#24:デイキャンプ
「守谷って、愛先生の事、結構意識してるだろ?」
広瀬先生にそんな風に言われたのは、新学期が始まって1ヶ月程経った、ゴールデンウィーク前の週末金曜日の夜、誘われて飲みに行った時の事。
転任してきた大原先生の事を、皆がいつの間にか愛先生と呼ぶようになったのは、以前からいた年配の教師に大原先生と言う人がいたからだった。
「えっ?」
「もしかして、無自覚か?」
広瀬先生が少し呆れたように苦笑する。
内心思い当る事があるから、酷く焦る。これでも周りに気付かれないように気を付けてたのに。
「そんな風に見えますか?」
自分に落ち着けと言い聞かせながら、どこでボロを出したのか探りを入れる。
「まあね。他の女の先生に対するのと、愛先生に対するのとはお前の雰囲気が違うね。もしかして、惚れたか?」
広瀬先生がニヤリと笑って、こちらの反応を窺うように見た。
「そんな事、ないですよ」
俺が慌てて否定すると、広瀬先生は声を上げて笑った。
「そんな風に慌てる所が怪しいな。愛先生も今フリーらしいし、いいんじゃないか? お前を振った元カノを忘れるためにも」
まさか、ここで元カノの事が出てくるとは思わず、それが何の悪気もなく、むしろ俺の事を想っての発言だと思うと、本当の事などとても言えないと思った。
愛先生の笑顔が、元カノの笑顔に似てるなんて……。
周りから見ても分かるぐらい意識してたのか。
確かに、美緒の笑顔を渇望してた俺は、愛先生の笑顔に視線が引き寄せられていただろう。
でも、外見が似ていていても、二人は全く別の人間だと言う事は分かっている。分かっているんだ。
「そんな事より、ゴールデンウィークはお天気良さそうですよね。5月3日も晴れるといいですね」
俺はあからさまに話を変え、話題をゴールデンウィークに予定しているデイキャンプに切り替えた。
「ああ。メンバーも揃ったし、準備万端だよ。守谷、チャンスじゃないか? 愛先生も行く事だし」
そう言ってニヤリと笑う広瀬先生を見て、俺は大げさに溜息をついて見せた。
結局からかいのネタを提供したようなものだ。
「広瀬先生、勘忍して下さいよ。皆の前ではそんな事言わないでくださいよ」
「言わなくても、皆も同じように思ってるんじゃないか?」
広瀬先生はそう言ってクスクス笑った。俺はもう一度大きく溜息を吐いた。
新年度になって、担任はそのまま持ち上がるものと思っていたら、再び3年生の担任となった。そして皮肉にも、愛先生も3年生の担任だった。だからと言う訳ではないが、彼女とは何かと話をする機会が多いし、話しやすいとさえ思う。
それは、彼女が美緒に似ているせいなのか、彼女がとても自然体で、岡本先生のようなどこか意識的な態度を取らないからなのかは、よく分からないが……。
広瀬先生は、持ち上がって4年生の担任となった。以前ほど学校で話をする機会は無いが、今でもこんな風に飲みに誘ってくれたり、一緒に食事に行ったりと、やはり一番気の置けない同僚であり先輩だ。
そんな広瀬先生に趣味のアウトドアや写真の話をしたら、興味を持ったのか、皆に声をかけて出かけようと言う事になり、それが今回のデイキャンプの計画となった。独身の先生達に声をかけてくれたようで、今回一緒に行く事になったのは、俺達を含め男性4名女性3名の計7名のメンバーだった。
*****
5月3日、俺達は海に近いオートキャンプ場へ来ていた。
五月晴れの太陽の元、爽やかな海風を身体全体で受け、久々のアウトドアに強張った心が解放されて行くような、清々しさを感じる。
普段は忘れているが、もうずっと心の奥に暗く重い憂鬱な曇り空を抱えている様な感じだったから。
妃先生の恋を応援しながら、自分の恋に無謀な期待を育てていても、心の奥の暗い部分を見ないフリ、気付かないフリしていても、本当は分かっていたんだ。分かりたくなかっただけで。
でもきっと、この想いは消せない。消せないと思う。
妃先生の恋が成就して、想い続ければ叶うのじゃないだろうかと蜘蛛の糸程の希望に縋ろうとしている自分が情けない事も、妃先生と俺ではもともと恋愛の立ち位置が違うのだと言う事も、重々承知している。
それでも、自分が振られたのだと言う事を、まだどこか受け止めきれなくて……。
俺はこの想いを消せないのじゃなくて、この想いから逃れられないのかもしれないと、溜息を吐くように思った。
それにしても、空も海も青い。
せっかくの天気に、曇り空の心ではもったいないよな。
以前よりは少し周りを見る余裕のできた心は、こんな風に少しずつ気持ちを切り替えていけばいいんだと自分を励ます。
先程までのバーベキューでは、皆とても楽しく食べて飲み、やはりアウトドアはいいなと改めて思っていた。運転者の事を考えて用意した飲み物がたとえノンアルコールビールやジュースでも、青い空と青い海、皆の笑顔でアルコール以上に気分のいいものになったのだ。
そして一人トイレへと抜けだし、戻る途中で海を見ながらつらつらと考えていた自分に苦笑しながら、再び楽しそうな輪の中へ戻った。
「なぁ、俺、ボール持って来たからビーチバレーしないか?」
広瀬先生のいきなりな提案に、皆が驚いたが、バレーボールを続けて来た彼らしい提案だ。
「広瀬先生、まさか水着になれとか言わないでしょうね? って、水着なんて持って来てませんから」
岡本先生が笑いながらツッコミを入れている。
「残念。真夏なら水着で出来たのになぁ。仕方ないから、そのままでいいよ。それに、ちょっと体動かさないと食べて飲んでばかりだと太るぞ」
「広瀬先生、太るは禁句です」
もう一人の女性教師の金子先生が、鋭く釘をさす。彼女はちょっとぽっちゃり系だ。
そんな会話を皆で笑いながら、男性陣は面白そうだと全員が「やろう、やろう」と乗り気だった。
「バレーボールですか……」
ボソリとテンション低く呟くように言ったのは愛先生だった。
「何? 愛ちゃん、バレーボール苦手だった?」
岡本先生が愛先生に問いかける。
この二人は同じ大学出身の同級生で、友達らしい。
「う…ん。苦手と言うか……中学生の頃に体育でバレ―していて、顔でボールを受けてから、ちょっとトラウマと言うか……」
愛先生がぼそぼそと説明したが、恥ずかしいのか俯き加減だ。
「大丈夫大丈夫、顔でボール受けるのなんて良くあるから。それに、今回はソフトバレーボールを持って来たから、そんなに痛くないよ」
広瀬先生の言葉はちっとも慰めになってない。
「愛ちゃん、バスケはいいのに、バレーはダメなんだ」
岡本先生がポツリと言った言葉に引っかかったのは、俺が中高とバスケをしていたからか。
愛先生もバスケをしていたのかと思った矢先、金子先生が「愛先生はバスケやってたの?」と訊いた。彼女も 同じように思ったようだ。
「いや、違うの。私、球技は全般的に苦手なんだけど……大学の時に男子バスケのマネージャーをしてたのは、友達に誘われたからで……」
「えー、そうだったの? 私はてっきり高校でバスケやってたからマネージャーをしてたのかと思ってたよ」
岡本先生は今更ながら知った新事実に驚いている。
「ルールも分からなかったけど、友達が熱心に誘うから……」
愛先生が恥ずかしそうに言い訳をすると、「本当はお目当ての男子がいたんじゃないの?」とツッコミを入れているのは辻岡先生と言う広瀬先生よりも1つ年上の男性教諭だ。そのツッコミに一生懸命否定する愛先生の様子に、また皆が笑った。
「そう言えば、守谷はバスケしてたって言ってたよな?」
広瀬先生が意味有り気に話を俺に振った。
先日愛先生の事でからかわれたのを思い出し、またかと思いながらも肯定の返事をする。
「M大とも試合した事がありますよ」
愛先生がニッコリ笑って言うのを聞いて、勘違いさせた事に気付いた。
「いや、中高はしてたけど、大学ではしていないんだ」
俺が訂正のためにそう告げると、愛先生は「そうだったんですか」と残念そうに返した。
「話戻すけど、バレ―、とにかくやってみようよ」
広瀬先生は気不味い雰囲気が漂い出したのを感じたのか、話を元に戻して立ち上がった。皆もそれにつられて立ち上がる。
「愛ちゃん、お遊びだから、ちょっとだけでもやってみよう?」
岡本先生の言葉に戸惑いながら頷いた愛先生だった。
まずは練習とばかりに、広瀬先生が皆の輪の中心に立ち、名前を呼びながら一人一人にボールを出していく。それを呼ばれた人がレシーブなどで彼に打ち返す。
さすがバレー部キャプテンだっただけあって、ボールのさばきが上手い。
愛先生にも優しくボールを出すと恐る恐るレシーブで返す愛先生に「上手だよ」とか「ナイスボール」とか褒めながら、愛先生を引き込んで行く広瀬先生は、やはりさすがだ。
ひとしきりボールに慣れた頃、今度は試合をする事になった。
この場限りの独自ルールは、男2人と女1人の計3人のチームで対戦をし、残った女性一人が得点をカウントする。10ポイント先取で負けた方の女性が入れ替わる。
砂に足を取られ、思った以上にやり難い。お遊びだと思っていても、つい真剣になって勝ちに行こうと思ってしまうのは、中高のクラブ活動で染み付いた根性か。
広瀬先生程ではないが、男性陣は皆そこそこ動きが良く、女性の方でも金子先生がなかなかに上手い。
愛先生は少し逃げ腰だし、岡本先生もあまり得意そうではないけれど、皆の興奮具合にいい感じで巻き込まれて、だんだんとボルテージが上がってきた感じだ。
そんな時、相手コートの辻岡先生と愛先生がボールを追いかけてぶつかった。お互いにボールばかりを見ていたので気付かなかったようだ。
辻岡先生は大きな体のせいか、愛先生をぶつかった拍子に跳ね飛ばしてしまい、愛先生は転んでしまった。
「大丈夫?」と皆が声をかけながら座り込んでいる愛先生の周りに集まると、彼女は俯いて足の辺りを押さえている。どうやら砂に混じって落ちていた貝がらで足のすねを切ったようだった。
「救急セット持ってるので、手当てしますよ」
俺はアウトドアは怪我が付き物だと思っているので、いつも救急セットは常備している。それに、けがの手当ても、学童でアルバイトをしていた時に教えてもらったので、簡単な手当てならできる。
皆に「頼んだぞ」と言われて、愛先生に手を貸しながら、俺達は水道の有るところまで戻って来ると、早速流水で傷口を洗う事から始めた。
砂が付いているため傷口を広げて洗うのは痛いだろうなと思うけれど、愛先生は声も出さずに堪えていた。そして車まで戻ると、救急セットからスプレー式の消毒薬だし、またまた染みて痛いのを申し訳なく思いながら消毒して行く。最後に傷口を滅菌ガーゼで押さえて圧迫止血をした後、その上から包帯を巻いた。
「なんだかあれだけの怪我で包帯まで巻くなんて大げさですね」
愛先生は情けなさそうに眉を下げたまま、それでも俺に気を遣ってか笑ってそんな事を言った。
包帯までしているとぶつかった相手が気にすると思ったのだろう、それでも目の前の手当てをした俺に対しても気を遣ってしまう愛先生は、どうにも困った心境なのだろうと思う。
こんなところは美緒と似てるなと無意識に比べてしまった事に罪悪感を感じバツが悪くなった俺は、慌てて取り繕うように口を開いた。
「外での切り傷は侮ったらダメですよ。破傷風とかになると命にもかかわるんだから」
少し咎めるような口調になってしまったのは、自分のバツの悪さを隠すためか。それでも俺の言葉をそのまま受け取った彼女は、「そうですね、すいません。手当てしてもらったのに文句言って……」と申し訳なさそうに言うのを聞いて、コントロールできない自分の感情に忌々しさを感じた。
「いや、俺の方こそきつい言い方して……それに、傷口を洗う時結構手荒なやり方だったから、痛かったでしょう。すいませんでした」
今更ながら、先程の手当ての過程の彼女の痛みを堪えていた表情を思い出し、文句も言いたくなるよなと反省した。すると彼女は驚いたような表情をしたかと思うと、急にクスクスと笑いだした。
笑う彼女から視線を外せなかったのは、突然笑い出した事に驚いたせいか……。
「傷口を洗ってる時の守谷先生の方が、痛そうな顔していましたよ」
彼女はそう言いながら笑い続けている。俺が拗ねたように「そんなに笑わなくても」と言うと、やはり笑いながら「ごめんなさい」と彼女はあやまった。
「守谷先生が保護者に人気があるのが分かる気がします」
彼女は笑いを納めると、話の方向を変えた。
「え? なんですか、それは?」
俺は彼女の言葉が突拍子もなくて、呆けたまま問い返した。
「聞きましたよ。PTA会長が守谷先生のファンクラブを作ったって言う話」
彼女はそう言うと、またクスクスと笑いだした。
そして俺は、目の前で笑う彼女から、やはり目が離せなかったんだ。




