18 ナクシット石の秘密(2)
イツァムナ神には、娘がいた。神名はイシュ・チェルといった。まだ女神とも呼び難い、ごくごく若い娘だった。波打つ黒髪が艶々と光り、肌は小麦色、いつも屈託なく笑う明るい少女で、イツァムナは、目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた。
ある時、海岸へ貝殻拾いに来た彼女は、浜辺に倒れる若者を見つけた。体中傷だらけで、意識のない若者を自身の家まで運び、つきっきりで介抱した。若者の意識は、なかなか戻らなかったが、半月後、若者はようやく意識を取り戻した。けれど彼は、自分の名も、どこから来たのかも覚えていなかった。イシュ・チェルは、彼のことが気に入って、ずっとここにいればいいと言った。
イシュ・チェルが、正体不明の若者と一緒に暮らしているという噂は広がり、やがてイツァムナの知るところとなった。掌中の珠として愛しむ娘を、どこの馬の骨とも分からぬ若者に取られてなるものかと、イツァムナは、屈強な若い神たちを向かわせた。しかし、誰を寄越そうと、若者は手強く、誰も倒すことができなかった。
また、ある時、大嵐が襲来し、木々が薙ぎ倒され、小さな力のない神が逃げ惑う中、若者は術を使って障壁を作り、その中へ神たちを避難させ助けてやった。大木が倒れ、イシュ・チェルが下敷きとなるや、その木を真っ二つに切り裂き、彼女を助け出した。若者は、神で、しかもイツァムナ神にも勝るとも劣らない強力な神だった。
イツァムナ神は、若者のことを見直し、マヤの神域へ迎え入れることにした。その若者こそ、天界で柱二本分をたったひとりで数千年支え続け、下界へ墜落した私だった。上位神としての力を出し尽くし、私は記憶を一切失っていた。その頃の私は、神体をひどく損なってはいたが、辛うじて凡人に近い体が残っていた。
私は、自分も地上神で、何らかの事故に遭い、記憶を失ったのだと思っていた。イツァムナに従い、彼に導かれるまま、マヤの民を治め、数百年後、熱帯太陽の祝福と呼ばれる、夏至の日に日の出の太陽の光を浴び、金色に輝く神威を見せる儀式を終え、太陽神キニチ・アハウとなると同時に、闇を治めるバラム神の神名も授かった。 一方、イシュ・チェルは、海岸で私と出会って以来、片時も私の側から離れなくなった。そして、私と夫婦になりたいと言い出した。イツァムナは、愛娘からの懇願に負け、神名を得た私との結婚を許可した。ただ、イシュ・チェルの女神現わしの儀式が終わってからだと条件をつけた。女神現わしは、マヤの女神の成人式のようなものだ。イシュ・チェルはまだ少女だったから、あと数百年は待つ必要があった。
その後、あいつがやって来た。物知りで、陽気な性格で、気前が良く、たちまち神々の間でも人気者になった。そして、イシュ・チェルに関心があるようだった。しかし彼女は、あいつのおしゃべりより、毎晩悪夢を見るようになった私のことを心配していた。
私は神力を蓄え、神威が備わってくるにつれ、悪夢を見るようになった。私が、真夜中に起きてぼんやりしているのに気がつくと、彼女もまた必ず側にきて、ぴったり寄り添い
「ねえ、どんな夢だったの?」と、尋ねるのだ。
私の見る夢はいつも同じ内容で、大きな天変地異が起こり、どこかの陸地が海中に没していき、私はひどい苦痛を感じながら、何かを支えているのだった。そして目が覚めるときは、いつも、喪失感とひどい悲しみを感じていた。
「一体、どうしてそんな夢を見るのかしらねえ」と、彼女は首を傾げた。けれど、彼女と一緒に夜空を見るうちに、悲しさや喪失感は薄れ、気持ちは次第に落ち着くのだった。それは、ふたりだけの大切な時間で、私もまた、彼女のことが大好きで、いつか夫婦になるのを楽しみにしていたのだ。
しかし、彼女は、私のことを心配するあまり、あいつに悪夢のことを話し相談してしまったのだ。




