#34:空気の読めない実習生
「もしかして……美緒さんじゃないですか?」
安藤の言葉に皆が唖然として安藤を見た。
安藤、どうしてあいつを知ってるんだ。
「すいません。私、安藤香織の妹の詩織です。美緒さんですよね?」
「えっ? 香織の妹なの? あの頃、小学生だった?」
「そうです。うわ~懐かしいです。美緒さんぜんぜん変わっていないけど……え~っと、7,8年振りですよね?」
「もう、そんなになるのねぇ。そう言えば、あの後、引越ししたんじゃなかった?」
「そうです。父が転勤族でしたから……今はK県にいます。私は大学でこちらへ戻ってきたんです。姉は短大を出て東京で就職しました」
あいつと安藤は、久しぶりの再会にその場の事を忘れて会話を続けて行く。俺はしばし唖然としたまま、口を挟む事も忘れ二人を見つめていた。
「ねぇ、ねぇ、篠崎さん、お知り合いだったの? 世間は狭いわねぇ」
西森さんはニコニコと自然に会話に溶け込んでいく。
「そうなのよ。もうビックリ。懐かしいわね……香織にもよろしく伝えてね」
あいつも笑顔で西森さんと安藤に言葉を返している。
俺の存在、完全に忘れられてないか?
「はい。姉も驚くと思います。……そう言えば、美緒さんもM大でしたよね? 姉がそう言っていたのを思い出しました。私の大先輩ですよね。そうしたら、守谷先輩の先輩にもなる訳だ……あっ、もしかしたら守谷先輩と同じ時期に大学にいた事になりますよね? 守谷先輩は目立っていたから、ご存知でした?」
あんどー!!
安藤の良く回る口が、次々とまずい事実を晒して行く。
こいつは悪気が無いから余計に始末が悪い。
「いえ、私は経済学部だったから……」
あいつが急に口ごもる。
俺が安易に安藤の見学を許したばかりに……。
「安藤さん、これ以上私語を続けるなら、本当に出て行ってもらうよ」
俺は怒気を込めて言った。
本当に頼むから席をはずして欲しいぐらいだ。
「すいません。懐かしくてつい……」
安藤がしょんぼりと謝ると、あいつも「すいませんでした」と謝った。そして、話し合いに戻ろうとした矢先、又安藤が「あれ?」と声をあげた。
「どうして美緒さんが、ここにいるの?」
あんどー!!
それ以上口を開くな!!
俺の黙れ視線も安藤には通用しない。
「そんなの、役員だからに決まってるでしょう? 何の見学をしてるつもりだったの?」
絶妙のタイミングで、西森さんがクスクス笑いながら突っ込みを入れる。
しかし安藤は、西森さんに突っ込まれた事さえ気づかずに、驚いた顔をした。
「ええっ? 美緒さん、お子さんいるんですか?」
「ええ、まあ……」
あいつは安藤の問いかけに肯定しながら言葉を濁した。
安藤はあいつの年齢を知っているから、子供がいる事に疑問を持ったに違いない。
でもあいつは継母だなんて知られたくないんだろう。
安藤、ここでそれ以上は突っ込むな。
「安藤さん、何度言ったらわかるんだ?」
俺は、少しキレ気味に安藤をにらんだ。
「すいません。すいません。もう何も言いません」
安藤はぺこぺこ頭を下げると、声が出ない様に手で口を覆った。
今度口を開いたら、追い出してやる。
その後しばらくしたら、他の実習生が「井田先生が呼んでるよ」と安藤を呼びに来た。
今日はもういいと言われたんじゃなかったのかと突っ込みそうになったが、早く行ってくれた方が良かったので、俺は早く行くように急かした。
それでも安藤はマイペースに立ちあがると、皆に向かって「失礼しました」と頭を下げると教室を出て行った。
俺は急に力が抜けたような気がした。そして、三人で顔を見合わせ大きく溜息を吐いた。
「なんだか、台風みたいだったわね。……それにしても、篠崎さんと守谷先生が同じ大学出身だったなんて……こちらも世間が狭いわね」
気が緩んでいた俺は、西森さんの言葉にハッとし、ここにもまだ安藤よりも大きな台風がいた事を思い出した。
好奇心旺盛な西森さんの興味津々の瞳がきらりと光る。
「それは、M大が地元の大学だからですよ。この小学校にもM大出身の先生は、多いですよ」
俺は感情的にならないよう、それでいて西森さんの興味を潰すよう、淡々と説明した。それで西森さんは納得したのかそれ以上何も云わず、俺は話をアンケートの話題に戻し、そのまま話し合いを続けた。
「それじゃあ、アンケートの質問内容は、味・量・メニュー内容・盛り付けについての評価と、家で子供と給食の話をするか? その時、どんな話をするか? と言う質問と、それから、子供の好きな食べ物、嫌いな食べ物。……この3点でいいですか?」
俺は、白紙の用紙に書きつけると、役員二人に確認した。そしてその後、全体の会議で他のクラスの質問内容と合わせて、アンケートの質問事項を決めて行った。
「給食試食会の当日は、最初と最後に学級役員さんに挨拶をしてもらいますので、言う事を考えておいてください。それから、試食会の進行やアンケートの説明等も学級役員さんが主になってしてもらいますので、よろしくお願いします。試食会が終わった後、アンケートを集めて、会議室でクラスごとに集計してもらいます。学級役員さんには申し訳ないけど、試食会の後、残っていてください」
学年主任の長嶋先生が、各クラスの役員に向かって当日の注意事項を説明して会議は終了した。
初めての役員の仕事に戸惑いの方が大きいのか、あいつのあんな不安そうな表情は初めて見た気がした。
サークルでリーダーをしていたあいつは、リーダーシップもあり責任感もあったから、こんな役員の仕事なんかで怯む事は無いと思っていた。
もう、俺の知っているあいつは居ないのかもな。
その日、役員たちが皆帰ってしまった後、俺は自分の教室の掲示物を張り替えるために1年3組へ戻り作業を済ませた。そして開け放たれた窓際に立ち、すぐ外の中庭に並べられた子供達のアサガオの鉢を見つめた。
1年生は生活科でアサガオを育てる。5月の連休明けにそれぞれのプラスチックの鉢に種をまいて、毎朝子供達が自分のアサガオに水やりをする。500mlペットボトルの口にジョウロの先のように沢山穴のあいた特別なキャップを付けて水やりをするので、1年生には重い水入りのジョウロを持たなくてもよかった。
素直な子供達は熱心に水やりをし、観察をしている。夏休みに入る頃には花が咲きだし、その観察が夏休みの宿題となる。
しかし、皆のアサガオが同じように育つ訳では無く、こちらもハラハラしながら見守っている。
「守谷先輩、ここにいたんですか」
背後から聞こえた声が安藤の声だと分かり、先程の事を思い出し、溜息を吐いた。
振り返ろうとしたら、いつの間にか隣に並んでいた安藤が「アサガオ、懐かしいですね」と嬉しそうに声を上げた。
安藤の声になんとなく毒気が抜け、何と言えばいいのか分からなくなり黙っていると、安藤の方から「さっきはすいませんでした」と謝って来た。
「もう済んだ事はいいから、これからはもっと空気を読め」
「はい、わかってはいるんですけど……あんまり懐かしくて……でも、美緒さんが結婚したなんてびっくりですよ。おまけに子供までいるなんて……美緒さんって姉と一緒だからまだ26歳のはずなんですよ。学生結婚だったのかなぁ」
俺が黙っていると、安藤は話を続けた。
「美緒さんってね、私の憧れの女性なんです。お姉ちゃんは意地わるばかりで、私を除け者にしてきたけど、美緒さんはいつも笑顔で私にもおいでと声を掛けてくれたんです。テニス部のキャプテンで、とてもしっかりしているのに優しくて、大好きでした。あの頃いろんな折り紙の折り方を教えてくれたのも美緒さんだったんですよ。美緒さんも折り紙サークルだったらよかったのに……って、サークルが一緒でも年代が違うから一緒には出来ないですね。でも、私の折り紙の原点は美緒さんなんです。……きっと美緒さんなら良い母親なんだろうなぁ」
俺はクラクラした。
どうして安藤の口からあいつの事を聞かされなきゃならない。
「安藤、他人の個人情報をべらべら喋るな」
「あっ、すいません。つい懐かしくて……再会できて嬉しくて、誰かに聞いて欲しくて……美緒さんともっと話したかったなぁ」
俺は心の中で盛大に溜息を吐いた。
こいつ、何度言っても分かって無いな。
俺は安藤を無視して、窓辺を離れた。
「守谷先輩、怒らないでくださいよ」
「怒って無い。呆れてるだけだ。それに、ここでは先輩と言うなと言っただろ。それから、窓を閉めて、もう帰れ」
俺はそう言い捨てると、教室の出入口に向かった。背後で窓を閉める音と「守谷先生、すいませんでした」という声が聞こえたので、俺は振り返らず手を上げ教室を後にした。




