14 御老公と露頭の迷龍(6)
「ワカーっ」と、両腕を広げ、伸し掛かってくる黒龍を、私は寸前でパッと避け、
「冷静になれっ、泣くなっ」と、叫んだ。しかし、もう手遅れだった。穏やかな晴天の空は、一瞬で黒雲に覆われ、雷が鳴り響き、大盥から水をぶち撒けたみたいに大雨が降り、私はたちまちずぶ濡れとなった。
「ワカ・・・・」
全身から大粒の雫を滴らせる私を、黒龍はただおろおろと見るばかり
「黒っ」
「ひゃいっ」
「私は、おまえに、ずっとちゃんと勉強しろと言ってきたのに、全然精神修養ができていないじゃないかっ!この程度のことで動揺し、天候を急変させてどうする?上天の経典を真面目に読んで修行しろと、あれほど言ったのに、全然できてないじゃないかっ」
私は、教育熱心なお母さんみたいに、黒龍へいきなり小言を言ってしまった。それから、はっと我に返り
「黒っ、わざわざ天界から降りてきてくれたんだね。ありがとう」と言った。
「ワカ」と、黒龍の目からまた涙が落ちそうになったので、それを慌てて拭いとり、
「もう、泣くな」と言って、微笑みかけた。
二人の再会の様子を見ていた観音菩薩は
(やっぱり、三尊のおっしゃった通り、顯くんがワカミアヤなんだわ。あの泣く子も黙る御老公が仔犬みたいに懐いている)と、思った。
ダーキニーは何が何だか訳も分からず、(何なのよ、あれ・・・)と、呆気に取られていた。
その後、剛照和尚から、タオルを借り、それで濡れた頭を拭きながら、私は、本堂で、観音菩薩の話を聞いた。
「わたくしね、西方浄土へ行ってきたのよ。そこで、あなたに渡してあげてと、預かってきたものがあるの」と、話すと、観音菩薩は、恭しい所作で化粧箱を取り出した。
「何ですか、これ、?」
正倉院御物です、といっても納得で通りそうな、見事な宝相華唐草文の螺鈿箱だった。
「開けてご覧なさい」
言われるまま、上蓋を開けて、思わず歓声をあげた。
「うわあぁぁ、これは・・・・」
開けた瞬間、極光が四方八方に広がり、極楽鳥の軽やかな囀りと、清麗な鈴の音が鳴り響き、そして「ワカミアヤ お帰りなさい」と大勢の声が聞こえた。箱は、メッセージ機能付きだった。そして、中にぎっしり並んでいるロゼ色の液体は、上古の時代、数回しか見たことのない、薬師如来お手製、幻の滋養強壮薬「桃花粋」だ。
「これを、私に?でも、どうして・・・」
私は下界に長らく留まり、西方浄土とは没交渉だ。一体どうしてなのか、(うっかり飲んだら後が怖い。タダより高いものはないのだ)と、貰うのを躊躇った。
私が動かないでいると、観音菩薩が拈華微笑を浮かべ、そっと耳元で囁いた。
「『西方浄土の者は皆、あなたが天の御柱を数千年に渡り、支え続けてくださった御恩を決して忘れることはありません』阿弥陀如来は、そのように仰せでしたよ。だから、遠慮なく受け取って頂戴」
「ありがとう、それでは遠慮なく頂戴します」
御柱を支えるなんて超超重労働は、もう二度とやりたくないが、やはり陰徳は積んでおくものだ。長い時を経てお返しが返ってきたよ。私は桃花粋の瓶を一本取り出し、早速飲み干した。
「うーんっ」
桃花粋の効き目は抜群だった。枯渇していた神気が泉のように湧き出し、体中を循環した。(やった!これで山籠りはしなくてすむ。夏休はアルバイト三昧で金を稼げるぞ)と、機嫌良くそんな事を考えて、もう一度箱の中を見て、血の赤色の錠剤がぎっしり入った瓶が、端っこに詰め込まれているのに気がついた。
「これは・・・ダーキニーっ、律子さんを呼んできて、例の件、解決できるかもしれない」




