#50:お誕生日メール
まったく、何やってるんだ。
今日の親子ふれあい学習会の時の事を思い出すと、どうにも情けなくなる。
川北さんと西森さんに良いように踊らされて、からかわれた様な気がするし、ただあいつを困惑させただけだったのじゃないかとも思う。
本当に、何をやってるんだろうな、俺は。
あいつを困らせたい訳じゃないのに、あいつを目の前にすると少し意地悪をしたくなるって、小学生か。
あまりにも長くこの気持ちを飼い慣らし過ぎたのかもしれない。ただ、あいつとの事を終わらせて過去にしてしまうきっかけを、ずっと探し続けていたのかもしれない。
そして、そのきっかけが見つけられないまま、あいつと再会してしまった。この再会はこの想いに早く区切りを付けろと言う、運命からの催促だったのか。
あいつから突然別れを告げられた3年半前、あの時見逃したターニングポイント。今度こそ悔いの残らない形で進むべき道を選びたい。
俺は終わらせたいのか? 過去にしたいのか? はたまた、もう一度始めたいのか?
俺はフッと自嘲気味に笑った。
ここまで引きずって来たのは、終わらせられなかったからだろ?
あの時伝えられなかった想いを伝えずして終われるのか?
何度も自分にツッコミを入れる。
あいつが既婚者だと思っていた時は、無理にでも切り捨てなければいけない想いだった。けれど、そうじゃないと分かった今、たとえあいつに想い人がいたとしても、結局玉砕してしまうだろうとしても、この想いを伝えなければもう前に進めない程、抱え過ぎた。
ふと時計に目をやると、もう0時を過ぎていた。俺の誕生日だ。今日をターニングポイントにすべく、俺は決意する。あいつに3年半前に言えなかった想いを告げようと。
今はまだ担任と保護者だから、この年度が終わってからになるけれど、それで終りになるのか、その先があるのかはわからない。でも、けじめとして来年度は小学校をかわろうとこの勢いで計画する。
決めてしまうと何年振りかに心が満たされたような気になり、眠気は速やかに俺を包み込んでいた。
* * * * *
そのメールを受信したのは俺の誕生日の朝の勤務先に向かう車の中だった。小学校の駐車場に車を停め、早速に携帯を確認すると思いもしなかった送信者の名に、思わず「えっ?」と声を上げ、メールを開こうとして慌てて携帯を落としそうになった。落ち着けと自分に言い聞かせ、一呼吸置いてから慎重にメールを開くと、『誕生日おめでとう』の文字。
あいつからの思いがけない誕生日メールにドキドキしながら画面をスクロールする。『幸せな25歳でありますように』のメッセージの後にバースデーケーキの写真が添付されていた。良く見るとケーキの上に太いローソク2本と細いローソク5本が立ててある。太いローソクが10本分なのだろう。まさしく俺の年の数だと気付き、驚くと共に過去の記憶が蘇った。
あれはあいつが就職して最初の誕生日の頃、二人の誕生日に一番近い週末に一日違いの二人の誕生日を一緒に祝った。その時買って来たケーキの上にこの写真のようにローソクを立て、俺の年の数だけ立てた所で一度火を付けて俺が火を消し、次にもう2本ローソクを追加して今度はあいつが火を消したっけ。
ああ、この写真はあの時と同じように、昨日のあいつの誕生日のケーキにローソクを立てている途中で写真を撮ったんだ。
クスッと笑いが込み上げ、胸に暖かい物が広がる。
おそらく昨日のおめでとうのお返しのつもりなのだろう。あいつは律義だから。
それでも何年かぶりかのあいつからの写メールに胸が一杯になった。期待しちゃいけない事はわかっているけれど、昨夜の決意への想いがより強くなった。
その時不意に車の窓ガラスをコンコンとノックする音にハッと現実に戻る。見れば広瀬先生がにやりと笑って立っていた。
「おはようございます」
慌てて車から降りて挨拶をする。
「おはよう。何かいいことでもあったのか?」
あ、見られていたのか?
「あ……まあ、大学の時の知人から誕生日おめでとうってメールが来たので……」
まあ、嘘は吐いていないよな。
「へぇ~それで携帯を見ながらニヤニヤしてたのか? って、今日誕生日なのか?」
「……はい」
「それは、おめでとう。……さっきのお前のあんなにやけた顔、初めて見た気がするよ」
俺達は並んで校舎に向かって歩いていたが、広瀬先生の言葉に思わず足を止めた。
にやけた顔って……。
足を止めた俺に気付いた彼は俺を振り返って「どうした?」と声をかけて来た。
「もう、恥ずかしいから誕生日だって事、誰にも言わないでくださいよ」
無性に恥ずかしくなった俺は、早口で言うと広瀬先生を追い越して校舎へ向かう。後ろからクスクス笑う広瀬先生の声が聞こえ、ますます俺は早足で職員用の入口へと向かった。
その日一日どこか浮ついた様な気分だったのは、朝届いたメールのせいだったのか、俺の誕生日だったからか……。
広瀬先生は俺の願いを聞き入れてくれたようで、誰からも誕生日の話は出ず少しホッとしていると、帰り際に広瀬先生から夕食に誘われた。
「二人だけですか?」
又前回のようにお店に行くといつものメンバーがそろっているんじゃないかと心配になり、思わず問いかけていた。
「ああ、そのつもりだけど、皆にも声をかけて誕生会でもするか?」
「いや、遠慮します」
「そうか? 後でバレたら、岡本先生に怒られそうな気もするが……まあ、今日は俺だけで祝ってやるよ」
広瀬先生に連れられて来たのははじめて来る中華料理店だった。「あいつらに会うと文句言われそうだからな」という事で少し小学校から離れた場所にあるお店だった。二人とも車だったので、アルコールよりもがっつり食べられるようにと、いろいろな単品料理がテーブルに並んだ。気分だけでもとノンアルコールビールで乾杯する。
「守谷の誕生日を祝って」と広瀬先生がグラスを上げるので、同じように「ありがとうございます」とグラスを打ちつけた。
「なぁ、今朝の誕生日おめでとうのメールって元カノからじゃないのか?」
いきなり広瀬先生がそんな事を訊いて来たのは、テーブルに並んだ皿があらかた片付いた頃だった。さっきまで仕事や学校の中の話で盛り上がっていたのに、しばらく静かに食べていたと思ったら突然の爆弾。本当はこれが訊きたくてのお誘いだったのかもしれない。
俺は驚き過ぎて最後に残った唐揚げを挟もうとして箸を伸ばしたところで固まった。そして、「え……どうして……」と広瀬先生を凝視して問い返していた。
「もしかして、元鞘か?」
俺のリアクションに肯定だと確信した広瀬先生は苦笑しながら尚も問い重ねる。
「違います。そんなのじゃないです。元カノの誕生日に偶然に会って、おめでとうと言ったからそれのお返しにメールをくれただけです」
「ふ~ん、それでか……」
「え? 何がですか?」
「守谷さ、2学期になってから、愛先生によそよそしくなったよな。それは元カノと再会したからじゃないのか?」
あまりに鋭い指摘に俺は再びフリーズした。最初に思ったのは気付かれていたと言う事。俺の態度はそんなに分かりやすいのか。
「やっぱり元カノの事、忘れられないか?」
どう答えていいか分からず言いあぐねていると、広瀬先生は重ねて問いかけて来た。
「そうですね。まだ、無理みたいです。しつこい性格ですから……」
深刻にならないようにと苦笑しながら返事を返す。
「そっか、恋心って奴はコントロール効かない物らしいからな」
同じように広瀬先生も茶化すように笑ってくれた。
「他人事だと思って、恋した事無いみたいな物言いですね」
「そうかもな。守谷や妃みたいに誰かをずっと想い続けられる気持ちの方が良く分からないね。でも、ある意味羨ましいけどな」
以前もそんな事を言っていたなと思いだしながら、「広瀬先生は運命の人に出会っていないだけですよ」と言ってしまってから、自分はどうなんだと苦い気持ちになった。
「守谷にとっては元カノが運命の人なんだ?」
すかさず痛い所を突かれ、自嘲気味に笑いながら「以前はそう思っていたんですけどね」と呟くように言った。
「じゃあ、そんなにしつこく思い続けているのに、諦めてしまえるのか?」
変にお節介な広瀬先生の追及はますます強くなる。
「だから、何もせず諦めるつもりはありません。再会したのでもう一度想いを告げようと思っています」
思わず俺は、反発するように語気を強めて昨夜決意したばかりの事を宣言してしまった。
「そうか……そこまで決意してるんだ。愛先生は可哀想だけど、仕方ないな」
俺の雰囲気に呑まれたのか、広瀬先生の言葉はすっかりトーンダウンした。
愛先生の事を言われると、中途半端な態度を取っていた自覚があるから余計に辛い。
「なんだかいろいろ心配させたみたいで……すいません」
「いいや、俺の勝手なお節介。人の恋愛事を見てるとじれったくなるんだ。自分は運命の人も見つけられないのにな」
そう言って苦笑する広瀬先生を見て、この人は人の感情に敏感な人なのだと思った。それなのに自分の気持ちには疎いのだろうか。
勢いとは言え、密かな決意を他人に宣言してしまった事は後に引けなくなったと言う事で、俺はこれからの事を思った。
あいつに想いを告げるのは年度末と決めているが、それまでにあいつは拓都の事を俺に話してくれるだろうか? この大前提を乗り越えないとあいつは俺の告白なんて聞く耳を持たないだろう。
それでもあいつからの誕生日メールはその夜になってもどこか甘い気持ちにさせた。そしてメールのお礼を言わなくてはと自分に言い訳して、あいつにメールを返した。
『誕生日のメール、ありがとう。とても驚いたし、あのケーキの写真とても嬉しかった。あの写真に負けないぐらいの写メールを返したかったけど、今すぐに撮れそうにないから今回はパスだ。でも、美緒に又おめでとうが言えて、良かったよ。君の幸せをいつも祈っている。』




