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2度目の悪役令嬢は、断罪回避をあきらめて「引きこもり薬師」を目指します  作者: 秋月 もみじ


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第1話:回帰とバリケード


 首筋に走った鋭い痛みの記憶と、重力が反転するような浮遊感。

 次にエリーゼ・フォン・ローゼンが認識したのは、ギロチンの冷たい刃ではなく、最高級の羽毛布団の柔らかさだった。


「……は、」


 短く息を吐き、飛び起きる。

 心臓が早鐘を打っている。自分の首を両手で確かめる。繋がっている。熱もある。

 視線を巡らせる。天蓋付きのベッド、豪奢な調度品、そして壁に掛けられたカレンダー。

 大陸暦452年、5月10日。


「3年前……」


 処刑された日ではない。

 あの日だ。私が王太子クライヴ殿下との「運命の茶会」に向かい、そこで彼に媚びを売り、結果として「鬱陶しい女」という烙印を押された始まりの日。


 エリーゼは震える手で額を覆った。

 夢ではない。投獄されていた地下牢の湿気、カビ臭い古書室で読み漁った薬学書の感触、そして断罪の法廷で浴びせられた罵声。すべてが鮮明すぎる。


(やり直せる、なんて感動している場合じゃないわ)


 エリーゼの思考は、恐怖よりも先に「生存本能」によって冷却された。

 前世と同じ行動を取れば、待っているのは断罪と処刑だ。

 私は無実だった。だが、無実を証明する手段がなかった。王子の心が離れ、宰相たちに嵌められた時点で、公爵令嬢としての私は「政治的な死に体」だったのだ。


 生き残る方法は一つしかない。

 王家と関わらないこと。

 これに尽きる。


「お目覚めですか、お嬢様」


 ノックと共に部屋に入ってきたのは、公爵家の筆頭侍女だ。彼女の手には、今日着る予定だった空色のドレスが抱えられている。王子の瞳の色に合わせた、媚びた衣装だ。


「本日の茶会ですが、ご準備を──」

「中止よ」


 エリーゼは短く告げた。侍女が目を丸くする。


「は? し、しかし、本日は王太子殿下が直々に……」

「マーサ、よく聞いて。私、今朝起きたら顔に奇妙な発疹が出ていたの」


 エリーゼは咄嗟に嘘をついた。

 単に「行きたくない」と言えば、父である公爵が許さない。「体調不良」でも、医師を呼ばれて仮病がバレる。

 必要なのは、「誰も確認したくない」ほどの強烈な拒絶理由だ。


「『赤斑レッド・スポット熱』かもしれないわ。感染力が強くて、皮膚が醜く爛れるの。もし殿下に感染したら、国家反逆罪ものよ」

「えっ、ひ、皮膚が……!?」


 美醜に敏感な貴族社会において、皮膚病ほど恐れられるものはない。侍女の顔色がさっと青ざめる。


「だから、誰も部屋に入れないで。お父様にもそう伝えて。……いいえ、待って」


 エリーゼはベッドから降りると、クローゼットではなく、部屋の隅にある書き物机に向かった。

 この本邸の自室ではダメだ。父や医師が強引に入ってくる可能性がある。

 もっと隔離された、誰も寄り付かない場所が必要だ。


 脳裏に浮かんだのは、敷地の北外れにある「旧温室」だった。

 先代公爵が道楽で作ったガラス張りの温室。今は管理されず、物置同然になっている場所。あそこなら水道も引かれているし、何より土がある。


「マーサ、私は離れの温室で隔離療養します。今すぐ荷物を運びなさい。必要なのは実験道具と……地味な普段着だけ。誰にも会いたくないから、食事は扉の前に置いておくこと」

「お、お嬢様!? 旦那様の許可なくそのような!」

「殿下のお顔を爛れさせてもいいと言うなら、ここで着替えてもよろしくてよ? 今すぐ、私の顔を確認する?」


 エリーゼが一歩近づくと、侍女は「ひっ」と悲鳴を上げて後ずさった。

 恐怖は理屈を超える。エリーゼは確信した。これでいける。


 公爵邸の裏手、鬱蒼とした木立を抜けた先に、その温室はあった。

 錆びついた鉄枠と、曇ったガラス。中は湿気ていて埃っぽいが、広さは十分だ。

 エリーゼは運び込ませた最低限の荷物──特に、投獄中に知識として得たが実践できなかった薬草の種や、簡易的な蒸留器──を確認すると、内側から重い錠を下ろした。


 ガチャン、と硬質な音が響く。

 それは、彼女が貴族社会に対して心を閉ざした音でもあった。


 その直後だ。

 バンバンバン! と激しく扉が叩かれた。


「エリーゼ! 開けなさい! ふざけるのもいい加減にしろ!」


 父、ローゼン公爵の怒鳴り声だ。

 想定通り。彼は王家との結びつきを何より重視している。娘が茶会をドタキャンしたとなれば、飛んでくるのは当たり前だ。


 エリーゼは扉越しに、冷ややかに告げた。


「お父様、近寄らないでください。伝染ります」

「馬鹿を言うな! 医師に見せろ! 殿下をお待たせしているのだぞ!」

「医師にも見せられません。……顔が、膿んでしまって。こんな醜い顔を殿下に見られたら、それこそ婚約破棄ですわ」


 扉の向こうで、父が息を呑む気配がした。

 父にとってエリーゼは「王妃になるための駒」だ。その駒が傷物になったとなれば、価値は暴落する。だが同時に、傷物になった姿を王子に晒すという失態だけは避けたいはずだ。


「……そ、そこまで酷いのか」

「ええ。鏡を見るのも恐ろしいほど。治るまで、誰とも会えません。もし無理に入ってくるなら……このまま窓を割って逃げ出して、醜態を王都中に晒してさしあげます」


 半ば脅迫だった。

 公爵家としての体面。それを人質に取れば、父は手出しできない。


「……チッ。わかった。ほとぼりが冷めるまでそこにいろ。殿下には、急な熱病と伝えておく。……まったく、肝心な時に役立たずな娘だ」


 吐き捨てるような言葉と共に、足音が遠ざかっていく。

 その冷徹な響きに、かつては心を痛めた。だが今は、むしろ清々しい。

 「役立たず」で結構。期待されなければ、利用されることもない。


 静寂が戻った。

 エリーゼは大きく息を吐き、温室の中を見回した。

 割れた植木鉢、乾いた土、そして天井まで伸びた雑草たち。

 ドレスを着ていた頃なら眉をひそめたであろうその光景が、今の彼女には何よりも愛おしい「城」に見えた。


「さて……」


 エリーゼは高級な室内履きを脱ぎ捨て、裸足で土を踏みしめる。

 ここには、処刑台はない。

 蔑む王子も、罠を張る宰相もいない。


 あるのは、前世の獄中で必死に暗記した「古代薬学」の知識と、それを実践できる素材だけ。


「まずは掃除ね。それから、整地して……」


 彼女は袖をまくり上げる。

 公爵令嬢エリーゼは今日死んだ。

 ここにいるのは、ただの引きこもり薬師だ。


 後に、この埃まみれの温室が、国の運命を左右する「聖域」になるとは露知らず。

 エリーゼは再開した人生の第一歩として、足元の雑草を力いっぱい引っこ抜いた。

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