第10話 ふたりの声と心が重なった日
――夜、帰宅途中。
マンションのエントランスを抜け、
いつものようにエレベーターを降りて、自分の部屋の前まで来た──そのときだった。
「……は?」
玄関の前に、誰かが座り込んでいる。
ふわふわのツインテール。
ピンクのカーディガンに、黒のミニスカート。
周囲には、ストゼロの空き缶が5本──いや、6本。
近づくと、うつむいたまま動かないその人影が、
かすかに顔を上げた。
「……ゆうなぁ〜……」
赤くなった頬に、潤んだ目。
いつもの甘ったるい声よりも、少し掠れていた。
「おま、なにしてんだよ……!」
思わず声が上ずった。
近所迷惑とか、そんなことより先に出てきたのは、
怒りに似た安堵だった。
(……よく通報されなかったな)
(てか……誰にも連れ去られてなくて……よかった)
足元の缶を避けるようにしてしゃがみ込み、
りりあの顔を覗き込む。
「どんだけ飲んだんだよ……」
「知らなぁい〜〜〜〜〜」
呂律が少し怪しい。
けど、その目は、
どこか醒めていて、ちょっとやさぐれていた。
「……なんでさぁ」
ぽつりと、低い声で始まった。
「なんで、既読無視したのよ……」
「……心配したんだから」
「ピンポン押しても出てこないし、
LINE返ってこないし……」
声が震えている。
「……それに、なにより──」
りりあが、顔を伏せた。
「なんか……あたし、悪いことしちゃったのかなって……」
「嫌われちゃったのかなって……思った」
沈黙。
「……やっぱりさぁ」
「女装してる男なんて、気持ち悪いって……
思ったんじゃないかって」
その瞬間だった。
ゆうなの中で、
何かが音を立てて、あふれた。声になって、飛び出した。
「……うるせぇ!」
りりあがびくりと肩を震わせる。
「お前は──
世界一、可愛いんだよ!!」
自分でも、何を言ってるのかわからなかった。
でも、それは心の底から出た言葉だった。
「……気持ち悪いわけねぇだろ」
「誰にも見せたくねぇくらい、可愛いに決まってんだろ……」
その声は、どこか苦しげだった。
りりあは、一瞬きょとんとしたあと、
ぽつりと小さく言った。
「……なにそれ……」
目の端に、涙が滲んでいた。
でも、それを拭おうとはしなかった。
夜風がふたりの間を抜けていく。
ストゼロの缶が、カラリと転がった。
「うるせぇ!!惚気なら他所でやれ!!」
上の階から、怒鳴り声が飛んできた。
「……っ!」
「やっば……!!」
りりあが缶を蹴飛ばして立ち上がろうとしてよろけたところを、
ゆうなが慌てて支える。
「早く中入れ!!」
「うんうんうん!!」
鍵をガチャッと回して、ふたりしてバタバタと部屋の中へ。
ドアを閉めたあとも、しばらく無言だった。
部屋の中に残るのは、呼吸の音と、
ドクンドクンと鳴り続ける鼓動だけ。
沈黙。
でも、どちらからともなく──
「……っふふっ……」
「……ははっ……」
ふたりして、笑い出した。
もう、止まらなかった。
玄関で転がる靴と、ソファに倒れ込むりりあ。
立ったまま頭を抱えてるゆうな。
「何この流れ……」
「知らないよぉ……」
ふたりとも笑いながら、
でも目の奥だけは、真剣だった。
そして、どちらが言い出したわけでもない。
ふと、目が合った瞬間、
息を揃えたように、声が重なった。
「──好きです。付き合ってください」
ぴたりと、ふたりの声が重なった。
一瞬、また沈黙。
でも、次の瞬間、顔を見合わせて
またふたりで吹き出す。
「ハモったんだけど……」
「……笑った」
その笑顔は、
いままででいちばん、まっすぐだった。