11 観音菩薩 拈華微笑を忘れる(2)
(なるほど、交流がないのか)
世の中の変わり様には色々驚かされてきたが、交流がないと聞いて腑に落ちた。私が今住んでいる京都は、まだ神社仏閣、祠、神仏精霊付喪神にいたるまで、町の人々は熱心に拝むし、親しむ心を持っている。けれど、どうも形式だけ拝んで、親しむ心のない者も増えているようだ。そもそも、そんなものなど存在しないと、拝むことまでやめている者もいる。もっと強烈なものになると、人間こそ最も崇高な存在で、地球上のすべての事に責任を負う立場にあるのだと、訴える者までいる。
私は、今は、凡人として存在しているので、人間が繰り広げる色々な主義主張や世界観にとやかく文句をいうつもりはない。しかし、観音菩薩の言葉で、交流がないのなら、そのような考え方も自然と出てくるのだろうと納得できたのだ。
顯からの報告を聞き終わった後も、観音菩薩はまだ悩んでいた。確かに、顯の中に異国の神がいるのは知っていた。
(でも神上げよっ、神上げができるって一体何者なのよ)
観音菩薩の聞き知るところでは、下界の時間でいうと、八千年ほど昔、先々代の南海龍王が神上げを行ったのが、神上げの最後の記録なのだ。彼は、最愛の妻を地上に残していくのが忍び難く、神上げを行い、ともに天龍界へ昇ったのだそうだ。そして、その時、龍王に神上げが可能であったのは、上古の時代、結婚祝いにと主から贈られた宝珠の力を解放し、その力を使ったからだそうだ。
拈華微笑が戻らない真面目な顔つきのまま、観音菩薩はぼそっと呟いた。
「先々代の南海龍王、今は御老公といわれているあの御龍、彼の仕えていた主こそ、大劫を引き起こした大悪神なのよね・・・まさか、それが顯くんってことはないわよね」
顯は、ミヌメは大劫の前、海神王の家老であった海精の娘として生まれたのだと話し、大劫のことにもふれていたが、特に動揺は見られなかった。ただ、ミヌメと知り合った時期は、はっきりいつの事とは言わなかった。
でも、誰がどう考えたって、それって大劫の前だったとしか思えない。
と、そこまで考えて、観音菩薩は頓悟した。
「そうだわっ、虚空蔵菩薩の所で、大劫の記録を見せてもらえばいいわ。あそこなら何でも記録があるんだから」
観音菩薩は、虚空蔵菩薩界へ出かけた。
虚空蔵菩薩界は、見た目はそれほど大きく見えない。カイラス山頂級の、大きな山陵の急斜面に、無数の楼閣が佇んでいるだけだ。ところが、一旦中へ入ると、そこは無限の大迷宮、宇宙創世からの全記録を収める虚空蔵なのだ。
「えっと、貸出カードに閲覧カード、身分証明書っと・・・」
虚空蔵を訪れた観音菩薩は、受付の前で、初めて利用するみたいに怖ず怖ずと、必要書類を提出した。すると、観音菩薩の訪れを知った虚空蔵菩薩が自ら挨拶しにやって来た。
スパンと真半分に切った地球儀みたいな真ん丸の禿頭の下、面相筆ですっと細く描き上げたような薄い眉と目、鼻は幅広だが高さは無くあくまで控えめ、口もまた、すっと描き上げたような、なかなか相手に表情を読ませない御仏である。
「久しぶりだね、観音菩薩、あなたがここへ来るなんて、珍しいこともあるものだね」
表情を読まれてなるものかと、観音菩薩も負けじと拈華微笑を深めて、応えた。
「お元気そうな虚空蔵菩薩にお目にかかれてよかったわ。わたくし、大昔のことを少し勉強してみたくなって来ましたのよ」
虚空蔵菩薩は、片眉だけ器用にクイッと上げてみせた。
「ほうっ、大昔のこと?一体いつ頃のことが知りたいので?」
観音菩薩は顎の下に人差し指をあて、わざとらしく一寸考えてから答えた。
「そううねぇ・・・・大劫の起こった頃のことなんてどうかしら・・・」
「大劫・・・」と、繰り返した虚空蔵菩薩の目が一瞬キランと光った。




