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あの虹の向こう側へ  作者: 宙埜ハルカ
第一章:再会編
35/85

#35:恋愛のセオリーと心の葛藤

「おい、なに溜息吐いてるんだ?」

 ポンと肩をたたかれ顔を上げると、ニッと笑った広瀬先生が立っていた。


 週末金曜日の午後6時半、まだ半数以上の職員が残っている職員室。夏至に近いこの時期、この時間でも外はまだ明るい。

「別に意味なんてありませんよ」

「イケメンは溜息吐いても様になるってね。ほら、女性の先生方が見惚れていらっしゃいましたよ」

 広瀬先生の言葉に驚いて視線を前方へ移すと、視界に入った女性達がそそくさと視線を外した。

「な、何言ってるんですか、広瀬先生」

 広瀬先生はハハハと笑うと「ところで」と話を変えた。

「仕事終わったら一緒に夕食食べに行かないか?」

 久しぶりの広瀬先生のお誘いに同意すると、俺達は約30分後に学校を後にした。




「守谷、愛先生と付き合い始めたのか?」

 何度か行った事のある学校から車で10分程の所にあるイタリアンのお店で食べている最中に、広瀬先生は何の前振りも無くいきなり直球を投げてきた。

「えっ?」

 俺はあまりに突然の問いかけに、どう受け止めていいか分からず、驚きの声をあげたまま絶句した。

「この間デートしたんだろ?」

 重ねて問われた『デート』という言葉に、益々困惑する。

「デートって……」

「二人で出かけたって聞いたぞ」

 その言葉で思い当ったのは、先日愛先生と行ったバスケの試合。

「あ、あれは、バスケの試合を見に行っただけで……」

「でも、今回は二人だけってわかってたんだろ? そう言うのはデートって言うんだよ」

「まだ、そんなんじゃないですよ」

「ふ~ん、『まだ』、ねぇ」

 広瀬先生は急にニヤリと意味深に笑った。

「『まだ』と言う事は、これから付き合う可能性があると言う事か?」

 余りのツッコミの連続に、俺は食べる手が止まってしまった。

 可能性? 

 あるのだろうか?

 自分の見えない未来に思いを馳せるが、今の俺には想像すらできなかった。


「未来の事はわかりませんよ。愛先生がどう思っているか分からないのに」

「愛先生の気持ちより、守谷の気持ちはどうなんだ?」

 俺の気持ち……って……。

 あの時、俺は何とかしなきゃって、愛先生の誘いに飛び付いた。こう言う事から始めていけばいいんだと思ったんだ。

 でも、相手はどうなんだ? 

 相手の気持ちを無視して、俺が先走りしてみた所で、結局前の二の舞じゃないか。

  

「守谷は、愛先生がおまえの事好きだったら、付き合ってもいいと思ってるのか?」

 なかなか答えない俺に痺れを切らしたのか、広瀬先生は質問の方向を変えた。

 そんな仮定の話をされても……。

 愛先生はバスケの試合に誘ってくれるぐらいだから、俺に好感は持っていてくれると思う。でもそれは、単にバスケの話ができる同好の士としての感情かも知れない。

 確かに俺も愛先生には好感を持っていると思う。二人で出かけた時もそれなりに楽しいと思えたし……。

 でも……あいつの時のような気持ちまではまだ到達していない。


「まだ、そこまでは……」

「また、『まだ』かよ。でも、愛先生の事は嫌いじゃないんだろう?」

「それは、もちろんそうですよ」

「だったらいいんじゃないか?」

「広瀬先生、他人事だと思って楽しんでるでしょ?」

「まあ、それもあるけど……でも、守谷を振った元カノを想い続けているよりは、ずっと良いと思うけどな。失恋は新しい恋で癒すと言うのが恋愛のセオリーだろ」

 広瀬先生はそう言うとニヤリと笑った。


 結局広瀬先生はそれ以上は突っ込んで来なかった。からかって楽しんでいる様に思っても、引き際を分かっているからか、こちらも嫌な気持ちにはならない。なんだかんだ言っていても、彼の優しさが感じられて、胸がほんわかと温かくなった。

  

        *****


 6月22日の給食試食会は、子供達の給食を保護者が食べて、子供達は保護者が用意したお弁当を食べると言う形で、クラス役員の協力の元、和やかに進められた。

 給食が終わると、保護者達には事前に用意したアンケートに答えてもらい、そのアンケートの集計はクラス役員に任せ、その日は給食試食会に参加していた保護者と子供達が一緒に帰れるように、簡単に帰りの会を済ませると下校となった。

 会議室でアンケートの集計をしてもらっているクラス役員の子供である拓都と翔也には教室で待つように言うと、俺はその事を告げるために会議室へと向かった。


「お疲れ様です。もう子供達はかえりましたけど、翔也君と拓都君は教室で待っています。集計は途中でもいいですので、行ってあげて下さい」

 俺は会議室の入口の引き戸を開けると、驚いたように振り返った二人に感情を込めずに言った。会議室には他のクラスの役員はすでに終えて帰ったのか、あいつと西森さんだけだった。


「守谷先生、集計はもうできていますよ。感想をね、じっくり読んでたんですよ。皆さん、給食や学校の事、気にかけて興味を持っていらっしゃる事が分かって良かったです。PTA新聞にもこの集計結果や感想のまとめなんかを載せられるといいんだけど……」 

 西森さんはそんな提案をしながら、アンケート用紙の束と集計を記した用紙をこちらへ差し出した。俺はそれを受け取りながら、彼女の提案への返事を口にした。

「そうですね。また広報の方から要望があれば、アンケート結果の全クラスまとめたものを、お渡しします。それから、アンケートの集計、ありがとうございました。今日はお疲れ様でした」 

 俺は労いの言葉で締めくくりながら、それまでできるだけ見ないようにして来たあいつからの視線を感じて、チラリと視線を向けた。あいつは慌てたように視線をそらす。

 やっぱりあいつは、俺が傍にいるのは居心地が悪いのだろう。

 そんな事を思いながら心の中で嘆息していると、いきなり入口の方からあいつの名を呼ぶ声が聞こえてきた。

「美緒さん」

 その声に全員がそちらを向く。

 またお前か、あんどー!

「あ、詩織ちゃん。こんにちは」

 安藤を認識したあいつの顔が嬉しそうにほころんだ。俺には二度と向ける事の無い柔らかな笑顔。

「美緒さん、お時間あったら少しお話したいんですけど……」

 安藤はこの前の事があるからか、少し遠慮がちに言うけれど、またあいつを追い詰め無いで欲しい。

「安藤さん、篠崎さんは教室で子供を待たせているんだ。無理を言ったらダメだよ」

 俺はこの前の二の舞にならないよう、安藤ににらみを()かせた。しかし、そこにのんびりとした第三の声が割り込んだ。

「大丈夫よ~私がウチの子と一緒に拓都君を見てるから、心おきなくお話してね。この間もあまり話せなかったみたいだし……」

 西森さんはいつもの調子でヘラリと笑っている。

「わぁー、すいません、ありがとうございます。少しだけお時間良いですか?」

 安藤の嬉しそうな声を聞いて、俺は心の中で舌打ちした。安藤以上の伏兵がいた事を忘れていた。

「美緒ちゃん、そう言う事だから、先に行ってるね。ゆっくりお話すればいいからね」

「千裕さん待って。拓都は学童へ行くように言ってくれればいいから、先に帰ってください」

 その後、あいつと西森さんは拓都を学童へ連れて行く事で話し合い、その様子を俺は只ぼんやりと見つめていた。


「守谷先生、何ボケっとしてるんですか? 今日はお疲れさまでした。またよろしくお願いします」

 西森さんの笑いを含んだツッコミに俺は我に返り、慌てて「あっ、すいません。お疲れ様でした」と言葉を返した。そして、先に帰る西森さんの後姿を見送ると、あいつと安藤の方に向き直った。

「安藤さんはこの後大丈夫なの?」

 俺が声をかけると、安藤は「はい、大丈夫です」と笑った。俺は「それじゃあ、お疲れ様でした」と二人に会釈し、踵を返して会議室を後にした。

 早くあの場を離れたかった。あいつも、あいつに受け入れられている安藤も見たくなかった。そんな自分の気持ちがとても嫌なものに思えて、俺は逃げ出したのだった。


 職員室へ戻り自分の席に着くと、集められたアンケート用紙の感想欄を読み始めた。

「守谷先生、給食の牛乳パックのエコ活動を知らなかった保護者の方が多かったみたいで、皆さん感心されていたようですね」

 学年主任の長嶋先生に話しかけられ、俺は顔を上げた。

 給食の牛乳パックは飲んだ後、ハサミで切り開き、各教室の廊下に置いた水を張ったバケツの中で洗い、雑巾で水滴をふき取ってリサイクルに出す事になっている。もちろん洗った水は排水溝へ流さず、中庭の花壇へ()く事になっている。

「去年から始めたばかりだから、まだご存じじゃない保護者の方も多いですよね。知ってもらえるいい機会になりました」

 俺がそう言うと、周りにいる一年生の担任達も同意するように頷いている。

「そう言えば、会議室の戸締りは確認されましたか?」

 そう言えば我がクラスの役員が一番最後までいたっけ。

「すいません。今から確認してきます」

 俺は慌てて立ちあがると、職員室の並びにある会議室へ向かった。

 もう誰もいないだろうと思ってドアを開けようとしたら、中から声が聞こえる事に気付いた。

 あんど―、まだいるのか。

 俺は急いでドアを開けるとあいつと安藤が楽しそうに喋っている姿が目に入った。

「なんだ、まだいたのか?」

 少しとぼけたように声をかけると、二人は驚いて振り返った。

「守谷先輩、すいません。もう帰る所です。さっき、先輩の話をしてたんですよ。クシャミしませんでした?」

 やはり安藤は安藤だよな。

 ここが実習先だと言う事を忘れて無いか?

「おまえ、保護者に余計な事言うなよ」

 あいつに俺の話をするなんて……と思ったけれど、安藤が俺の事を話すとしてもサークルでの事ぐらいだろう。

 この間は俺が安藤からあいつの話を聞かされ、今日はあいつが安藤から俺の話を聞かされたと言う事か。

 なんだか自虐的すぎて可笑しくなる。

 でも、さっきここへ入って来た時、あいつが安藤の話に笑っていた事を思い出し少し安堵する。

 そしてあいつは安藤に声をかけると、俺に「失礼します」と会釈して帰って行った。


「安藤、俺の話って何を話したんだよ?」

 あいつが会議室を出て行った後、俺は安藤の方を向き直り、少し問い詰める様な圧力をかけて言った。

「いや、そんな、たいした事言ってません。守谷先輩がカッコよかったのでサークルに入ったとか……いつも一言多いと怒られるとか……」

 安藤の話に俺は大げさに溜息を吐いて見せた。

「安藤、ここはどこか分かってるか? いくら知り合いでも相手は保護者なんだから、サークルでのお喋りのようなつもりでいたらダメだぞ」

 俺の苦言に安藤は少ししょげた顔をして「はい」としおらしく返事をした。

 なんだかんだ言っても安藤の実習は今週で終わりだ。

 もうこれ以上振りまわされる事は無いだろう。そう願いたい。


            *****


 給食試食会の翌日の放課後、子供達のアサガオを見に行った。すると先客がいた。

「拓都、どうした?」

 もう随分前に子供達は帰り、拓都は学童へ行ったはずの時間だった。

 まあ、学童は小学校の校庭の片隅にあり、校庭を共有しているので、いてもおかしくない。

「アサガオを見に来たの」

「学童の先生に言ってきたか?」

「うん、言って来たよ」

「あのね、昨日ママが給食試食会に来た時、アサガオを見る約束をしてたのに、見るの忘れたんだって。本当はこの前に学校へ来た時に見てくれるって言ってたのに、2回も約束破ったんだよ」

 昨日、あいつは安藤と話をしていて忘れてしまったのだろうか。

「ママは1年3組の役員のお仕事もしてもらってるから、忙しくて忘れてしまったのかもしれないな。先生がママにいろいろ頼んだせいかもしれない。ごめんな、拓都」

 俺が謝った事に驚いたのか、拓都は大きく見開いた目で俺の方を見て、そして首を横に振った。

「ママは忘れん坊だから、仕方ないよ。それにママはいつもお仕事がんばってるから」

「そうだな。ママは頑張り屋さんだものな」

 そう言うと拓都は嬉しそうに笑って頷いた。

「守谷先生、ママが約束破った事、内緒だよ」

 少し神妙そうに言う拓都は、ママの名誉のためなのか、それともこんな話をした事をママに黙っていて欲しいのか……。

「わかった。誰にも言わない。ママにもな。約束するよ」

 そう言いながら俺は小指を拓都の方へ突きだした。すると拓都は破顔して俺の小指に自分の小指を絡ませた。

 俺達は校庭の片隅で指切りをして、小さな秘密を共有したのだった。

  

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