口の引き戸は開けられていたので、そっと中を窺うと6人部屋の入口からすぐの所に寝ている拓都が見えた。そしてベットの傍らの椅子に座り、ベットに頬杖を突いて拓都の顔を覗き込んでいるあいつの横顔を確認した。

「篠崎さん」

 俺はベッドの足もとに立ち小さく呼び掛けた。

「あっ、守谷先生、わざわざありがとうございます」

 俺に気付いたあいつは、慌てたように立ち上がると、頭を下げた。

「拓都はいかがですか?」

 俺は近づくと拓都に視線を向ける。拓都は寝ているのか横向きに寝て瞼を閉じている。あいつも俺と並んで同じように拓都に視線を向けた。

「はい、骨折は無かったんですが、頭を打ってるので何度か吐いてしまって……CTの結果も異常なかったらしいんですが……ずっとうとうとと寝てしまうので……」

 あいつは拓都から視線を外さないまま不安そうな声で説明した。

「そうですか。しっかりと見ている事が出来ず、本当にすいませんでした。青木先生から、今晩だけ入院して様子を見ると聞いているのですが……」

 同じように拓都を見たまま言葉を返し、最後にチラリとあいつに視線を向けたが、あいつは拓都を見たまま会話を続ける。

「はい、私もそう聞いているので、拓都が回復したら退院できると思います。いろいろご心配かけてすいません」

 やはりあいつがこちらを見ようともしないのは、ショックと不安が大き過ぎるのだろう。姉夫婦を亡くし、拓都と二人きりになってしまったあいつの不安を思うと、俺は何ができるのだろうと考えた。

 恋人と言う一番近い距離に居れば、あいつのショックも不安も受け止めてやれるのに。今のあいつは泣く事もできないのだろう。

 それでも担任である俺に何ができる? 今の俺はあいつの心の支えにもなれやしないじゃないか。せめて担任としてできる限りの協力をしたいと思った。

「いえ、何かありましたら、携帯の方へ連絡してください。夜中でもかまいませんから」

 それだけ言うと、あいつは目も合わさず「ありがとうございます」と頭を下げた。その姿を痛々しく見つめ、もう一度拓都の方へ視線を向ける。そして心の中で『おまえの大好きなママのためにも、両親の所へ行くなよ。早く元気になってママを安心させてやれよ』と祈るような気持ちで拓都に話しかけた。

 その後すぐに「それでは、お大事にしてください」と病室を辞した。病室から遠ざかりながら、俺は誰にともなく『どうぞ、拓都と美緒を守ってください』と祈っていた。



  



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