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あの虹の向こう側へ  作者: 宙埜ハルカ
第一章:再会編
37/85

#37:大接近【後編】

「あっ、僕が前に住んでいたお家と一緒だ」

 自宅マンションの駐車場へ車を停め、車を降りた所で建物を見上げた拓都が嬉しそうに言った。

 拓都の嬉しそうな顔とは反対に、俺の心の中では色々な想いが駆け巡る。

 父親とあいつと3人で住んでいたのはマンションだったのか。

 一瞬浮かんだ想像をかき消して、俺は「そうか」と相槌を打つと、マンションのエントランスへ向かって拓都を誘導した。


「あっ、エレベーターがある。すごいなー。前のお家は階段しか無かったんだよ」

 無邪気な拓都は以前の自宅との共通点や違いをいちいち口にする。

 勘弁してくれ。

 あいつの相手の事など、想像したくもないのに。

 でも、拓都はママの話は良くするのに、パパの話は一度も聞いた事が無い。もしかして父親との関係が上手くいっていないのか?

 今まで不思議と拓都を見てもその父親を想像する事は無かったのは、拓都が父親の話をしなかったからだろうか。

 

 エレベーターで3階まで上がる。拓都はワクワクしている様な顔をしている。父親と上手くいっていない様な影など、みじんも感じられない。

 それでもやはり父親の事は聞けない。いや、俺が聞きたくないんだ。あいつの相手を想像できるような情報なんか欲しくない。


 ドアを開けて拓都に先に入るように促すと、拓都はこちらを振り返って「入ってもいいの?」と神妙な顔で訊く。拓都の妙に気を遣うそぶりは、実の母親でないあいつとの生活で気を遣っているのだろうかと想像させる。

「もちろん、いいぞ」

 そう言ってやると、拓都は嬉しそうに笑い靴を脱いで上がり込んだ。俺は後ろ手にドアを閉めると、拓都の後に続いた。


「拓都、お腹空いただろ。チャーハン食べるか?」

「うん、食べる」

 拓都の元気な返事を聞きながら、冷蔵庫の中から材料を出す。

 振り返ると、拓都は先ほどつけてやったテレビアニメにもう夢中になっていた。

 

 食事を終えて、拓都に宿題をやってしまえよと言い置いて、俺は後片付けをする。拓都はダイニングのテーブルで今日俺が出した宿題のプリントをやり始めた。


 何時頃迎えに来るだろうかとか、着替えもないしお風呂には入れなくてもいいだろうとか考えながら、後片付けと明日の準備を済ませると、拓都の方からも「終わった」と声が上がった。

 時間はいつの間にか9時前になっていて、そろそろ来るだろうか、あいつが来たらどんな態度で接すればいいだろうかと思案しながら、テレビの前のソファーに座り込んだ。


「守谷先生、この本、僕の家にもあるよ」

 いつの間にかリビングの本棚を見ていた拓都が、一冊の絵本を持って俺の所まで来た。それはあの虹の絵本【にじのおうこく】だった。

 一瞬脳裏をあいつとの思い出が()ぎる。俺はそれを振り払うようにして、その絵本を手にした。

「僕ね、この本大好きなんだ」 

 隣に座った拓都が、嬉しそうに俺の膝の上で開いた絵本を覗きこむ。

 あいつ、この絵本、拓都にも読んであげてくれてるんだ、と小さく胸が震える。

「じゃあ、読んであげようか?」

 そう問いかけると、拓都は破顔一笑し大きく頷いた。


 もう何度読んだか分からない絵本。

 二人を繋いでいたはずの絵本を、今はあいつの子供である拓都に読んでやるなんて、何の因果か……。

「この最後の虹の橋の絵、ママ大好きなんだよ」

 拓都が嬉しそうに言ったその言葉は、俺の胸を貫く。

 あの頃、あいつがそう言っていた事が蘇る。

 俺は息を飲んだ後、「先生もこの絵好きだな」とポツリとつぶやいた。


 いつの間にか9時が過ぎ、隣で絵本を広げていた拓都は気付けば静かな寝息を立てている。

 こんな時間になるなんて……。

 予想以上に遅い時間になり、俺は小さく嘆息すると拓都の膝から絵本を取り本棚へしまった。

 拓都が寝ているのでテレビをつけるのはためらわれ、ラグを敷いた床に座りソファーにもたれたままぼんやりと時間をやり過ごす。

  

 俺は何をしてるんだろう?

 本当なら教え子のプライベートにこんなに近づきすぎてはよくないと、去年の旦那怒鳴り込み事件で学習したはずなのに。

 元カノの窮地を見過ごす事ができなくて……いや俺は担任として見過ごせなかったんだ。

 自分にそう言い聞かす。

 もう一度大きく息を吐き出したところで、携帯がメールの着信を告げた。


『今日はありがとうございます。仕事は今終わりました。遅くまですいませんでした。今から拓都を迎えに行きます。マンションに着いたら電話をします』

 あいつからのメールを読み終え、壁に掛けたデジタルの電波時計に目をやると、もう10時を過ぎている。

 こんなに遅くまで……あのまま拓都をあの玄関先で待たせてたら、どうなったのだろう、と一瞬()ぎるが、そんな事考えてもどうしようもないと首を横に振って、余計な考えを振り払った。

 県庁からここまでは車で5分ぐらいだ。

 あいつの最初の勤務先が県庁だったら、今も傍にいたのかな。

 3年ぶりに、あいつがこの部屋へやって来るのだと気付いたせいで、今更ながら情けない程の未練がましい考えが浮かんだ。そしてすぐに「何考えてんだよ」と戒めるように呟いた。

 

 さっきメールを読んだ時から掴んだままだった携帯が不意に鳴りだした。もう着いたんだと思い、携帯の通話ボタンを押す。

「はい」

「あ……今着きました。遅くなってすいませんでした」

「ああ、お疲れ。拓都、寝てしまったんだよ」

「すいません。いつもならもう寝てる時間なので……」

「拓都は俺が車まで抱いて行くから、ランドセルを取りに来てくれるかな?」

「はい。わかりました」

「じゃあ、待ってるから……部屋はわかってるよね?」

「はい」


 電話を切った後で気付いた。担任だと言う事がすっかり飛んでいた事に。昔の知り合いだと言う事で預かったんだからと自分の中で言い訳するが、担任として見過ごせなかったんじゃないのかとツッコミが入る。

 ダメだ、ダメだ。もうあいつが来てしまう。

 チャイムが鳴った。途端に俺の中の何かが冷える。俺はそのまま玄関へと向かった。


「今日は、すいませんでした」

 玄関のドアを開けると同時にあいつが頭を下げた。その様子を視界に入れると、さっきまであんなに焦っていた気持ちが嘘のように、又俺の中の何かが冷えていき、俺は堪らず小さく溜息を落とした。

「入って」と短く言うと、俺はドアを大きく開けて先に上に上がり、玄関先に置いていた拓都のランドセルを、続いて入って来たあいつに「これ」と言って渡した。

「その靴と一緒に先に持って行ってくれるか? 拓都は俺が連れて行くから」

 俺は拓都の靴を指差すと、淡々とあいつに指示を出す。そして、あいつの返事も聞かず、拓都を連れてくるためにリビングへと向かった。


「拓都、ママが迎えに来たぞ」

 小さく声をかけながら、拓都を抱き上げる。よく眠っているのか、起きる気配は無い。

 玄関まで戻ると、もうあいつの姿は無かった。自分が先に行けと言ったのだったと苦笑しながら、ご丁寧に閉められたドアを、「開けて行けよな」と小さく愚痴りながら、拓都を抱いたまま何とかドアを開けて外へ出ると、足でドアを閉めた。

 エレベーターもボタンも両手がふさがっているため肘で押し、やってきた箱に乗り込む。再び同じように1階のボタンを押すと、小さく溜息を吐いた。

 眠ってしまった子供って結構重いな、と思っている内に一階に着きエレベーターから降りた所で、あいつが駆け寄って来た。 


「すいません。重いでしょう? 私が代わります」

 拓都を受け取ろうと手を出してきたあいつを一瞥する。

「重いから、無理だろ? 俺が連れて行くから」

「でも……だったら、おんぶなら……」

 懲りずに言い募るあいつにイライラする。

 そんなに早く俺と離れたいのか。

「そんな事言ってる間に、車まで連れていけるだろ? 先に行ってドアを開けて」

 感情のままに命令口調で指示を出す。あいつは少し(おび)えたように「はい」と言うと、慌てて駐車場の方へ走りだす。

 あいつの慌てように驚きながら、俺はまた溜息を吐く。

 どこに車を停めたか分からないのに、さっさと行ってしまうなよ。

 自分が言った事など棚にあげて、愚痴がこぼれる。

 拓都を抱え直して外へ出れば、あいつが昔いつも停めていた空きスペースにジュディがいた。

 瞬時に甦る過去の記憶に胸が震える。

 もう堪忍して欲しい。いつまでも捉えて離さないあいつの記憶に許しを請う。

 身体中の空気を吐き出すように息を吐き、俺とあいつは担任と保護者でしかないのだからと活を入れ、あいつの車へと歩きだす。


 あいつがドアを開けて待っていた車の助手席は既にシートが倒されており、そこに拓都を寝かす。シートベルトをかけて身体を起こすとドアを閉め、傍に立つあいつに向き直った。

「今日はこんなに遅くまで、ありがとうございました。本当に助かりました」

 深々と頭を下げるあいつは、決して保護者の立場を崩さない。それは見事な程で、俺自身の気も引き締まる。

「いや……拓都の担任だから当たり前です。それから、お風呂は入れていませんけど、夕食は食べさせました。……今後、こんな事の無いよう気を付けて下さい」

「はい、何から何までお世話になって、本当にすいませんでした」

 再び頭を下げるあいつに「じゃあ、気を付けて」と言うと、背を向けてマンションの方へ歩き出した。

 もう、これで最後。もう二度とあいつはここへは来ないし、こんな風にプライベートで近づく事も無い。

 もう、これで本当に、さよならだ。


「ありがとうございました。おやすみなさい」

 不意に背後から声がかかった。驚いて振り返ると、懐かしいあいつの微笑み。釣られてこちらも微笑み「おやすみ」と返した。

 おやすみ、美緒。

 心の中で呟く。

 そして俺は、あいつの車が見えなくなるまでその場で立ちつくしたまま、見送っていた。

 

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