11 観音菩薩 拈華微笑を忘れる(1)
ミヌメの神上げは成功した。もう神力の枯渇寸前だったが、ミユメと黒龍が現れ、受け入れてくれた。
真っ黒だった沼は、清水が湧き出し、透き通った水の美しい沼へと変わった。
数日後、事件を知った見沼家当主が東京から飛んできて、大叔母の婆ちゃんから、こってり叱られたそうだ。そして、島の譲渡は立ち消えとなった。調査員が持ち出した御神体は、修理されて綺麗になった祠に安置された。
婆ちゃんは祭祀を復活させようと頑張っているが、継承者がいるかどうか微妙らしい。島本教授いわく、生娘というのが現代の感覚と合わないので、本家のご連中は、祭祀の参加資格から外したがっている。外したうえで、観光の目玉にしたいと考えているそうだ。(リゾート開発はトラブルを恐れた開発業者が諦めて白紙に戻ったが、本家はまだまだ商魂逞しいようだ)
私はどうなったのかって?もちろん、あの後すぐ沼から上がったよ。危うく溺れ死ぬところだった。けれど、顯の命数はまだ十分あるから、あそこで溺死するわけにはいかない。必死で岸辺に戻ってゲーゲー水を吐き戻したよ。ただ、早春に、冷たい水に落ちて、その後もろくろく服も乾かないままで、正気に戻った見沼の婆ちゃんが操縦する船で姉島に帰ってきたから、すっかり体が冷えて風邪を引き込んでしまった。神力があれば、風邪なんかすぐ吹き飛ばしてしまうが、枯渇して使用禁止だから本物の病人だ。光一の船酔いも放置した。お陰で、頭が痛くて死にそうなくらい、またあの愚痴を聞かされた。ただ、帰りは島本教授も一緒だったので、光一の相手をしてくれて、大分助かったんだ。
勝手に神上げしたことについては、律子さんからはお咎めがなかった。予想外の事態だったし、正真正銘上古の時代に連なる女神だったから、律子さんは管轄外と判断してくれたようだ。ただ、私の説明を聞いた観音菩薩は、様子がおかしくなった。
「神上げですって、あなたがそれを行ったの?」
私は頷いた。その時は、神上げくらい、たびたび誰かが行っているだろうと思っていたのだ。
「・・・・あれを一番最後に行ったのは、先々代の南海龍王よ。それ以来誰もやってない」
「えっ、どうして?」
「どうしてって、最高に難しい技じゃないの。そんなに簡単には、できないのよ」
「いや、上位の神ならそのくらい・・・」
(あれ?観音菩薩、顔笑ってないよ。どうしたんだろう?拈華微笑はどうしたの?)
「顯くん、今の御代の上位の神はね、言ったら悪いけれど、小物ばっかりなのよ。偉そうなこと言うくせに、碌な術も使えないのよ」
「でも、神上げしないのなら、地上の神はだれも天界へ上がらないのですか?」
「いえ、上がるわよ。自分で修行して、修為を積み重ねて飛翔するのよ」
「・・・・・・」
嘘だろ。修為を積み重ねて?地上で生まれた神や精霊が、それで飛翔するのに、一体何年かかる?まして、それが人間だったら、まあ、一回の人生じゃ無理だと思うな。奇跡的に飛翔できたとしても、修行に全精力傾けすぎて、使えねぇ人材が出来上がっているような気がする。
私が黙っているので、観音菩薩は続けた。
「だからね、天界と下界は、今はあまり交流がないのよ」




