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探偵アケチの黙視録  作者: 弐乃
落ちる警官
33/34

家庭教師

 パタパタと靴音を立てながら走ってくる少女。学校の体操服姿だ。アケチにはそれがこの校区の中学校のもので、色から一年生であると瞬時に分かる。そういう嗜好を持っているわけではなく、見たものを覚えてしまうのだから仕方がない。

「ヒロ!」

 少女はそう声を掛けつつも、目線はアケチに向けられる。眉が緊張し、目が細められている。胡散臭い相手を見る目つきだ。

「今日はスカートなんだね?大丈夫?」

 ヒロは落ち着いた声で、

「大丈夫さ。今日はスカートの気分なんだ」

と答える。

「そう」

と言って、再びアケチに非難がましい目を向ける少女。アケチは早くこの場を立ち去ってしまいたいものの、今この場を立ち去れば間違いなく変質者扱いをされるであろうし、下手をすると警察でも呼ばれかねない。

 少女は思春期の少女特有の残酷さを剥き出しにした顔つきでアケチを見る。

「ヒロ、誰なの?その人」

 返答次第で少女は金切り声で助けを呼ぶつもりらしい。目つき、呼吸、震える肩、踏ん張った両足がそれを示している。

 この状況で僕は視力がとんでもなく良いので、彼女の口元にあるアザに、彼女の目に浮かぶSOSの色に気づいたんだー などと言えるものではない。

 進退極まって何も言えないアケチを救ったのはヒロだった。

「僕の先生さ。家庭教師のね」

 そう言うと、ヒロはアケチの手を取る。温かく柔らかい手の感触にアケチは少したじろぐ。

「行こう、先生」

 ヒロがアケチの手を引いて歩き始める。

「また明日」

 ヒロが少女に挨拶する。少女は「うん。なんかあったら電話して」とアケチを一瞥する。

 しばらく歩いてからヒロが尋ねた。

「どこ行くの?センセ」

「どこってー なんのつもりだ!?」

 アケチはぶっきらぼうに答え、ヒロの手を振り払おうとしたが、ヒロは細くしなやかな指をアケチの右手の指に絡め離さない。

「ねぇ、無理に逃げようとしたら大声出すよ?このお兄ちゃんにいやらしいことされたって警察に駆け込むから」

「だから最初からそう言ってる。知り合いに警察官がいるんだ。相談に乗ってもらえる」

 そう言ってアケチは自分の左の端を示しながら、

「その傷、殴られたんだろ?しかも初めてじゃない。誰に虐待されてる?父親か?母親か?」

 ヒロは俯いて唇をギュッと噛み締める。

「殴られたんじゃない。平手打ちさ。拳側の関節がガツンて当たったんだ。パパのね」

「そうかー」

 表情と声の響きから、ヒロの言葉に嘘はなさそうだった。

「ねぇ、電車乗らないの?」

 アケチは眉根を寄せて、

「どこに行くつもりだ?」

 ヒロはケロッとした顔で言った。

「家さ、先生の」

 ヒロは悪びれることなく茶色いパスケースを見せる。アケチが目を見開く。

「家は丸池町でしょ?アケチ先生」

 アケチはヒロの手からパスケースを引ったくる。


 なんという子かー


 アケチは驚嘆せずにはいられなかった。一体いつ掏られたのか分からなかった。アケチと手をつないだ前か、後か。

 本来聞くべきではないが、アケチはどうしても好奇心を抑えられない。

「いつだ?どうやって掏った?」

 ヒロはアケチを真っ直ぐ見て笑った。

「教えて欲しい?アケチ先生」

 その無垢で透明な笑顔にアケチは思わず視線を逸らした。

「ねぇ、家に連れってよ。僕、行くところがないんだ。夜まで過ごさせて欲しいだけ。夜になったらちゃんと帰るから」

 アケチはその懇願に応えようとせず、

「なぜ俺を見ていたんだ?俺を知ってたのか?」

「知らないさ。今日初めて見たよ」

「じゃあなぜだ?なぜ俺を見ていた?」

 ヒロはアケチの表情を窺いながら答える。

「この人は僕に手を出せないって分かったから。アケチ先生、本当はとっても臆病な人だもの」

 ヒロはそっとアケチを見上げながら言った。

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