101号室の住人。2
初めてトレイを持ったというナキルさんと、昔懐かしい出前の天ぷら蕎麦を二人で食べるという‥朝ソファーでグッタリしている私だったら信じられないシチュエーションに眩暈を覚える。
しかし、ホカホカと暖かそうな湯気が立つ天ぷら蕎麦の前に、そんな思考は横に置いておくことにした。だって純粋にお腹が空いたし。出汁の匂いが鼻に通ると、それだけで美味しそう!って思うから面白い。
「ナキルさん、お箸は使えますか?」
「ああ、タキに教えてもらった」
「‥おばあちゃん、相当ご迷惑を掛けてませんでしたか?」
恐る恐る聞くと、長い前髪の間から金の瞳が細められ、綺麗な口元が綻んだ。
「そんな事はない。面白いことばかりだった」
「そうですか?それなら良かったです。あ、これお箸使ってください。お茶は緑茶でも大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとう」
ローテーブルの前で足をどうしたらいいかと戸惑っていたので、好きな体勢で座って下さいと声を掛けると長い足をあぐらにしてようやく落ち着いたようだ。足も股下何センチ?ってくらい長いなぁと思いつつ、お茶の入ったカップを置いてから、私は両手を合わせて「いただきます」と言うと、ナキルさんも真似するように挨拶をした。
ペリペリとしっかり貼り付けられたラップを剥がすと、今まで控えめだった麺つゆの香りが強くなった。
「海老の天ぷらだ〜!美味しそう」
「えび‥」
ナキルさんは天ぷらをまじまじと見てから、お箸で上手に持ち上げて一口食べると、目をキラキラと光らせた。わ、この人わかりやすい‥。
「美味いな」
「ふふ、そうですね」
驚いたような顔で天ぷらを食べ、それから蕎麦を私がすすって食べるのを見て、目を丸くしたかと思うと真似して蕎麦をすすって食べた。
「美味い。タキはこれは教えてくれなかった」
「そうなんですか?出前って使った事はないんですか?」
「城で済ませてくるから‥。時々タキがニモノの差し入れをしてくれた」
「おばあちゃん‥」
見える‥、見えるぞ。
「若い子はちゃんと食べなさい!!」と言って、煮物やらお菓子を渡す姿が‥。どこか遠くを見つめる私にナキルさんが小さく笑う。
「俺はあまり外の世界を知らないまま育ってしまったから、タキのような存在は有り難い」
「そう言って頂けると‥。あ、そうだ!聖女のアパートってどういう意味か聞いても?」
「言葉通りだ。タキは異世界の元聖女だ」
「へ?」
異世界の聖女??
おばあちゃんが?驚く私にナキルさんは緑茶をゆっくり飲んで、静かな所作でテーブルの上にカップを置く。
「昔、俺の祖父の時代に異世界へ呼ばれて、そこで聖女として戦ったんだ」
「だ、誰と?」
「俺の祖父だ」
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません!!」
「ああ、それは大丈夫だ。勇者側もこちらも戦争で疲弊していた時に、タキが「戦うのではなく、まず和平について話し合いをするべきだ」と提案してくれたんだ。あちらも聖女の言葉を無下にできないし、こちらも渡りに船だったのでその提案に乗ったんだ」
なんていうか、おばあちゃんっぽい‥と、思いつつナキルさんの顔をまじまじと見つめると、
「お陰で魔族と人間はゆっくりだが和平の道を歩み、今はお互い仲良くやれている。タキには俺達魔族も人間も誰も頭が上がらないんだ」
「‥それこそ魔王なのに出前を届けさせられちゃうくらい?」
私の言葉にナキルさんが小さく吹き出して頷いた。
「そうだな。そうしてここはそんな異種族がわかり合える機会を増やす為にタキが作ったアパートだ」
「あ!それで聖女のアパート‥」
「なかなか面白い発想だと思って、まずトップがわかり合う姿を示さなければならないと思って住んだんだが、なかなか面白くて心地いいから、仕事を終えるとここに帰ってくるようになった」
なるほど、それで「聖女のアパート」‥。
一瞬納得しかけたけれど、おばあちゃんが異世界の聖女というワードに私の頭は更に混乱した。魔王という存在だけでも手一杯なのに、聖女??私にはどっちかというと魔女って感じなんだけど。
「この部屋も心地いいな」
「え?」
「‥ふみらしい雰囲気がある」
「そうですか?おばあちゃんが送ってきた物ばかりですけど‥」
「だが、ふみが好きな物ばかりじゃないのか?」
「‥その通りですね」
私の大好きな系統の家具が届いて、ちょっと驚いたくらいだ。
とはいえ、ナキルさんに心地いいと言われて悪い気はしない。照れ臭い気持ちとこそばゆい気持ちを誤魔化すようにお茶を飲むと、ナキルさんが小さく笑う気配がした。
「また遊びに来てもいいか?」
「え、あ、はい」
管理人だし、それこそこれから関わる機会もあるだろうし。
そう思って頷くと、ナキルさんは嬉しそうに微笑んだ。それがもうなんていうか破壊力のある微笑みで、私の疲れて錆び付いていた心にグッと突き刺さった。‥美形って、すごいなぁ。