28 顯 完全に思い出す(5)
「・・・・・・」
目を開けたら、天国だった。とかいうのなら、どんなに良かったか。相変わらず、そこはタルタロスのステュクス、つまりノラの館の中だった。上から二人の女神が私を見下ろしている。私は、自分の額に手を当てた。ズキズキして滅茶苦茶痛い。手のひらに血がついていた。まだ、出血している。うん?出血している・・・ということは、私はどうやら、まだ顯の肉体の中に止まっているらしい。普段は受け取れない、大量の神力を無理やり体内へ流し込んで、辛うじて心肺機能が停止するのを免れたようだ。けれど、その代償も凄まじい。あり得ない量の神力を循環させたせいで、体の中はズタボロ状態だった。ああ、やっぱり女神は鬼門だ。粘着質で、探究心が強くて、おまけに正義感ばっかり強い女神なんか大嫌いだっ。
「ごめんさない。まさか、そんな目に合わされていたなんて知らなかったから」
「・・・・・・」
もう、返事をする気力もなかった。私が最も思い出したくなかったことを、彼女は、まんまと引き摺り出したのだ。私が、自分自身まで欺いて隠したかったことは、天眼を抉り出されたことではなく、その相手だ。それが、私の従兄であり、私の師兄であったからだ。せっかく能天気?に下界で過ごしているのに、そんな事を今さら思い出して、どうなる?非力な凡人にまで落魄れた(みんながそう言うから、あえてそう言うよ)私が、そんな事実を思い出して、何の益がある?あくまで、正義の完遂を目指す彼女と、流されっぱなしの私は、話し合ったところで、永遠に一致を見ないだろう。
そう思っていたら、ノラは、
「彼はね、いま天帝なのよ」と、爆弾を炸裂させた。嘘だろ・・・本当なのか?あれだけの非道な真似をして、たぶん魔族との戦も、彼が仕組んだことだろう。そんな男が、天帝位についたのか・・・
視線の横で何かが見えた。そちらへ視線を動かすと、アテナが何とも表現し難い、珍獣に死なれそうな飼育係みたいな顔で、私を覗き込みながら、
「ダーキニーが、いつも顯は危ない目にばかり遭うから、これを持って行ってほしいと預かっていた」と、桜色の錠剤が入った玻璃瓶を恐る恐る差し出してきた。
聴天由命丸改良版だった。
私は上半身を何とか起こしアテナから丸薬の瓶を受け取った。飲んだら痛みで昇天するかもしれない。けれど、もうそんな事はどうでも良かった。肉体から離れるか、肉体の痛みを消さない限り、いつまでも心の痛みに囚われたままだろう。解放されるなら、どちらだって良かった。私は、躊躇うことなく一錠呑みくだした。