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2度目の悪役令嬢は、断罪回避をあきらめて「引きこもり薬師」を目指します  作者: 秋月 もみじ


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2/10

第2話:不法侵入者は王子


 王城の執務室は、常にインクと古紙の乾いた匂いがする。

 王太子兼摂政、クライヴ・アシュバートンにとって、そこは戦場そのものだった。


「……またか」


 積み上げられた書類の山から一枚を抜き出し、クライヴは眉間に深い皺を刻んだ。

 宰相府から上がってきた『ローゼン公爵令嬢に関する調査報告書』だ。

 そこには、簡潔かつ悪意に満ちた文章が並んでいた。


『依然として面会謝絶。屋敷の奥で怪しげな釜を煮込み、奇声を上げているとの情報あり。黒魔術、あるいは呪術への傾倒が疑われる』


 一ヶ月前、突然の「奇病」を理由に茶会をボイコットした婚約者。

 父である公爵すら遠ざけ、引きこもっているという。

 宰相たちは口を揃えて言う。「彼女は病んでしまった」「王妃の器ではない」「早々に婚約破棄し、健全な精神を持つ『聖女』ミア・キャンベル嬢を新たな候補にすべきだ」と。


(あまりに、話ができすぎている)


 クライヴは舌打ちを噛み殺した。

 父王が石化病で倒れて以来、宰相派閥の動きは露骨だ。自分たちの傀儡になりやすい男爵令嬢を推し、有力貴族であるローゼン公爵家を排除しようとしている。

 エリーゼの「奇行」も、宰相らが流したデマか、あるいは彼女自身が何かを企んで(例えば、俺の気を引くための狂言で)やっている可能性が高い。


「殿下、そろそろ次の会議が……」

「キャンセルだ。……いや、延期しろ。少し頭を冷やしてくる」


 クライヴは椅子を蹴るように立ち上がった。

 自分の目で確かめるしかない。

 もし彼女が本当に呪術に染まっているなら即刻切り捨てる。だが、もしこれが政治的な謀略の結果なら──俺は、みすみす有力な後ろ盾(公爵家)を失うことになる。


「馬を用意しろ。行き先はローゼン邸だ。……お忍びで行く」


 護衛の騎士団長がぎょっとして顔を上げたが、クライヴは既に剣帯を腰に巻いていた。

 苛立ちと過労で、こめかみがズキズキと脈打っていた。


 ローゼン公爵邸の北外れ。

 案内を申し出た公爵を「視察の邪魔だ」と威圧して追い払い、クライヴは一人、問題の場所へ足を踏み入れた。


 そこは、手入れされた庭園とは程遠い、鬱蒼とした森のような一角だった。

 その中心に、古びたガラス温室が鎮座している。

 報告にあったような「黒魔術の祭壇」は見当たらない。ただ、奇妙なほど青々とした植物がガラス越しに繁茂しているのが見えた。


「エリーゼ。居るのはわかっている」


 扉の前に立ち、声をかける。

 返事はない。ただ、中からガタガタと何かが倒れる音と、「あ、こぼれた」という呟きが聞こえた。

 生存確認。


「開けろ。クライヴだ」

「……お引き取りください。伝染ります」


 扉越しにくぐもった声。拒絶の言葉だ。

 だが、その声色に「王太子に対する媚び」も「恐怖」も感じられないことに、クライヴは違和感を覚えた。以前の彼女なら、猫撫で声で擦り寄ってきたはずだ。


「俺は魔法防壁の護符を持っている。感染症など恐れるに足らん。開けろ」

「無理です。鍵が錆び付いて開きません(嘘です)」

「嘘をつくな。……なら、壊すまでだ」


 問答無用。

 クライヴは腰の剣を抜くと、扉……ではなく、その横のガラス窓の縁に柄頭つかがしらを叩き込んだ。

 ガシャン、と盛大な音が響き、古いガラスが砕け散る。

 不法侵入など知ったことか。こちらは国のトップだ。


「なっ……!?」


 中の驚愕を無視し、クライヴは窓枠に手をかけ、軽々と身を翻して侵入した。

 ブーツが土を踏む。

 むっと鼻をつくのは、腐葉土と肥料、そして独特のハーブの香り。

 そして目の前には──


「……泥棒ですか? 衛兵を呼びますよ」


 呆気にとられた顔でこちらを見上げる、一人の少女がいた。


 それが、公爵令嬢エリーゼだと認識するのに数秒かかった。

 美しい銀髪は無造作に団子にまとめられ、枯れ葉が刺さっている。

 ドレスではなく、平民が着るような厚手の木綿ワンピースに、得体の知れない汁が飛んだエプロン。

 頬には泥。手にはスコップ。

 

 黒魔術の魔女?

 いや、これではまるで──


「ただの庭師……いや、農民か?」

「失礼な。薬師(見習い)です」


 エリーゼは、不法侵入してきた王太子を前にしても、悲鳴一つ上げなかった。

 それどころか、心底迷惑そうに溜息をつき、手元のスコップを置き直したのだ。


「殿下。窓ガラスの修理代、請求書を回してもよろしいですか?」

「……は?」


 クライヴは虚を突かれた。

 謝罪でも、言い訳でも、愛の告白でもなく、請求書の話?


「君は、俺が誰かわかっているのか」

「わかっています。この国の王太子殿下で、私の(書類上の)婚約者様でしょう。だからこそ言っています。不法侵入は重罪ですが、殿下なら修理代で手を打って差し上げます」

「……」


 狂っているのか、それとも演技か。

 クライヴは彼女の瞳を覗き込んだ。

 アメジスト色の瞳。そこにあるのは、かつて彼をうんざりさせた「粘着質な熱量」ではなかった。

 冷ややかで、透き通っていて、そして──どうしようもなく「無関心」な光。


(なんだ、この目は)


 宰相たちは言った。「彼女は殿下の気を引くために奇行に走っている」と。

 だが、目の前の女は、俺に一ミリも興味を持っていない。

 それがなぜか、酷く胸に引っかかった。


「顔の病はどうした。爛れていると聞いたが」


 クライヴが指摘すると、エリーゼは「あっ」と口元を押さえ、棒読みで答えた。


「そ、そうです。大変なんです。ほら、心の目で見れば膿が見えるはずです。伝染るので近寄らないでください。シッシッ」

「……ふざけているのか」

「至って真面目です。殿下の健康を憂慮して、全力で追い返そうとしています。……帰ってください、作業の邪魔です」


 作業の邪魔。

 王太子の訪問を、この女は「邪魔」と言い切った。

 

 怒りが湧くべきだった。不敬罪で捕らえるべきだった。

 しかし、クライヴの身体から力が抜けたのはなぜだろう。

 王宮では誰もが彼のご機嫌を伺い、裏で舌を出している。誰も本音を言わない。

 だというのに、この肥料臭い温室で、泥だらけの令嬢だけが、真正面から「帰れ」と言ってくれた。


 その裏表のなさが、張り詰めていた神経を奇妙に弛緩させたのかもしれない。

 

 ズキン、と。

 こめかみに強烈な痛みが走った。

 視界がぐらりと歪む。ここ数日の徹夜続きと、ミア・キャンベルの香水による慢性的な不調が、緊張の糸が切れた瞬間に押し寄せてきたのだ。


「っ……」


 クライヴはその場に膝をついた。

 みっともない。敵(かもしれない女)の前で。


「……殿下?」


 頭上から降ってきたのは、心配の声ではない。

 観察するような、冷静な声だった。


「顔色が土気色です。目の下にクマ、瞳孔散大。……過労と、何らかの薬物中毒の兆候ですね」

「薬物、だと……?」

「ええ。甘ったるい匂いが染み付いていますから」


 彼女は近づいてくると、遠慮なくクライヴの顔を覗き込み、ペシペシと頬を叩いた。

 王族の頬を叩くなど、ありえない暴挙だ。


「おい、何を……」

「意識はありますね。……はぁ。ここで死なれると、私が疑われて迷惑なんです」


 彼女は心底嫌そうに呟くと、奥の棚から怪しげな瓶を取り出し、手近なカップに注いだ。


「飲みますか? それとも、このまま倒れて騎士団に『公爵令嬢に毒を盛られた』と騒がれますか?」


 差し出されたのは、泥水のように濁った液体だった。

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