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あの虹の向こう側へ  作者: 宙埜ハルカ
第一章:再会編
30/85

#30:新しい関係

 俺は教室を出た所で「クソッ」と言って舌打ちをした。

 西森さんの天然発言に腹が立ったのでも、俺の前で怯えたようなあいつに腹が立ったのでもない。

 何もかも分かって挑んだ学級懇談だったはずなのに、あれぐらいの事で動揺してしまう自分に一番腹が立った。

 職員室へ向かって歩きながら、俺は自分の短慮を悔いた。

 どうしてあの時、あんなバカな事を考えたのか……。

 3年ぶりの再会に、俺は何かを期待したのだろうか?

 それとも、こんな最悪な形での再会に、意趣返しをせずにいられなかったのか。

 結局は俺の中の未練に、自分自身が振りまわされているのだ。

 情けない。

 

 忘れ物をしたと言った手前、何も持たずに戻る訳にもいかず、すでに用意してあった提出用のプリントと同じものを持って再び教室へと向かった。

 今度こそ何があっても、たとえ西森さんが思いもよらない爆弾発言をしたとしても、平常心で乗り切ってやる。……って、同じ事を授業参観の前に思ったっけ……。今度こそ本当に。あいつが目の前にいるからこそ、余計に。そして俺は固い決意で教室へ戻ってきた。


「お待たせしてすいませんでした」

 教室に入る前、和やかな会話をしている声が聞こえて来たので、さっきの居た堪れない雰囲気が消えている事に気をよくした俺は、穏やかに二人に声をかけた。

 席に着き、二人に持って来たプリントを配る。このいい雰囲気のまま最後まで説明をしてしまおうと思っていると、再び空気を読まない西森さんが嬉しそうに口を開いた。


「ねぇ、ねぇ、守谷先生。篠崎さんって、愛先生に似てると思わない?」

 俺は再び絶句した。

 ここで愛先生の名前が出てくるとは思いもしなかった。

 どうやら俺の想定以上の破壊力があったようだ。

 どうして西森さんと言う人は空気を読まないくせに、訳も分からず人の事情に的確に攻撃してくるかな。

 あいつは愛先生の事など知らないだろうから気にする事無いと分かっていても、咄嗟に俺はチラリとあいつの方へ視線を向けてしまった。

 すぐに気を取り直して「そうかな? あまり似てるとは思わないけど……」と答えると、返事が気に入らなかったのか、尚も西森さんは言い募る。


「髪型が違うから、少し雰囲気が違うけど、さっき篠崎さんが笑った時、そっくりだと思ったのよ。ほら、篠崎さん、笑って」

 無茶言うなよ。あいつが困ってるだろ。さすがの俺も堪忍袋の緒が切れそうだ。

 とうとうあいつまで「あの、愛先生って?」と尋ねてくる始末で……。

 もう、なんとかしてくれ!


「そろそろ説明しますので、雑談はそのぐらいで……」

 まだ嬉しそうに愛先生の話を続ける西森さんを一瞥すると、俺は一切の雑談は許さないと言わんばかりの雰囲気で話を断った。

 湧き上がる怒りを押さえこみながら、説明を始める。

 その怒りが誰に対してのものかわからないけれど、いつもより低めの声が出てしまうのは、どうしようもない。自分の感情を硬く冷たい態度で押さえこむ事しかできない。


「クラス役員を決める前に説明しましたが、クラス役員は全員、専門委員会にも参加する事になっています。それでこのプリントに、希望の専門委員会を第三希望まで書いてもらいます」

 先程配ったプリントについて説明し、続いてそれぞれの専門委員会について書かれた資料を配り、説明を続けていく。その資料には、昨年度のそれぞれの専門委員会の活動日や活動内容に記載されていて、希望の専門委員会を決める時の参考にしてもらう事になっている。

 クラス役員の殆どが母親で、仕事を持っている人も多い中、仕事によっては昼間余り時間の取れない人、平日に休める人等いろいろだから、自分の都合に合わせて参加する専門委員会を決めてもらうためだった。

 俺は感情を見せないように硬い声のまま説明を終えると、「今週中に書いて子供に渡してください」と締めくくった。

 出来るだけあいつの方は見ないようにしていても、あまりに近い距離にいるため、視界の端にあいつの姿を捉えてしまう。

 俺の説明を聞いても、どこか不安そうなあいつに、心の中で『わからない事があるなら、訊けよ』と悪態をつく。

 そのくせ、優しく『分からない所があったら訊いてください』と言える程、今の俺には余裕がなかった。

 あいつに対する複雑な想いの全てを押し込めるには、突き放したような冷たい態度をとる事しかできなかったんだ。


「私は前回広報委員をしたのだけど、広報誌を作るのは楽しかったから、また広報にしようかな? 篠崎さんも、広報にする?」

 不安げなあいつに西森さんが、希望委員会に広報を提案した。

 広報ってPTA新聞を作るから、結構時間も長いし、会議の回数も多かったのじゃないかな?

 あいつはフルタイムで働いてるんだ。そんなに時間の取られるものを提案するなんて。

 また込み上げてくる怒りに、表情を硬くする。どうにも今日の俺の沸点は低過ぎる。

 その上、あいつまでもが、「何も分からないので、西森さんと同じにしてもいいですか?」などと言い出す始末で……。

 分からないからと言って、そんなに安易に決めるなよ。


「広報って、会議とか多いんじゃないんですか? 篠崎さん、お仕事そんなに休んで大丈夫ですか?」

 思わず口を挟んでいた。今まで役員が希望の委員会を決める時、口出しした事など無かったのに。

 3年ぶりにあいつに直接話しかけたのが、『久しぶり』でも『元気だった?』でも無く、こんな言葉だなんて……。

 驚いて俺の方を見るあいつ。至近距離で絡まる視線。二人の間の空間だけが、時の流れから取り残され、停止してしまった様な気がした。


「守谷先生、酷いわ。私だって働いてるのに、私にも訊いてよ」

 凍りついた空間を切り裂くのは、やはり空気を読まない西森さんで……いや、もしかすると、的確に場の雰囲気を読み、フリーズしないようにわざと天然発言をしているのか?!

 (あなど)り難し、西森さん。


「西森さんは広報の実態を知っていて、広報を選ぶんだから、お仕事をしていても、大丈夫なんでしょう?」

 西森さんの拗ねて見せる様子に溜息を吐くと、俺は皮肉交じりに諭すように問いかけた。それでも西森さんには皮肉なんてサッパリ通じでいなくて、エヘヘと笑うとすぐさまあいつの方に向き直り、話しかけている。

 その切り替えの速さに唖然としていると、西森さんは持ち前のお節介で、あいつの平日の時間の都合を尋ねていた。


「平日なら夜の方が確実に出られると思います。でも、子供も連れて行っていいのかな?」

 委員会によっては夜の会議の所もある。その事を言っているんだろうけれど、拓都を置いて行くのはやはり不安なのだろう。まだ1年生だものな。


「広報の仕事をしている間、おとなしくしていられるなら、いいと思うけど……見てもらう人はいないの? 旦那は帰り遅いの?」

 二人の会話を聞くともなしに聞いていた俺にとって、西森さんの言葉はまるで急所を狙ったように、的確に突いて来る。

 あいつは何と答えるのだろう? 

 あいつの口から旦那の事が語られたら、平常心でいられるだろうか?

 何を考えてるんだ。あいつの口から旦那の事が出て来ても、それは普通の事じゃないか。

 無意識に情けない考えをしてしまった自分を叱り飛ばす。


「大丈夫よ。広報はね、夜しか出られない人と、昼間出られる人のグループに分けて、作業するから……みんな親だから、子供を連れて行っても理解してもらえると思うわ」

 先程の問いかけの返事を言いあぐねていたあいつに、西森さんは優しく説明する。そして俺の方に視線を向けると苦笑しながら「守谷先生、そう言う事ですから、広報でも大丈夫なんですよ」と締めくくった。

 ああ、これが年の功って言う奴か。

 西森さんは、天然発言をしているけれど、押さえる所はしっかり押さえている。


「そうですか。そう言う事なら、何も言う事はありません。それでは、学級役員の仕事について説明します」

 何となく面白くなくて、でもそんな気持ちを悟られたくなくて、俺は感情を押さえた低めの声で説明を始めた。

 学級役員は、各学期ごとの保護者参加の行事の手伝いをして貰う事になっている。1学期は給食試食会、2学期は親子ふれあい学習会、3学期は親子レクリエーションと言うのが主な行事だ。

 ほとんどの学期が、企画と打ち合わせと準備に2日、そして行事の当日の3日間、学校へ来てもらわなければいけない。


「学級役員の会議は、夕方の4時からと言う事になっています。お二人は、時間的に大丈夫ですか?」

 そう、これがあったから、委員会の方に時間を取られないようにして欲しかったのだ。そう度々仕事を休んでもらう訳にはいかないだろうから。


「守谷先生、なによぉ~さっきも時間の話ししてたじゃないの。私はもちろん大丈夫だけど、篠崎さんは、4時だとまだお仕事終わらない時間でしょ?」

 西森さんはやはり押さえるべき所を見抜ける人だ。しかし、学級役員の会議の時間は変更する事が出来ないので、最悪どちらか一人だけの出席でも仕方がない。


「あ……そんなに頻繁じゃ無ければ、大丈夫です。早退します」

 視界の中のあいつは慌てたように言いきった。他人に気を使い過ぎるあいつの事だ、少々自分が困っても、他人に合わせるのだろう。

 またあいつの事を考えている自分に嫌気がさして、俺は素っ気なく説明を続けた。


「そうですか……それじゃあ、全ての日程が決まっている訳じゃないですけど、第一回目の会議は、来週の木曜日の午後4時に会議室で、初顔合わせと、今後のスケジュールについて話し合います。学級役員の会議は、学年単位でしますので、5クラスの役員10名と担任5名の予定です。都合が悪くなったら、学校へ連絡してください」

 説明を終えると、あいつはスケジュール手帳に来週の会議の事を書き入れているのだろう。片や西森さんは携帯にスケジュールを入力しているようだ。手慣れたしぐさで携帯をいじっている。その様子を驚いて見ていたあいつに、西森さんは携帯でスケジュール管理をしている事を話している。

 たしかにあいつはあの頃も携帯が苦手だった。メールを打つのも億劫がっていたぐらいだ。

 少し自慢気に携帯の画面を見せて、簡単だと話している西森さんは、俺にまで話を振って来た。


「簡単かどうかはその人に寄ると思いますけど、自分のやりやすい方法で管理すればいいと思いますよ。携帯と言えば……役員の方とはいろいろと連絡を取る事が多いと思うんですが、今年から個人情報保護の観点から、教職員の携帯番号は公開しない事になりまして……でも、役員の方の時間的都合もあると思うので、携帯メールで連絡を取り合いたいと思います。それから、こちらの携帯から電話をかける時は、非通知で電話をしますので、非通知拒否の設定をしていたら、解除しておいてください」

 俺はすっかり忘れていた担任と役員との連絡方法について説明すると、携帯を取り出してプロフィールを表示させると、先日変えたばかりのアドレスを紙に書き写し、二人の前に提示した。

 

「守谷先生、今時手で登録しなくても、赤外線で送って下さいよ」

「西森さん、赤外線だと、携帯番号まで送ってしまうので……すいませんが、手で登録してください。それから、アドレスを登録できたら、件名に名前を入れて、空メールを送ってください」

「あ、そうか……でも、守谷先生はずるいね。自分は受信したメールで登録するんだから……あ、そうそう、篠崎さんの携帯アドレスと番号も教えて?」

 西森さんの手は会話を続けながらも素早くキーを押し、俺の携帯へ空メールを送って来た。そんな西森さんの様子を茫然と見ているあいつは、西森さんより早くからアドレスを入力していたのに、未だに空メールを送って来ない。それなのに、西森さんに請われて不慣れな赤外線で携帯情報を交換している。


「あの、もういいですか? 篠崎さん、私の携帯へ空メールを送ってください」

 少しイライラしながら、二人がアドレス交換するのを待ってから、あいつに声をかける。あいつは俺が声をかけるとビクリと小さく肩を震わせ、「すいません」と謝った。

 そんなに怯えなくても……。

 俺はあいつにとっては会いたくない存在だっただろうに……。俺のつまらぬ悪戯心のせいで、こんな事に巻き込んでしまって……ごめんな、美緒。

 あいつのいつまでも緊張した様子に、俺はこの現状を招いた自分を恨みながら反省した。

 それでも、ここで謝る訳にもいかず、冷たい態度をとる事で自分の感情を押し殺した。


 そうして、やっと届いたあいつからの空メールで登録を済ませると、携帯を閉じた。

「言い忘れましたが、携帯アドレスを教えるのは学級役員だけで、他言しない様にしてください。そのアドレスは、1年後に変えますので、今年度限りだと言う事も、覚えておいてください」

 最後にそれだけ言うと俺は立ち上がった。これで今日はお開きだ。

 西森さんは相変わらず能天気な声で「了解しました」と答えた。そして立ち上がった俺を見上げると、本日最後の爆弾を落とした。

 

「ねぇ、守谷先生。今日はいつもと違うのは、私たちみたいな美人を前にして、緊張したからですか?」

 ああ、侮りがたし、西森さん。

 さすがにここまで来ると少しは免疫ができたのか、俺はさっきまでの硬い表情を和らげて微笑むと「そうかもしれないですね」と答えた。


「もうすぐPTA総会が始まります。体育館へ入ってください。では、1年間、よろしくお願いします」

 少し余裕ができた俺は、これも運命。受け入れるしかないよな、と開き直った。

 

 ここから、俺と美緒の新しい関係が始まったんだ。



 

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