第9話:法廷の科学捜査
国王の奇跡的な回復から数時間後。
王宮の玉座の間は、重苦しい空気に包まれていた。
玉座には、病み上がりで顔色の悪い国王。その隣に摂政として立つ王太子クライヴ。
そして、その御前で膝をつかせられているのは、国家転覆の容疑者──ではなく、救国の功労者であるはずのエリーゼだった。
「陛下! 騙されてはいけません! その娘こそが、今回の石化病騒動の元凶なのです!」
宰相が唾を飛ばして叫んでいた。
彼は諦めていなかった。王が助かった以上、自分の失政(病の放置と治療妨害)を隠蔽するには、すべての罪を「魔女」になすりつけるしかない。
「考えてもご覧なさい。なぜ、高名な神官ですら治せなかった未知の病を、引きこもりの小娘が治せたのか? 答えは一つ! 彼女自身が病を作り、ばら撒いたからです! これは自作自演のテロ行為です!」
貴族たちざわめく。「確かに不自然だ」「やはり魔女か」と。
その横で、ミア・キャンベルも涙ながらに訴える。
「そうですぅ! エリーゼ様は私をいじめた上に、陛下に汚い水を飲ませて……。私の祈りが効き始めたタイミングで割り込んだだけです! 手柄泥棒です!」
完璧な被害者ムーブ。
論理などない。だが、群集心理は「奇跡」よりも「スケープゴート」を求めている。
クライヴが剣の柄に手をかけ、一歩踏み出そうとした。
「貴様ら、いい加減に……」
「お静かに、殿下」
凛とした声が、王子の怒声を制した。
エリーゼだ。
彼女は拘束されたまま、ゆっくりと顔を上げ、宰相を見据えた。その瞳に怯えの色は一切ない。あるのは、実験データを分析する際の冷徹な光だけ。
「……反論の機会をいただけますか? それとも、この国には『証拠』に基づかない裁判がまかり通るのですか?」
挑発的な言葉に、国王が口を開いた。
「許す。申してみよ」
エリーゼは静かに立ち上がり、懐(取り上げられなかったポーチ)から二つの小瓶を取り出した。
「宰相閣下は二つの過ちを犯しています。一つは、石化病の原因。もう一つは……そこにいる『聖女』様が使っている力の正体について」
彼女はまず、一つ目の小瓶──ミアが愛用しているピンク色の香水瓶(第4話で逃走時に落としたものを回収していた)を掲げた。
「ミア様。貴女はそれを『愛の力が強まる聖水』だと言っていましたが……成分分析をさせていただきました」
エリーゼはもう一方の瓶に入った透明な液体(試薬)を、香水の中に一滴垂らした。
ジュッ、と音がして、ピンク色の香水が瞬時にドス黒く変色し、鼻を突く刺激臭を放ち始めた。
「なっ……!?」
「これは『マンドラゴラ試薬』。特定の麻薬成分に反応して黒変します。……この香水に含まれているのは、王国の法律で禁止されている幻覚植物『夢魔の蔦』の抽出液ですね」
会場が凍りつく。
夢魔の蔦。強力な依存性と幻覚作用を持ち、過剰摂取すれば脳を破壊する違法薬物だ。
「そ、そんな……私はただ、教会の方から『女神の祝福』だと貰って……」
「無知は罪です。貴女が振りまいていたのは『癒やし』ではなく『麻薬』です。殿下の判断力を奪い、周囲を洗脳し、そして……弱った陛下の呼吸器にトドメを刺しかけた毒ガスです」
エリーゼは淡々と、しかし容赦なく事実を突きつける。
ミアが「嘘よ、嘘よぉ」と泣き崩れるが、もはや誰も同情しない。ドス黒く変色した小瓶が、動かぬ証拠としてそこにあるのだから。
「デタラメだ! それはお前がすり替えたのだろう!」
宰相が吼える。
エリーゼは冷ややかな視線を彼に移した。
「では、二つ目の論点。私が病をばら撒いたという件ですが」
彼女は懐から、一枚の地図を取り出して広げた。
王都の地図だ。そこには、赤い点が無数に打たれている。
「これは、私の協力者が集めた『発症者の分布図』です。ご覧ください。感染源は貴族街ではなく、下水道が未整備な下町地区に集中しています」
「それがどうした!」
「この病の正体は、ネズミや害虫を媒介とする『微細魔獣』です。不衛生な環境で爆発的に増える。……さて、宰相閣下。貴方は先日の予算会議で、下水道の改修予算を削り、ご自身の別荘建設費に充てていましたね?」
宰相の顔色が、白から青、そして土色へと変わっていく。
「な、なぜそれを……」
「公爵家の情報網を甘く見ないことです。……つまり、このパンデミックの原因は私の呪いではなく、貴方の横領による公衆衛生の崩壊です」
論破完了(Q.E.D.)。
魔法も陰謀論も介入する余地のない、数字と化学と事実による完全な殴打。
静寂が支配する広間で、エリーゼは静かに告げた。
「私は薬を作って火消しをしただけです。放火魔は、そちらの席にいらっしゃるようですが?」
言い逃れは不可能だった。
クライヴが剣を抜き、宰相の喉元に突きつけた。
「……聞いたな、衛兵。宰相とキャンベル嬢を拘束せよ。容疑は国家反逆罪、および違法薬物の使用だ」
騎士たちが雪崩れ込む。
宰相は「わ、私は知らぬ! 教会が!」と見苦しく叫びながら引きずり出され、ミアは「殿下ぁ、助けてぇ!」と泣き叫びながら連行されていった。
残されたのは、真実を暴いたエリーゼと、玉座の二人だけ。
「……見事だ」
国王が、深々と息を吐いた。
その目は、命の恩人に対する感謝と、稀代の才女を見る畏敬に満ちていた。
「ローゼン公爵令嬢。そなたの知恵と勇気が、この国を救った。……礼を言う」
「勿体ないお言葉です」
エリーゼは完璧なカーテシーで応えた。
冤罪は晴れた。敵は消えた。
これ以上ないハッピーエンドだ。
だからこそ、彼女はクライヴに向き直り──最後の仕事を完遂することにした。
「さて、殿下。お約束です」
懐から、あの雨の夜に署名させた『婚約破棄合意書』を取り出す。
「国は平和になりました。私はお役御免です。……これにて、婚約を破棄させていただきます」
周囲の貴族たちが息を呑む。
国を救った英雄が、王妃の座を自ら捨てるなど前代未聞だ。
だが、クライヴだけは、苦渋に満ちた顔でそれを見つめていた。
「……ああ。約束だ」
彼は震える手で、その書類を受け取ろうとした。
王族として、一度交わした契約(約束)を反故にはできない。たとえ心が張り裂けそうでも。
エリーゼは胸の奥の痛みを押し殺し、書類を渡そうとする。
指先が触れ合った、その瞬間。
ビリッ、と。
横から伸びてきた手が、書類を引ったくり、真っ二つに破り捨てた。
「……へ?」
エリーゼとクライヴが同時に声を上げる。
破った犯人は──玉座から立ち上がった、国王陛下その人だった。
「ち、父上!?」
「陛下!?」
「ならぬ。絶対に認めんぞ」
国王は、病み上がりとは思えない力強い声で宣言した。
「命の恩人を手放すなど、王家の恥だ! それに、こんな優秀な『主治医』を野に放ってみろ。他国に引き抜かれたらどうする? 国益の損失だ!」
「ですが、これは殿下との契約で……!」
「王太子の契約など知らん! 決定権を持つのは現国王である余だ! 却下する!」
王権発動。
論理と契約を重んじるエリーゼにとって、最も苦手とする「理不尽な権力行使」が炸裂した瞬間だった。




