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あの虹の向こう側へ  作者: 宙埜ハルカ
第一章:再会編
44/85

#44:運動会

 9月の第四日曜日は、雲ひとつない秋晴れだった。少し遠くなった青い空を見上げ、俺は気合を入れるように「よしっ」とこぶしを握り締める。

 やっぱり運動会には晴天が似合う。

 天気が良いと言うだけでもう運動会は半分以上成功した様なもの。

 俺はいつもより早い時間に学校へ着くと、昨日準備した校庭を眺める。白線の引かれたトラック、本部席のテント、頭上にはためく万国旗、入場門に退場門……そして、早朝から競うように敷かれた観覧席のシート。

 子供の頃はワクワクして興奮した運動会。やっぱり登校してきた子供達も目がキラキラと輝いて嬉しそうに笑っている。そんな子供達を見て、俺もやっぱりワクワクしてきた。

 さあ、今日一日運動会を楽しもう。


 運動会はプログラムどおり分刻みで進んでいく。1年生の最初の種目は50m走だ。スタートのピストルに驚いたり怖がったりしないかと心配だったけれど、何とか皆上手にスタートできた。

 その他の1年生の種目は大玉ころがしとダンス。他の学年の種目を挟みながら、出番の度に子供達を入場門まで誘導し、練習通りに並んでトラックの中へと進んで行く。緊張もしているけれどやっぱりワクワクしている顔だ。どの種目も練習以上に頑張れたと思う。

 そして、午前のプログラムが全て済むとランチタイムとなる。それぞれ応援に来ている保護者達と食べるため解散となるが、1年生は保護者がどこにいるか分からないため、子供達の応援席まで迎えに来てもらう事になっている。

 子供達が無事に迎えに来た保護者と会えるよう、子供達に声をかけて行く。集まってきている保護者達は自分の子供を見つけると、名前を呼んで連れて行く。ざわついた中で不意に振り返ると、拓都を迎えに来ているあいつと目が合った。

 あ……。

 心臓がドキリと跳ねる。一瞬、周りのざわめきが全て消えた。二人の間の時間だけが止まる。

 ほんの数秒の(のち)、あいつがふんわりと笑った。その笑顔に心臓が一瞬止まった後、大きく跳ねて動き出した気がした。

 自分のそんな反応に内心慌てたが、あいつの笑顔に答えるように少し口角を上げた。

 ああ、バカか、俺。目が合ったぐらいで動揺してどうする。

 あいつが来ていることぐらい分かりそうなものなのに、転校生の母親の言葉に困惑した気持ちを運動会の準備の忙しさで蓋をして来たせいで、頭からすっかり抜けていたようだ。

 居た堪れなくなって目をそらすと、こちらに近づいて来た西森さんに声をかけられた。

「守谷先生。さっきのダンス、とっても良かったですよ。バッチリ写真撮りましたので、PTA新聞に載せてもいいですか?」

「ハハハ、私なんかの写真より、子供達の写真を載せて下さい」

 俺は慌てて自分の気持ちを立て直し、誤魔化すように笑った。

「もちろん子供達のも載せますよぉ」

 何の屈託もなく西森さんは楽しそうに笑った。


 子供達が保護者の元で昼食を食べる頃、俺は職員室で用意されていたお弁当を食べていた。

「そういえば、今まで気づかなかったけど、守谷先生のクラスの役員の篠崎さん、髪を切った愛先生に似てるのね。今日ね、愛先生のクラスの子かな、愛先生と間違えて篠崎さんに『愛先生』って呼んで抱きついてたの」

 そう言ってフフフと笑ったのは俺の前の席の2組の担任の中島先生。

 中島先生は何の他意もなく言っているのだと思うけれど、何となく居心地の悪いドキドキを感じながら、周りの反応を窺った。

 職員室は学年ごとに机をくっつけて島を作っている。4年生の担任の愛先生の机は離れているので、俺たちの会話は聞こえていないだろう。

 中島先生の話を聞いて、1年の担任達が愛先生の方を確認するように振り返っている。

「そういえば、似てるかも」

「髪型が似てるからかしらねぇ」

「言われてみれば、似てるような……」

 各クラスの役員さんとは顔を合わす機会が何度かあったから、他の担任もあいつの顔を覚えているのか、そんな感想を言う。俺も結局皆に同調するように「そう言われると、そんな気もしますね」と無難に感想を述べた。


 午後のプログラムは、6年生の目玉種目である組み体操や、地区対抗のリレー、敬老会の玉入れ、一般参加のパンくい競争、保護者の地区対抗綱引き等、見に来ている人たちも巻き込んだものとなっていく。

 地区対抗の綱引きには、俺も教師チームとして参加する。毎年いい所まで勝ち進むが、団結力の強い地区に阻まれてしまう。今年は他にも力を入れている地区が多くなったのか、接戦が続き面白い展開になった。結局今年も教師チームは優勝できなかったけれど、気持ちの良い汗を流し、皆の笑顔に清々しい気分になった。そうして運動会は盛り上がり、無事に終了した。


 運動会の後片付けの後、PTAの本部役員の人たちと打ち上げを兼ねた食事会のため小学校近くのお店に移動した。基本車通勤の教師達はノンアルコールビールかフリードリンクで、地元の本部役員さん達が飲んで盛り上がる。

 その移動前に携帯を確認した時にメールが来ている事に気付いた。その送信者を見て驚いた。

 西森さん?

 PTA新聞に俺の写真を載せると言う件だろうか?

 あんな冗談をわざわざまたメールしてくるとも思えない。

 それとも本気で考えているのだろうか?

 西森さんって想像もしない事を言い出すからと、少し身構えながらメールを開いた。


『守谷先生、お疲れさまでした。今日他の保護者の方から守谷先生のお耳に入れておいた方が良いと思われる話を聞きました。藤川さんの事です。火曜日の放課後伺おうかと思いますが、ご都合はいかがでしょうか?』


 えっ? 藤川さん?

 あの、藤川さんの事だろうか?

 殆ど1年ぶりぐらいに見る名前は、あの『旦那怒鳴り込み事件』といつの間にか命名された事件の原因人物だ。今でも思い出すと困惑する。俺のどんな態度が彼女をあそこまで誤解させ、思いつめさせたのか。

 あれから、クラスの子供達の母親に対しての距離の取り方に戸惑う事が多い。でも拓都を預かった事なんて、その距離を大きく飛び越えた行為だった。その事を思い出すと(にが)い気持ちになる。預かった事は後悔していないが、あいつに対して担任と保護者としての距離が曖昧になってしまった。

 だから昼間あいつの笑顔に動揺なんかするんだ。

 ますます(にが)くなった胸の中から、溜め込んだ息を吐き出すと、俺は携帯のフリップを閉じた。


 ざわめくお店の中、運動会が無事に済み、安堵と興奮からテンション高くしゃべる人々、皆嬉しそうな笑顔だ。そんな中にいて、脳裏に消えないシミのように藤川さんの事が貼りつき、つい物思いに囚われてしまう。

「守谷先生、どうかされましたか?」

 いつものように隣に座った愛先生が現実へと引き戻す。

 キャンプの後、愛先生と距離を取らなければと思いながらも、あからさまな態度はできずにいる。それでも、自分の意識の中ではしっかりと線を引くようにしているつもりだった。

「いえ、ちょっと疲れたのかもしれません」

「大丈夫ですか?」

 俺が彼女にだけ聞こえるように小声で答えると、彼女も周りに気付かれないように小声で尋ねて来た。

「大丈夫ですよ」

 誤魔化すように答えたせいで、返って心配させてしまったようで、申し訳なくなり笑顔を返す。彼女も安心したように微笑んだ。

「おまえ達、何こそこそ内緒話してるんだよ」

 愛先生とは反対側に座る広瀬先生が笑いながら肘で脇腹を突いて来た。

 いつも鋭い広瀬先生だけど、キャンプ以降の俺の気持ちの変化に気づいていないのか、その事について何か言ってくる事はなかった。

「別に内緒話なんかしてませんよ」

 俺が澄まして言うと、広瀬先生は「怪しいな」とニヤリと笑った。

「本当に違うんです。守谷先生がお疲れのようだったので、大丈夫ですかって言っていただけなんですよ」

 愛先生がやけに必死な言い訳をするから、俺は驚いてそちらへ顔を向けた。広瀬先生はからかっているだけなのにと思っていたら、当のその彼に「お疲れなんだ」と大笑いされてしまった。

「広瀬先生のツッコミにとっても疲れましたよ」

 と、ふて腐れて言うと、ますます大笑いされてしまった。

 その笑いが他の人の気を引いたのか、こちらを見ていた中の一人である1年2組の担任の中島先生がニコニコと俺達の方に話しかけて来た。

「そうそう愛先生、守谷先生のクラスの役員さんがね、愛先生のクラスの子かな、愛先生と間違えて『愛先生』と呼ばれて抱きつかれていたの。私もよく似ていたから驚いたの。今まで気づかなかったけど、愛先生が髪を切ったからかな? 1年生の担任の間でも似ているって、皆言っていたんですよね。ねっ、守谷先生」

 お昼の時と同じ話題を再び持ち出した中島先生は、愛先生に話しかけながら、俺に話を振った。

「えっ? ええ、そうですね」

 別の事で頭が一杯になっていた俺は、再び繰り返された話題に心の中で舌打ちした。

 何も愛先生にまで言わなくてもいいのに。

「守谷先生のクラスの役員さんって、この間のキャンプで会った人たちですよね? もしかして、篠崎さんの事ですか?」

 話を聞いて驚いた愛先生が、俺のほうを見て問いかける。西森さんは愛先生とはぜんぜん違うタイプだから、そう思ったのだろうか。

 愛先生を目の前にして、似ているとは思いたくなかった。

 それでも俺は、自分の気持ちをごまかすように微笑むと「そうです」と答えるしかなかった。


 午後8時過ぎにお開きになり、俺は部屋に戻るとずっと気になっていた藤川さんの事をどうしても聞きたくなり、今から電話をしていいかと西森さんにメールをしてみた。明日の月曜日は振替休日のため火曜日まで事の真相を知る事ができないと思うと、いてもたってもいられなくなったのだ。


「もしもし、西森さん、夜分にすいません」

 西森さんに許可を貰って電話をかけてみると、「守谷先生お疲れ様です。わざわざお電話いただいて、すいません」と明るく元気な声が返ってきた。

「いえいえ、こちらこそお疲れの所すいません。早速ですが、私の耳に入れておきたい事とは、どんな事ですか?」

「今日、ママ友から聞いたんですけど、昨日スーパーで藤川さんに会ったら、変な事を訊かれたそうです」

「変な事?」

「ええ、『守谷先生は何か処分されたのか』とか、『担任は降ろされたのか』とか……それで、そのママ友が言うには、藤川さんの事で処分されるのなら、去年の内に処分されてただろうしと思って、『処分もされていないし、担任も降ろされてないわよ』って言ったらしいんです。そうしたら、『それじゃあ守谷先生が保護者と不倫しているって噂は広まっていないのか』って訊いてきたそうです。それで、そのママ友は『今はそんな噂は無い』って答えたそうです。そうしたら藤川さんは『そんなはず無い』って怒って行ってしまったらしいです。ママ友はちょっと病的な感じだったって言っていました」

 俺は携帯を持つ手が震える程、ショックを受けてしまった。

 誰かに悪意を持たれる事がこんなに恐ろしい事だとは、自分の事にならないとやはり分からないものだ。

 これって、もしかすると、夏休み前に学校へ送られて来たあの写真と関係しているんじゃないだろうか?

「……そうですか」

 俺はどうにかそう答えた。

「守谷先生、藤川さんは何か企んでいるかもしれません。去年の事、守谷先生に対して逆恨みしているんじゃないでしょうか? どうか気を付けてください」

 西森さんは心配して言ってくれるのだろう。去年の事件の後も、励ましてくれた事を思い出す。

 こんな風に俺を信じてくれる人がいるのだから、何もやましい事のない俺は堂々としていればいいんだ。

「わかりました。気を付けるようにします。ありがとうございます」

 感謝をこめて答えると、西森さんは「私達は守谷先生を信じていますので、がんばってくださいね」と安堵したように言った。

 西森さんの言葉を嬉しく思いながらも、この事は見過ごせないと思い、早速教頭に相談しようと心に決めた。


「あの……守谷先生、話は違うんですが、お訊きしてもいいですか?」

 もう電話を切ろうと思っていたら、いきなり西森さんがこんな事を言い出した。

「はぁ、なんでしょう?」

 全く見当のつかない俺は、呆けたような返事をしてしまった。

「あの、守谷先生はショートヘアーが好みなんですか?」

 はぁ? ショートヘアー? 

 ショートヘアーと聞いて今思い出すのは、やはり愛先生だ。

 もしかして、キャンプファイヤーの時の俺の態度を見て、何か誤解しているのかもしれない。

「その人に似あっていれば、どんな髪型でもいいですよ」

 俺は知らないフリして、一般的な答えを返す。

「じゃあ、愛先生のショートヘアーは似合っていると思いますか?」

 やはり、誤解してるんだ。

「似合ってるんじゃないんですか? 皆の反応は良かったみたいですよ」

 俺は益々とぼけて言葉を返す。

「じゃあね、じゃあね、愛先生が髪を切ったら、やっぱり篠崎さんに似てると思いませんか?」

 本日3度目の話題に、俺は心の中でおおいに嘆息した。

「まあ、髪型が似ているから、似て見えるかもしれませんね。1年の他の担任も似ているって言っていましたよ」

 そう言えば西森さんは役員を決めた時から、似ていると言っていたっけ……。

 まさか、俺とあいつの関係を知っていて言っている訳じゃないよな?

 まあ、西森さんの言い方だと、俺と愛先生が関係あるように思っているみたいだけど……。

「早く藤川さんの事が解決するといいですね。愛先生の為にも……」

 やはり、思い込んでるようだ。面倒だなと思いながらも、後半の言葉を無視して「そうですね」と答えた。


 電話を切った後、俺は大きく息を吐き出した。

 藤川さんの思惑も西森さんの誤解も、自分の気持ちとずれて行く現実に、ただただぼう然とするばかりだった。

 

 


 

 

 

 

 


 

明けましておめでとうございます。

今年もどうぞ宜しくお願いします。

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