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あの虹の向こう側へ  作者: 宙埜ハルカ
第一章:再会編
46/85

#46:真実の行方

 ――――――――お姉さんの子供。


 頭の中で回り続けるこの言葉の意味を、俺はまだ良く飲み込めない。

 動揺している自分を悟られないように学校を後にし、それでいて頭の中では休む間もなく長嶋先生の言葉をリピートさせている。

 繰り返すうちにハタと思い至ったのは、今までずっと違和感を感じていた事。

 結婚したと思っていたあいつの姓が篠崎のままだと言う事。それに、相手の連れ子だと思っていた拓都までもが篠崎だと言う事。

 結婚した相手も篠崎姓と名乗っているのだと、無理やりこじつけて納得していたが、あまり深く考えたくなかったのが本音だった。

 長嶋先生はあいつの事を『独身なのに亡くなったお姉さん夫婦の子供を引き取って……』と言っていた。

 結婚、していなかったのか……。

 その事に気付いて、安堵の気持ちが胸に広がる。そして、そんな自分に気付き、自嘲の笑みに口元を歪めた。

 何を今更。あいつが結婚していなくても、俺はとおの昔に振られているのに……。

 そんな事より。お姉さん夫婦が亡くなったって……そこまで考えてぐっと胸が詰まった。どうして亡くなったのだろう? 二人揃って亡くなったのだったら、交通事故? まさか、海外で事件に巻き込まれたとか……それなら拓都が無事な筈ないだろうし……。

 一度篠崎家にお邪魔した時にお会いした事があった。とても気さくで感じの良かったあの二人が、もうこの世にいないなんて。

 あいつは俺と付き合っていた時すでに、両親は他界していたから、姉家族が唯一の家族だったはずだ。なのに今は拓都と二人きり……。二人で悲しみを抱えて今日まで過ごして来たのか。

 何も知らずにいた自分が情けなくなる。でも、今の俺にはあいつのために何かをする資格さえないんだ。

 じゃあ、俺と別れて選んだあいつの同僚は、あいつを支えていたのだろうか。支えるのなら、結婚するだろ。母子家庭で苦労なんかさせないだろ。それとも、扶養家族を抱えたあいつとは付き合えないと別れてしまったのか。

 俺の中で沸々と怒りが込み上げる。

 俺なら、俺なら、あいつ一人で苦労なんかさせない。頼る家族のいないあいつをほっぽり出したりなんかしない。

 ……でも、あいつの事だから、同情されたくないと相手の申し出を断ったのだろうか? 結婚しないまま、今でも付き合っているのだろうか? 相手もこちらへ転勤になったのだろうか?


 考えても、考えても、分からない事だらけで、拓都がお姉さんの子供だったと言う真実が分かっても、まだあいつの現状は何も見えはしなかった。


     *****


「守谷、今日の帰り、食べに行かないか?」

 藤川さんのご主人来校の翌週、そろそろ帰ろうとしていた俺に広瀬先生が声をかけて来た。

「えっ? あ、広瀬先生」

 物思いに耽りながら帰り支度をのろのろとしていた俺は、広瀬先生の声に現実に引き戻され戸惑った。

「ん? どうした? 都合悪い?」

「いえ、そんな事無いです」

 どうやら食事に誘われたらしい事は分かったが、頭の中はまだ先程まで囚われていた思いで一杯だ。

 仕事をしている時や子供達に向かっている時は忘れているのに、ちょっとした隙にあの日の長嶋先生の言葉から考え続けていた事が蘇る。

 このところ考え続けているのは、あいつはどうして俺に本当の事を言ってくれなかったのだろうか、と言う事。

 俺はあいつの姉夫婦も甥も会った事があるから、本当の事を(姉夫婦が亡くなった事を)言ってくれてもよかったのに……と恨めしく思ってしまう。

 そんな思いがまだ頭の中で渦巻き、広瀬先生の誘いになかなか意識が向かずにいると、小さく溜息を吐かれた。

「なんだか反応悪いねぇ。今週に入ってから、ちょっと元気ない感じだけど、まだ心配事があるの? 藤川さんの事は解決したんだろ?」

「はあ、まあ……。ちょっと授業の事で考え事をしていただけです」

「そうか? なら食事行くだろ?」

 広瀬先生は強引に決めると「じゃあ、松川のとこな」と言うと先に職員室を出て行ってしまった。

 マイカー通勤だから、それぞれの車で目的のお店へ行くのはわかっているが、誘っておきながらさっさと先に行かなくても……と心の中で文句を言いながら、急いでその後を追った。


 松川の所と言うのは、今年開店したばかりの広瀬先生の同級生の松川さんがやっているお店だ。平日の夜でもそれなりに客は入っているようで、口コミで美味しさが広まっているのかも知れない。

 「いらっしゃいませ」の声に出迎えられて中を見渡すと、広瀬先生だけだと思っていたらいつものメンバー全員がそろっていた。 

 皆も一緒だなんて言って無かったのに……。

 何となくバツが悪いのは、先日愛先生からまた大学のバスケの試合を見に行きませんかと誘われたのを用事があるからと断ったからだ。

 俺に気づいた広瀬先生がこちらに向かって手を振る。他のメンバー達もこちらを向いて笑顔になった。俺はぎこちなく笑顔を返すと、小さく息を吐き出して皆の方へと向かった。

 


「ねぇ、今月はどこへ行く? そろそろ良い気候だし、先月行けなかったから遠出してもいいんじゃない?」

 食事が始まるとすぐに岡本先生が話を切り出した。どうやら今日はこの事がメインテーマだったらしい。

 そろそろこんな話題が出る事は分かっていたけど、まだ愛先生との距離感がつかめなくて、メンバーとの集まりを避けていた。

 9月は運動会もあったのと、それぞれの都合がつかなかった事もあり、メンバーでの出かける話はうやむやのまま過ぎて行った。


「文化祭の写真クラブの展示に作品を出さないか?」

 山瀬先生の提案に皆は驚いたが、すぐに「面白そう」と同意し、写真を撮りに行く目的で出かけようと言う事になった。


「ねぇ、紅葉なんてどう?」

 金子先生がワクワクした表情で言う。皆結構写真にハマってしまったなぁと内心苦笑しながら「まだ早いと思うけど、県北部の山の方なら10月の終わり頃、丁度いいんじゃないかな」と、メンバーで出かける事に戸惑っていた事などすっかり忘れて答えていた。

 そして本日のメインテーマは、10月最終日曜日に県北部にある虹ヶ岳へ、紅葉の撮影ハイキングに行く事に決まったのだった。

 虹ヶ岳……それはあいつと付き合い始める時に行った雪山だ。俺が県北部の山と言った時点でロープーウェイのある虹ヶ岳が第一候補になることぐらい分かっていたはずなのに、いざ虹ヶ岳に決まると胸がざわめくのを意識せずにはいられなかった。


 

 その日の夜、珍しく西森さんからメールが来た。

 『今日の広報の会議で給食の牛乳パックのリサイクルの様子を取材する事になりました。今週の金曜日の給食の終わる頃、1年3組にお邪魔してもよろしいでしょうか? 子供達が牛乳パックをリサイクルするために処理している様子を写真に撮りたいと思っています。うかがうのは篠崎さんと私です。どうぞ宜しくお願いします。』

 あいつが来るのか?

 一瞬浮かんだ思いに戸惑う。それを嬉しいと思ってしまう自分の気持ちを持て余してしまう。

 いやいや、そこじゃないだろう。役員の仕事のために行ってもいいかと尋ねられているんだ。

 俺は自分の中に湧き上がった感情を抑え込み、頭を切り替えて西森さんに了解の返事を送信した。


 そしてあいつ達が来る予定の金曜日の朝、教頭からの伝言にがっかりした自分にまた舌打ちしたい気分になった。

「守谷先生のクラスの西森翔也君が熱が出たために休むと連絡がありました」

 ああ、今日は来ないんだとどこか拍子抜けした気分を忌々しく思いながら、俺は意識を仕事へむけた。


 午前中の授業が終わるとエプロンを着けて子供達と一緒に給食の用意をする。そして、いつもの様に子供達の様子を見ながら給食を食べる。終りかけた頃、一人の児童が「先生、誰か来てるよ」と入口を指差し声をあげた。

 まさか……。

 俺はすぐに入口の方に視線を向ける。そのまさかのあいつの姿が視界に入った途端、驚きと共に脳裏をかすめたのは、やはり長嶋先生から聞いた話だった。

 どうして俺に本当の事を言わない?

 あいつを責め立てたくなる思いをなんとか抑え込み、目が合うとすぐに頭を下げたあいつを一瞥すると、すぐさま立ち上がり教室の入口へと向かう。教室を出た所で改めて対峙すると、あいつは微笑んで「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 自分の中のあいつに対する何かが、確実に変化しているのを感じながらも、自分のテリトリーである学校と言う場所ゆえの余裕から、俺は担任の仮面を被り微笑み返す。

「西森さんのところの翔也が休みだったから、違う日になったのかと思いました。お一人ですか?」

「はい、一人でもできそうでしたので……後で牛乳パックを洗っている所の写真を撮らせて下さい。それからお話も少し訊かせて頂けたら……」

「わかりました。写真を撮る場合は、自分のお子さんを撮っていただくか、よそのお子さんを撮る場合は、後ろ姿等の本人が特定できないアングルでお願いします」

「わかっています。広報の方でも注意を受けていますので……」

「そうですか、それじゃあ気を付けてお願いします。牛乳パックは給食試食会の時も説明しましたように、ハサミで切り開いて、そこに置いてあるバケツの水で洗い、雑巾で水滴をふき取って、こちらの給食ワゴンの籠の中へ重ねて入れています。それらを集めて倉庫で保管して、PTAの福祉委員会の人達が定期的にまとめてリサイクル業者へ出しています。それから洗った後のバケツの水は流してしまわずに、中庭の花壇に蒔きます。一応簡単に流れを説明すると、そんな所です。また何かありましたら、質問してください」

 いつものようにそれぞれの役割を演じながら、俺は淡々と説明して、教室の中へと戻った。

 しばらくすると、好奇心旺盛な子供達があいつを囲んで質問攻めにしている。そして助けを求めるようにあいつが困惑した視線を俺に向けた。

「こらこらおまえたち、そんなに質問攻めにしたら、拓都のお母さんが困るだろ? 今日は学校の役員の仕事でみえてるんだから邪魔をしない様に」

 俺が注意すると子供達は素直に「はーい」と返事をし散らばって行った。そして俺は、子供達と共に給食の片付けを済まし、子供達は残りの休み時間を校庭で遊ぶために外へ出て行った。

 目的の牛乳パックのリサイクルの様子を写真に撮り終わったあいつは、外へ出て行く子供達を見送りながら、殆ど人がいなくなって静かになった廊下でぼんやりと立っていた。

 俺はそんなあいつを見て、そう言えばあいつと一対一で対峙するのはキャンプの時以来だと気付いた。

 あの時、幸せな家族を持ったあいつへの気持ちに、けじめをつけなければと決意したはずなのに……。

 今はあの後聞かされた色々な情報が俺の気持ちを揺るがせる。

 あいつはお姉さん夫婦の事も拓都の真実も、俺には言いたくないんだろうと言う事は、なんとなく分かっている。それがあいつらしい事も。けれど、夏休み前に拓都を預かった時のように自分一人でどうしようもなくなった時には、こんな俺でも頼って欲しいと思ってしまう。

 でも、あいつにしたら、俺は一番気まずい相手だろうな。

 そんな思いが脳裏をかすめた時、藤川さんの事件を思い出し、あいつに言って置かなければいけない事があったと気付いた。


「篠崎さん、この後仕事に戻られるのですか?」

 ぼんやりと廊下に立つあいつに声をかけると、あいつは「え? あ、はい」と驚いたように慌てて返事をした。その様子が、あいつも同じように俺たちの今の関係に戸惑い緊張しているのだと思うと、何となく笑えてきてクスリともらしてしまった。

「まだ時間はいいですか? このあと少し話したい事があるので、この給食ワゴンを返して来るまで待っていてくれませんか?」

「はい……わかりました」

 あいつは少し戸惑った表情をしたが、すぐに了承したので俺は給食ワゴンを押して給食室へと向かった。

 そして、どんなふうに話そうかと考えながらあいつの元へ戻り声をかけると、廊下の窓から外を見ていたあいつは驚いて振り返った。

「お待たせしてすいません。牛乳パックの事で何か訊きたい事はありますか?」

「いえ、説明頂いた事で、よくわかりましたので……写真も撮れましたし……」

 あいつは少し引き気味で、もうこれで帰りますと言いたそうだ。話したい事があるなんて言ってしまったから、怯まれているのか。それでも、これだけは言わなくてはと、外から見える窓の近くでプライベートな話をするのは不味いと思い、「篠崎さん、ちょっとこちらへ……」と窓のない廊下の片隅へと誘導した。

 そこは片側は壁でもう片側は階段と言う少し薄暗い所だ。教室の中は外へ行かなかった数人の子供達がいるので仕方が無かった。それでも担任と保護者が二人で話すには廊下の方が変に誤解されないだろうと言う思いもあった。とにかくこのチャンスに話してしまおうと言う気持ちが強かった。


「1学期の個別懇談の時言ったと思うけど、拓都を預かった事を誰かに尋ねられても、否定して欲しいって言っただろ? あの事なんだけど……」

 俺は担任と言う立場からプライベートへとスイッチを切り替えた。担任の仮面をかぶったままでは話せない。

 あいつはそんな俺に戸惑いながら相槌を打つ。

「あの事、もう心配しなくていいから……誰かに尋ねられる事もないと思うし、もう巻き込む事もないから……」 

 あの事と藤川さんの件が繋がりがあるとは、あいつは知らないだろう。ただ、今回西森さんから聞いた藤川さんの件はあいつも聞いていると思う。でも、その繋がりについてあいつにも西森さんにも言うつもりはない。

「えっ? あの写真の件、解決したんですか?」

 なんだって?

 写真の件って……まさか……知ってるのか?

 俺が拓都を預かった時に写真を撮られた事、知ってるのか?

「どうして、その事を知ってるんだ?」

 俺は驚きのあまりに少々身を乗り出して声を荒げてしまった。その問い詰める様な言い方に、あいつは怯み動揺したように視線を泳がせる。

 その時、階段を降りる足音が聞こえ、俺の興奮はスッと冷めた。あいつは気まずそうに一歩身を引き階段の方へ視線を向けた。そして俺も背後の階段の方へ半身になって視線を向けた。


「あっ、守谷先生。丁度良かった。お借りしたい資料があるんですが……」

 現れたのは愛先生だった。階段を降りながら声をかけて来た彼女を認識した後、素早くあいつに「今夜にでも連絡しますので、よろしくお願いします」と小声で言い、再び愛先生の方に向き直り、「何の資料ですか?」と訊いた。

「あの、お話し中だったんじゃないんですか?」

 あいつがいるのに気付いた愛先生は、声をかけて来た時の元気さが半減し、控えめに尋ねて来た。

「大丈夫です。もう終わりましたから……」

 俺は気まずさと居心地の悪さから、早くこの二人を引き離したくてあいつとの会談を終わらせ、続きは今夜の電話だと自分を納得させた。そして、あいつの方にもう一度向き直ると「今日はお疲れ様でした。また来週、会議の方お願いします」と担任モードで挨拶をし、愛先生と共にその場を去った。

 

「あの、先程お話されていたのは篠崎さんですよね?」

 角を曲がり、あいつの視界から消えた頃、愛先生が尋ねて来た。そう言えば、運動会の時に皆に似ているとか言われていたから、気になったのだろう。

「そうです。広報の役員の仕事で牛乳パックのリサイクルの取材にみえてたんですよ」

「そうだったんですか。……やっぱり似てるのかな?」

 やはりその事が気になるのか。

「髪型のせいだと思いますよ」

 俺はそう答えながら、横を歩く愛先生を一瞥すると、以前ほど似ていると思えない自分に呆れた。




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