9 妹島の女神(3)
「バッシャーン」
「顯くんっ」「顯っ」
島本教授と光一は叫んだが、何か見えない壁のようなものに阻まれ、沼に近づくことができなかった。見沼の婆ちゃんは、岸辺に倒れ、ピクリとも動かない。水面は、顯を呑み込むと、再び不気味な静けさを取り戻した。
(どんどん沈んでいく、真っ暗だな、どこまで沈むんだろう)
私はぼんやりと考えた。周囲は真っ暗だが、闇は私には近しいものだから、別に恐ろしいとも思わない。ただ、この先にいる存在のことが気がかりだった。
(ワカミアヤ・・・)
また、誰かの声がした。弱弱しい声。下を向くと、何か白いお皿のようなものがぼんやり見えた。私は泳いで、その白いものへ近寄った。
そこは水底で、黒いヘドロが堆積していた。ヘドロから、半分に割れたお皿のような何かが見えた。それは顔だった。半分は崩れてヘドロと混じり合ってしまい、残り半分だけ、半月のような輪郭になって、辛うじて目鼻立ちが残っていた。
“私を呼んでいたのは君かい?”
“ワカミアヤ、本当に来てくれたんだ。ずっと待ってたの”
彼女は、闇に呑み込まれ、すでに邪神に等しい存在だ。けれど、私を待つ心が、それを辛うじて止めていた。彼女が何者かを知らなければ、闇の侵食を止めることはできない。もう一刻の猶予もなかった。私は自分の記憶に頼るのは諦め、彼女と共情し、記憶を覗くことにした。そのために
「常夜の扉を開き、そなたを受け入れよう、こちらへ参れ」
常夜の闇の世界、闇のバラム神の神域へ、彼女を邪気ごとすべて受け入れた。
女神の心は邪に侵食されて、ほとんど残っていない。その中の、奥底の一番奥底に、上古の時代の記憶が辛うじて残っているのを見つけた。私は、その記憶を解き開いた。
暖かな日差しの中、あたしは砂浜で貝殻を拾っていた。真っ白な巻貝や、桃色の光沢のある貝殻とか、色々拾った。たくさん拾えて嬉しかったから、皆んなに見せびらかしたいけれど、今日は無理そうだった。
(明日、三番目のお姉さんはお嫁に行くんだものねえ)
今晩、嫁入り前の宴が開かれる。皆、その準備で大忙しなのだ。それに、今日の宴には、結婚相手の黒い龍と、彼がお仕えする常世の国の、もの凄く偉い神さまもお見えになるそうで、皆んな、その神さまにお目にかかれるのが嬉しくて、気もそぞろなのだ。あたしの相手は、今日は誰もしてくれそうになかった。
(そうだ、この貝殻で首飾りを作って、それで胸元を飾って、宴に参加しよう。きっと夜の松明に照らされたら、キラキラ光って綺麗よね)
あたしは、砂浜の上の方に生えていた蔓草を取り、貝殻を上手に繋ぎ合わせた。それから、海岸に落ちていた艶々したワカメもちょっと付け加えた。
「エヘッ、なかなかおしゃれになったよ。今晩、これを付けるのが楽しみだわ」
砂浜にひとりしゃがみ込み、ご機嫌で作業していると、突然空が暗くなった。
エッと思い、空を見上げた。
「ピシャーンッ」
「キャッ、雷」
あたしは恐ろしさに耳を塞いだ。
ザアアァァッと大風が吹き、あたしの長い髪が吹き上げられた。
「・・・・何、あれ?」
海の上、真昼の空に突然巨大な満月が現れ、蝕を起こした。扉を開けるように蝕が進むと、そこから見たこともない、巨大な体をもつ生き物が現れた。顔が馬みたいに長くて、頭の上には二層に枝分かれした二本の角、黒鉄色の立派な鬣が輝きうねっていた。とてつもなく長い胴体には、黒い鋼のような鱗がびっしり生えて光っていた。
「あれって、もしかして黒い龍・・・」
と思うや、それはふっと消えてしまった。
「えっ、消えた・・・」
「おや、こんな所に小さな子がいた。驚かせてー」
「キャアー」
いきなり背後から声をかけられ、あたしは驚いて尻餅をついた。




