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あの虹の向こう側へ  作者: 宙埜ハルカ
第一章:再会編
32/85

#32:家庭訪問

 ゴールデンウィークがあっと言う間に過ぎ、家庭訪問ウィークがやって来た。事前に尋ねた各家庭の希望日時に合わせてスケジュールも組んだ。

 今年は玄関先か、玄関内で話を済ませ、家には上がらずに回ろうと密かに決めていた。しかし、その決意は一軒目でもろくも崩れ去った。

「こんにちは、1年3組の担任の守谷です」

「あー! お待ちしておりました。どうぞ、どうぞ」

「いえ、今回は玄関で失礼しようと……」

「そんな事言わずに、いろいろお話したい事もありますので、どうぞ上がってください」

 満面の笑みで、話があるからと言われてしまうと、どうにも断れず、「それじゃあ、おじゃまします」と、結局上がってしまった。

「どうぞ、お気遣いなく……」

 コーヒーやお菓子まで出されても……。

「守谷先生はコーヒーはお嫌いでしたか? 紅茶の方がよろしい? これ、手作りのチーズケーキなんです。どうぞ」

「コーヒーも紅茶も嫌いじゃありませんが、甘いものは苦手で……コーヒーだけ頂きます」

 相変わらずニコニコ笑顔で進めて来る母親に、申し訳なく思いながら、さりげなくケーキを断る。

「せっかく守谷先生のために焼いたのに。 そんなに甘くないんですよ」

「いえいえ、本当に。それよりも、お話と言うのは何だったでしょうか?」

 不満顔の母親に本来の目的を振る。


「ああ、そうでした。守谷先生、去年の父親が怒鳴り込んできた事件ですけど、私、守谷先生を信じてますから。先生の事応援していますので、頑張ってくださいね」

 はぁ? 子供の事じゃないの?

「ありがとうございます。……あの、真菜(まな)さん(この家の子供)の話はいいんですか?」

「えっ? 真菜? ああ、あの子の事はお姉ちゃんもいるし、二人目だから心配していないの」

 悪びれずに言う母親は、それでもその後延々と2人の子供の話をした。

 まるで母親同士の会話の様な話しぶりだが、何となく母親の次女に対するスタンスが窺える。

「……だから、真菜はおとなしくて手がかからなくて、楽なのよ」

 母親は少し自慢気にフフフと笑った。

 手がかからないから楽? 何か違うんじゃないかと思ったが、各家庭の教育方針には口は出せない。

 そうですかと相槌を打つと、「それでは、次の時間が迫ってますので、学校や勉強の事で聞きたい事や、学校への要望などがありましたら、お聞かせください」と家庭訪問の締めに入る。

「そうねぇ、守谷先生を信頼していますので、お任せします」

 母親は散々喋って満足したのか、そう言うとニッコリと笑った。

 おいおい、丸投げは止めてくれと心の中で呟きながら、こちらも笑顔で「わかりました。私に出来るだけの精一杯の対応をさせていただきます。では、失礼します」と立ち上がった。

 

 一軒目の訪問を終えて車に戻ると、どっと疲れが出た。ずいぶん時間を取ってしまい、もう次に訪問する時間になっている。慌てて遅れる旨を連絡した。

 最初からこれでは……と自己嫌悪に陥りながらも、あれは相手が上手(うわて)だったよなと自分を慰めた。

 西森さんとは違う種類だけれど、精神的にダメージをくらった気がする。

 きっと、ケーキを食べてくれなかったと、母親達の間で愚痴られるのだろうな。

 それでもさっき飲んだコーヒーでお腹は膨れ気味だ。次は上がらずに済むようにと願いつつ、飲み物だけは絶対に辞退しようと新たな決意の元、次の訪問先に向けて車を進めた。


 その後の訪問した家庭では、一度は今日は玄関で失礼しますと言っても、しつこく勧められると断り切れなかったり、あっさりとそうですかと玄関で簡単に話をして終わる家庭もありと、色々だった。

 訪問を短く済ませられた家庭が続き、順調にスケジュール通りの家庭訪問をこなし、最後から2軒目の予定の家庭を訪問した。

 それまでがスケジュール通りの時間に遅れずに回れていたので油断したが、ここの母親も一軒目の母親と同じタイプだった。

 熱心(強引?)な勧めで家に上がり、当然のごとく出されるお茶とお菓子。一軒目と同じように甘いものが苦手でとやんわりと断ると、「それじゃあ、お煎餅でも」と返されタジタジだ。

 実際のところ、この時間になって来ると少し小腹がすいているが、ここでだけ食べる訳にもいかず、どうにか本題に引き戻した。

 ここでも母親はひとしきり子供の事を話すと満足したのか、聞きたい事や学校への要望を尋ねても特にないとの事で、やっと終わる事ができそうだ。時間もギリギリだけれど、何とか次に間に合うだろう。


「ねぇ、守谷先生ってM大ですよね?」

 帰るために立ち上がろうとしたら、突然の問いかけに、動きが止まり、また座り直した。

「はい、そうですが……」

「私の従姉妹にM大へ行った子がいて……従姉妹と言ってもずいぶん年下で、今年M大を出て社会人になったんだけど、守谷先生の事知ってるって言ってました。有名だったらしいですね?」

 興味津々の目でこちらを見る母親は、まるで俺の秘密を知ってますよと言わんばかりで……。

「有名かどうかは自分ではわかりませんが、普通の大学生でしたよ。それより、次の時間が迫ってますので、この辺で失礼します」

 心の中で溜息をつきながら、強引に話を終わらせ、立ち上がった。

「あら、そう? もっと話がしたかったのに……」

「すいません。あまり時間がありませんので……お子さんの事で何かありましたら、また学校の方へご連絡ください」

 俺は一礼すると、玄関を出た。

 これだからこの県で教師になったのは失敗だったんだ。地元のM大関係で俺の事を知っている奴が多過ぎる。あいつとか、あいつとか……。

 やはり、実家の県の採用試験を受けるべきか……。

 今度は(おもむろ)に溜息を吐くと、時間を思い出して慌てて車へ戻った。

 やはりもう次の約束5時になるところだ。遅れる旨を連絡しなくてはと、携帯を取り出した。

 本日の家庭訪問の最後はあいつの所だ。


 携帯のコール音が鳴り続く。

 クソッ、どうして出ないんだ。

 仕方なく固定電話の方へかけると、すぐに出た。

「もしもし、篠崎さんのお宅ですか?」

「はい」

 自分から名乗らないのは、防犯のためか。

「すいません、守谷です。時間が遅れておりまして、今、前の方が終わった所です。後5分ぐらいで着けると思います。よろしくお願いします。」

「わかりました。よろしくお願いします。」

 電話越しのあいつの声は、あの頃と変わりなくて……そんな事まで覚えていた自分に苛立った。


 あいつの自宅へ向かって運転しながら、妙な焦りにかられる。こんな風に再びあの家を訪れる事になるなんて……。

 あの角を曲がると、3軒目があいつの家だ。地図なんて見なくても覚えている。

 そして、そこに、余りにも懐かしいものを見つけ、それに再会できた喜びに胸が震えた。

「ジュディ……」

 思わずその名を呟いていた。

 もう既に乗り換えていると思ってた。あいつが初めて買った車ローバーミニ(ミニクーパー)。

 車なのに名前まで付けて、可愛がっていた愛車。

 俺と一緒に見に行って買った車だから、俺達の間をつなぐ虹の様な存在だったから、あの別れと共に乗り換えてると思ってた。ましてや結婚したのなら余計に。

 俺とは別れてもジュディを今でも大切にしてくれている事が嬉しいのか、何か込み上げてくるものがある。こんな事で胸が震えるなんて。


 この家の玄関に取り付けられているのはチャイムでは無くブザーだ。ご両親が建てた家だと言っていたから、その頃から変えていないのか。押すと、中からブーと言う音が聞こえた。

 足音が聞こえ、ドアがゆっくりと開かれる。心臓の鼓動が早まって行く。静まれ心臓。平常心だ俺。

 ドアが開き、あいつがそこに立っている。近い距離で対峙すると見上げるあいつと少し視線を降ろした俺の目が合う。お互いの目の中に緊張を感じた途端「遅れてすいません」と頭を下げた。

 「いいえ」とあいつは言うとドアを大きく開けて「どうぞ」と玄関の中に招き入れてくれた。

 この時は玄関先だけで帰ろうとか、家には上がらないでおこうとか、すっかり頭の中から零れ落ちていた。

「守谷先生、こんにちは」

 中に入るとニコニコ顔の拓都が待ちかねたように挨拶をして来た。拓都の存在が俺の緊張を緩める。

「拓都、こんにちは、お邪魔します」

 拓都に釣られて笑顔で挨拶を返す。

「拓都、先生はママとお話があるから、自分のお部屋へ行っていてね」

 せっかく拓都の存在で緊張が緩んだのに、拓都を追い出さなくても……。しかし、拓都は元気に「はーい」と返事をすると、「先生、またね」と2階へ上がって行った。

 

 見覚えのあるダイニングのテーブルへと案内され、席に着く。極力周りは見ないようにする。他の誰かの存在に結び付く物など目にしたくない。

 ここで一対一で対峙しろと言うのか? 

 この間は怯えたように緊張していたくせに。

 俺は意地でも余裕を見せねばと思っていると、冷たい麦茶を出してくれるあいつの手が震えているのに気づいた。

 やはりあいつだって緊張してるじゃないか。

 そう思うと少し余裕が出た。


「まだ、あの車に乗ってるんだ」

 少し余裕が出た所で、思い出したのはさっき再会したばかりのあのジュディの事。思っていた事が口からこぼれた。

 途端に呆けた顔をするあいつ。

 いきなりこんな事言ったら、驚くよな。でも、何か勝ったような気がして、言葉を続ける。

「だから、カーポートに停めてあるミニだよ」

 何を言われたのか分かったあいつは顔をしかめ、「買い替える余裕がないのよ」と無愛想に言葉を返した。

「旦那に買い替えてもらわなかったのか?」

 こんな詮索する様な問いかけをしてしまったのは、あいつの取り付く島もない様な返事のせいか。

 今度は視線を落とし気味に彷徨わせて、あいつはしばし逡巡している。

「あの車を気に入ってるから替えたくないの」

 気に入ってると言われて、少し気分が高揚し、俺は頬を緩ませた。

「ああ、ジュディだっけ?名前まで付けるほど気に入っていたもんな」

 自分の立場も忘れ、想いは過去へ遡って行く。この家で、目の前にはあいつがいて……。


「守谷先生、家庭訪問の方を始めて下さい」

 突然あいつが、二人の間に明確な線を引いた。そうだ、俺は担任で、あいつは母親で……。

 さっきまで俺は、あの頃と同じようにタメ口でしゃべってたよな。

 何と言う事だ。ジュディに惑わされたのか。この家が過去へつながるタイムトンネルなのか。

 俺はあいつの言葉にハッとさせられ、居住まいを正し、「失礼しました」と謝った。


「拓都君は、学校では、今のままで特に気になる事はありません。勉強に関しても、よく理解していると思いますし、積極的に手を上げて、発表もしてくれます。友達との関係も、上手く行っていると思います。お家の方で、何か気になる事はありませんか?」

 慌てて担任の顔に戻り、すらすらと拓都の事を話す。もう惑わされるな。

「いえ、特には……」

「それじゃあ、このまま見守ってあげて下さい。他に、学校の事や勉強の事など、聞きたい事はありませんか?」

「今の所、特にありませんので、又何かありましたら、よろしくお願いします」

 余りに素っ気ない反応に、溜息が出そうだ。俺とは話がしたくないからだろうか。

 それでもそれ以上言う事も無く、立ち上がると最後の締めの言葉を言った。

「それじゃあ、これからも役員としていろいろとご協力願いたいと思いますので、よろしくお願いします」

 そのまま一礼して踵を返し、玄関へと向かった。あいつが拓都を呼んでいる。最後の挨拶をさせるつもりなのだろう。

「先生、もう帰るの?」

 拓都は下りて来るなり、俺を見上げて尋ねた。

「ああ、拓都はしっかりお母さんのお手伝いをしろよ」

 そう言って、拓都の頭をクシャクシャとかき混ぜる。嬉しそうな顔をした拓都が、元気に「はい」と返事をした。


「それでは、失礼します」

 俺は靴をはくともう一度挨拶をして、ドアを出た。

 もう二度と来る事は無いだろう。

 心の中でこの家とジュディに「さよなら」と告げていた。


 

 


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