嘘が上手い監督官と、正直が隠せない男
王都外縁の港湾地区——海風が塩の匂いを運び、カモメの鳴き声が響く場所。古びた倉庫が立ち並ぶこの一角で、大規模な「倉庫再整備事業」が進行していた。
ジュリアンの執務室には、その事業に関する報告書が山積みになっていた。
「治安改善と雇用創出……」
ジュリアンは書類を読みながら呟いた。名目は立派だ。だが、数字が妙に整いすぎている。
進捗率は予定を上回り、事故報告はゼロ。労働者の不満もなく、すべてが完璧に進んでいる——あまりにも完璧すぎる。
そして三日前、匿名の文書が届いた。
『港湾倉庫で夜間に不審な動きあり。公共事業の陰で何かが行われている』
内容は曖昧で、具体的な証拠はない。正式な捜査令状を取ることはできなかった。
「数字が綺麗すぎる……」ジュリアンは窓の外を見た。「現場を見たい」
その時、ドアがノックされた。
「入れ」
ティムが入ってきた。いつもの軽い笑みを浮かべている。
「聞いたよ。港湾地区の件」
「ああ。だが、問題がある」
ジュリアンは地図を広げた。
「港湾地区の裏社会では、お前の顔が割れている」
「そうだね」ティムは悪びれずに答えた。「賭場、酒場、裏取引——まあ、色々と顔を出してるから」
「そして、私は『堅物な行政トップ』として警戒されすぎている。普通に行けば、お前は即座に警戒され、私は門前払いか表向きの対応しか受けられない」
「難しい問題だね」
ティムは腕を組んで考えた——数秒後、彼はニヤリと笑った。
「逆にしよう。僕が監督官、君がごろつき、何変装と偽の身分はお手の物ってね」
ジュリアンは目を丸くした。
「意味が分からない」
「大丈夫。きっと上手くいくさ」
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翌日、ティムの部屋。
机の上には、行政監督官の制服、完璧な偽造身分証、そして山のような書類が並んでいた。
「これ、全部偽造か?」ジュリアンが尋ねた。
「もちろん」ティムは軽く答えた。「でも、本物より本物だよ。印章も署名も完璧」
ジュリアンは溜息をついた。
一方、ジュリアン用の「ごろつき風」の服が用意されていた。粗末な布の上着、汚れたズボン、擦り切れた靴。
「これを着るのか……」
「そうだよ」
ジュリアンは渋々着替えた。だが——
「……致命的に似合わない」ティムが呟いた。
「何だと?」
「立ち方が真面目すぎる。背筋を伸ばすな。もっと力を抜いて」
ジュリアンは意識的に姿勢を崩そうとしたが、どうしても不自然になる。
「肩の力抜いて。悪そうに見えるコツは、何も考えてなさそうにすること」
「それは私への侮辱か?」
「事実だ」
ティムはニヤニヤしながら自分の制服を着た。黒と銀——ではなく、地味な茶色の行政監督官の制服。だが、彼が着ると不思議と説得力があった。
二人は付け髭、眼鏡をかけてさらに一段変装をした。
「準備完了。行こうか」
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港湾地区の公共倉庫。
大きな木造の建物が海沿いに並んでおり、労働者たちが荷物を運んでいる。表向きは建設資材や食料の一時保管場所だが——匿名の告発によれば、夜間に何かが行われている。
ティムは堂々と正面から入った。
「行政監督局から参りましたコーネリアスです。定期査察です」
受付の男は顔を上げた。
「査察? 予定には……」
「緊急査察です」ティムは書類を差し出した。「こちらが命令書です」
男は書類を確認した——完璧だった。印章、署名、日付、すべてが正規のものと見分けがつかない。
「……失礼しました。現場責任者を呼びます」
一方、ジュリアンは裏口から労働者として潜入した。
「新入りか?」
屈強な男が声をかけてきた。ジュリアンは「ああ、ジョンだ」と短く答えた。
「荷物運びだ。あっちの木箱を倉庫に入れろ」
ジュリアンは木箱を持ち上げた——その時、彼は箱の重さと記録が一致しないことに気づいた。
(これは……中身が違う?)
だが、今は黙っているべきだ。彼は無言で作業を続けた。
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ティムは現場責任者——がっしりした体格の中年男性、ランドルと対面していた。
「定期査察とのことですが……」ランドルは警戒している。
「ええ。最近、港湾地区の公共事業が順調だと聞きまして」ティムは微笑んだ。「あまりにも順調なので、上層部が気になったようです」
「それは……光栄なことで」
「ところで」ティムは書類を広げた。「この搬入記録ですが、夜間の記載がありませんね」
「夜間は業務を行っていませんので」
「なるほど」ティムは頷いた。「では、この重量記録の不一致は?」
ランドルの顔が僅かに強張った。
「不一致……ですか?」
「ええ。搬入時と搬出時で、数字が合わない箱がいくつか」
ティムは『フォース・オリジン』で書類を解析していた。表面上は完璧だが、細かい矛盾がある。
「それは……計測ミスかと」
「そうですか」ティムは軽く笑った。「まあ、よくあることですね」
(矛盾は七つ。だが三つだけ指摘すれば、相手は安心する)
ランドルはホッとした表情を浮かべた。
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その頃、ジュリアンは現場で労働者たちと雑談していた。
「兄ちゃん、どこから来たんだ?」
「王都中央——」
ジュリアンは言いかけて、慌てて言い直した。
「……その辺だ」
「ふーん」
労働者たちは特に疑わなかった。
その時、木箱を運ぶ作業で、ジュリアンは危険な積み方に気づいた。
「この保管方法は規定違反では——」
労働者たちの視線が集まった。空気が一瞬凍る。
その瞬間、ティムが通りかかった。
「おいおい、賢いセリフを言いたい年頃か?ボヤボヤしてないで仕事しろ」
ティムは自然に言った。
「あ、ああすまねえ」
「全く、こいつのは入りたての新入りだな?肌も焼けてなければ、手も綺麗なもんだ。ここに来る前は貴族の屋敷ででも働いてたってのか?」
労働者たちは納得したように頷いた。
ジュリアンは心底驚いた。ありもしない過去を、ティムは一瞬で作り上げた。
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夕方、ティムは倉庫の奥を調べていた。
木箱の配置、搬入記録、重量データ——すべてを照らし合わせると、明らかな矛盾がある。
「ああ、なるほど」
ティムは呟いた。
「『公共』って言葉は、隠すのに便利だ」
彼は一つの木箱を開けた——中には、申告されていない酒瓶が詰まっていた。密輸品だ。
「見つけた」
その時、背後から気配がした。振り向くと、ランドルが険しい顔で立っていた。
「……監督官殿、どこまで知っている?」
「すべて」ティムは平然と答えた。「夜間に未申告の貨物を搬入し、公共資材に偽装して密輸品を混ぜている。記録も完璧に偽造している」
ランドルは短剣に手をかけた——
「ちなみに、これは“あなたが抵抗しない場合の処理手順”です」
そう言ってティムは一枚の紙を差し出した。
紙を手に取り、読んで行くにつれ殺気が萎えていくランドル。
「....あんたの勝ちだ」
遅れて、ジュリアンが現れた。彼はもう労働者の格好をしていない。本来の黒と銀の制服を着ていた。
「王国治安監督官、ジュリアン・ヴァレンタインだ」
ランドルは観念した表情で手をあげた。
「……やられた」
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港湾地区を出た後、二人は海沿いを歩いていた。
「礼を言う」ジュリアンは言った。「今回の潜入で十分な証拠は集まった」
「よかったね」
ジュリアンは立ち止まり、海を見た。
「……権威を持たないと、誰も本当のことを言わない」
「違う」ティムは首を横に振った。「権威を『怖がらせない形』で使わないと、だ」
ジュリアンはティムを見た。
「お前は、権威も犯罪者も『役として着る』んだな」
「そうだね」ティムは笑った。「どっちも嘘だから」
「嘘……か」
ジュリアンは少し考えた。今日、彼はごろつきを演じた。そして、普段見えない世界が見えた。
「で、ごろつき役はどうだった?」ティムが尋ねた。
「二度とやらない」
「残念」ティムはニヤニヤしながら言った。「テオドラが見たがってたのに」
「……本当か?」
「本当」
ジュリアンは小さく笑った。
今日学んだことは、彼にとって重かった。法を守る立場にいても、時として法の外から動かなければならない。
ティムのような人間が必要な理由が、少しだけ分かった気がした。




