アケチの肖像4
アケチには、その整った容貌と直観像記憶の才能以外にも人並み外れた能力を持っている。彼は優れた運動神経の持ち主なのだ。
アケチ家の子供たちは幼少の頃から合気道を習う慣わしだ。一族が持っている道場があり、一族の中である程度才能のあるものが道場主となり(金儲けに忙しいアケチ一族のことなので道場主自ら稽古をつけることは稀だが)一族の子供達に稽古をつけるのだ。
周りの大人達が思わず目を瞠るほど、アケチには才能があった。運動神経が良いというか、身体の捌き方が美しく、技の習得が速いのだ。同じ年頃の生徒に同じ事をさせてみても、アケチがやるととても品良く凛として見える。所謂「筋が良い」というやつである。
アケチの運動神経の良さ、武道家としての才能が他人の目に明らかになる頃には、両親は彼の高い知力の源泉がその驚異的な記憶能力に依っていることに気づいていた。彼の運動神経の良さは兄や姉のそれを遥かに凌いでおり、また、その記憶能力は驚異的であったので、尚更のこと両親はアケチにアケチ家の人間が持つ狡猾なまでの知的推理能力と驚速の演算能力が欠けていることを惜しんだ。
無論両親とて次男のアケチ家特性の欠如を開け広げに嘆いたり吹聴した訳では無いが、その雰囲気は確実に本人も含め周囲の人間に伝わっていった。
アケチもIQだけで見れば決して世間一般に比して低いわけではない。むしろ高いと言ってもいいだろう。ただそれは人間離れした記憶能力に裏打ちされたものであり、両親や兄弟達のIQの高さ、聡明さとは質が異なる。そしてそれを一番実感しているのはアケチ本人であった。
アケチ自身、己がアケチ家の異分子であることを自覚し、それでもなおアケチ家から逃れることができずに、アケチ家から離れる勇気を持てないままに育ったのだ。
アケチは家の庇護下にありながら親兄弟の影を見ずに済む現在の生活をとても気に入っていた。必要な生活費や学費を与えられながら、親兄弟の目の届かぬ環境での生活。毎日心がヒリヒリ痛むような感覚を覚えながらの実家生活から開放され、アケチは柔らかな湯に浸かるような安らぎと安心感を覚えていた。
もっとも一人暮らしを始めたからといって途端に性格が変わるわけでも友人ができるわけでもない。アケチは相変わらず一人だった。朝食はカフェで取り、アルバイト代わりに株式投資を行い(アケチは未だかつてアルバイトをしたことがない)、昼は極力学食を避けて何かを腹に収め、晩は自炊かファーストフードの配達を利用する。つまりは他者とのコミュニケーションを苦手とするところは何ら変わっていないのだ。
人嫌いであっても体を動かすことは嫌いでない。むしろこの先独りで生きていこうと思えば体力は必須である。独りで合気道の稽古と言ってもできることは限られているし、なにより合気道はアケチにとって実家時代を強く思い出させるものだ。
そこでアケチが始めたのがパルクールだ。フランスで生まれたパルクールはスポーツというよりある種の運動概念、鍛錬手法と言ったほうがいいかもしれない。パルクールの基本は体を動かすこと。主に素早く移動することだ。走って跳んで登って降りる。これを素早くスムーズに、かつ安全に行う。道具を使わずに身体一つで、街中の階段や壁、手摺やフェンスといった障害物を素早く安全に走り抜けていくのだ。そのスピードや難易度を競い合う競技スポーツとしての一面もあるが、その根底にあるのは僧の山駆けにも似た自己鍛錬である。
このパルクールはアケチの性に合った。体全身を巧みにコントロールする必要があり、走力、跳躍力、判断力などバランスよく鍛えることができる。尚且つ相手を必要とせず独りで取り組むことが可能だ。経費や道具も必要ない。アケチにとってはうってつけのスポーツだったのだ。




