25 オリュンポスの秘密(2)
食事を終えて、ナプキンで口元を上品に抑えたあと、律子さんは、一咳して切り出した。
「ヘラ女神、人の身分で来日されるのは、構いません。けれど、顯くんは、私が預からせていただいた坊ちゃんなんですから、勝手なことをされては困りますね」
ヘラは、律子さんへ微笑したが、目が全然笑っていない。空中で、何か物騒な気配が漲ってきて、背筋が冷え冷えしてきた。
「あら、律子さん、日の本の神域の総元締めでいらっしゃるあなたのお言葉に異を唱える気などもとよりございませんけれど、私は、ワカミアヤを訪ねてまいったのです。それが偶然、顯くんだったというだけのことです」
ああダメだ。一歩も引かない気だ。ああ、神気酔いが治るどころか、酷くなってきた。
私は、眩暈を我慢して、席から立ち上がった。
「おふたりとも、そこまでになさってください。ヘラ女神は、私に、何かご用がおありのようですが、お話を伺うのは、二週間後にさせてください」
そう宣言するなり、アテナが切れた。
「二週間後って、ふざけないでっ、逃げるつもりね」
これには、私も切れた。
「うるさいっ。こちらにだって、都合があるんだ。勝手に押しかけてきたんだから、こちらの都合に合わせるべきだろ」
「こっちの都合って、何の都合よ」
こいつには、本当にむかっ腹が立つ。(どうして、私は冷静になれないんだろう?)
「後期試験があるんだよ。試験を受けて単位をもらわないと、来年再履修なんて、困るんだっ」
そう、顯の体を預かり、親から学費まで出してもらっているのに、再履修なんて、そんな申し訳ないことできませんよ。
「何よ、それ、神なんでしょ。どうして、そんなみみっちい事にこだわるのよ」
ダメだ、もう完全に切れた。
「誓の実行中なんだから、邪魔しないでくれっ」
ああーあ、怒鳴っちゃった。頭がグワングワンしてきた。気分悪い。また、椅子に座った。
アテナは、虚をつかれたように、黙りこんだ。それから、
「誓って言ったの?」と、訊いた。
私は、頭を抱え込んだまま
「そうだよ、だから、邪魔しないでくれ」と答えた。
「・・・・・そうか、誓なのか」
アテナは黙った。あれ?大人しくなった。納得したのかな?
アンドレニコポスは世界一の超大富豪だ。ここのロイヤルスイートルームが一泊幾らかなんて知らないけれど、連泊したって、痛くも痒くもないはずだ。その日は、手土産をもらって、さっさと退散させてもらった。
翌日、大学の中でアテナと出会した。私と話がしたそうな様子なので、一緒に広場のベンチに腰掛けた。アテナが、私に缶ジュースを一個くれた。
「ありがとう」
「昨日は、悪かった。もう、大丈夫なのか」
結局、あの神気は、黒に当分預かってもらうことにした。黒は、私のことを心配して、もうしばらく下界に留まることにしたのだ。
「大丈夫、もう平気だから」
しばらく黙って座っていたら、アテナが話しかけてきた。
「誓って言っていたけれど、その顯って子はどうなったんだ?」
「・・・私が見つけたとき、四歳くらいで、もう魂魄が散ってしまいそうな状態だった。日の本まで何とか帰ってきたのだけれど、母親の前で、一瞬で散ってしまったんだ。その後、母親に抱きつかれて大泣きされた」
「・・・じゃ、顯の魂魄は、もう全然残っていないか?」
私は頷いた。
「私が出て行ったら、この体はすぐ死んでしまう。私は、顯の一生分、凡人として暮らすと誓したんだ」
アテナは、変な表情になった。何か、ものすごい珍獣を見つけたみたいな感じだった。
「そうか、まだ誓を大真面目に行う奴がいたんだ。ははっ、これは凄いよ、恐れ入った。私は、てっきり、おまえが狡賢く立ち回っていると思っていたんだが、そうじゃなかったんだな」
アテナの言っていることは、よく分からない。狡賢く立ち回ってなんかいないし、それどころか、物凄く不器用に立ち回っているんだよ。
「分かった。後期試験頑張れよ。その後、相談に乗ってくれ」」
ああ、本当は、相談には乗りたくないんだが・・・・




