102号室の住人。3
呼び鈴を殴打するとドタドタと部屋から走ってくる音が聞こえて、中からアシェルさんが驚いたような顔をして出てきた。
「あ、おはよ〜」
「す、すすすみません!!!あの、蛇!!蛇が二匹逃げてしまって!!」
「蛇?」
「緑色の蛇が木箱から逃げ出しちゃったんです!!」
「え?もしかして生きてたの?」
驚いた声を上げて、私の後ろの方にある空っぽの木箱を見て、
「活きの良いのを送ってって言ったら、まさか生きてるの送ってくるとはなぁ〜」
「わ、笑い事じゃないですぅううう!!!ご町内に逃げたのが、もし誰かを襲ったら訴えられてアパートも注意されて住めなくなっちゃうかも‥」
「マジで?それはやばい!!」
ようやく事の重大さを理解してくれたのか、アシェルさんは「すぐ支度する!」と言うと、部屋からロープと腰に大きな網を持って出てきた。
「‥‥そ、それで捕まえられるんですか?」
「あっちならまだしも、こっちでナイフやら剣を持って動いたらまずいだろ」
「仰る通りです」
片方だけ三つ編みを垂らして、ちょっとファンキーな髪型なのにそういう所はしっかりしている人で良かった。とはいえ、ものすごい速さで逃げてしまったあの大蛇をどうすれば捕まえられるんだろう。もう涙目でアシェルさんを見上げると、パチンとウィンクをして、胸を張った。
「任せろ!こう見えても俺はギルドの戦士なんだ!」
「そうなんですか?てっきり料理をするお仕事かと思ってました‥」
「戦士よりも最近はギルドに持ち込まれた魔物の解体とか料理にハマってるんだ!」
「なるほど‥」
でもギルドで戦士をしているのなら安心だ。
きっと強くて頼りになるに違いない。
「で、どっちの方へ逃げていった?」
「あっちです!」
「よし、案内してくれ!」
ところが右手を指差して教えたはずなのに、即座に左に曲がったアシェルさん。
え?なんで??先を迷いなく走っていくアシェルさんに、
「あ、アシェルさん!!こっち!!こっちです!!」
「そっちだったか。間違えた!俺、しょっちゅう道を間違えるんだよな」
「いや、そんな事ある?!!」
思わず叫んだよ‥。
だって、今さっき言ったのに‥即座に間違えるってある?ちょっとぽかんとしつつ、蛇が逃げていったであろう方へ行くと、閑静な住宅街だ。良かった、商店街の方だったら今頃大騒ぎだ。
「こういう所だと、木の上に登ったりするんだよなぁ」
「木の上?」
「緑だから、木に擬態するんだ」
ええ?!どうすれば良いの?
いくら閑静な住宅街といえど、そこそこ木があるのに‥。するとアシェルさんは近くにある公園を指差して、
「あの辺でちょっと香を焚こう」
「香?」
「蛇が嫌う香りなんだ」
「あの、それって付近の住民の方にクレームが来るようなものでは‥」
「安心しろ!結構良い匂いだぞ!」
‥うん、もう全てを信じるしかない。
私は宙を見つめながらアシェルさんと、ブランコと砂場のある小さな公園へ一緒に入って行く。まだ朝早いせいか、誰もいないシンとした公園の真ん中で、アシェルさんはポケットから三角錐の形をした赤い物を取り出し、
『火よ来たれ』
と、呟くと指の先からポッと小さな火が出てきた。
「え、すごい!!!」
「そうかぁ?こんなの誰でも出来るぞ」
「私は出来ませんよ。ええ、すごい、魔法だ‥」
「そっか、こっちには魔法ないもんなぁ」
「はい!だから今すごく感動してます!」
まさかこっちの世界でそんな光景が見られるとは思わなくて、目がキラキラしてしまう。アシェルさんはそんな私を面白そうに笑いつつ、指先から出た火で香に触れると、ふんわりと甘いバニラのような香りがする。
「あ、本当だ。良い香りしますね」
「これ黒いキノコで出来てるんだぜ」
「‥‥黒いキノコ」
ウゴウゴ動いていたあのキノコから‥この香り?
一瞬、複雑な気持ちになったけれど気持ちを切り替えて、香をしゃがみながら見つめる私とアシェルさん。
「えっと、ところでアシェルさんこの香にはどんな効果が?」
「うーんと、深く嗅いでると体が痺れる!」
「それは蛇だけ?」
「あ、人間もだった」
一瞬の間が空いて、ずざっと私とアシェルさんは香から飛び退いた。
「アシェルさん!??」
「悪い悪い、これ使うの久しぶりだったからさ〜」
「うう、もう不安しかない‥」
「それにしても、そろそろ蛇が落ちる音が聞こえても良いんだけどな〜」
そう言ってアシェルさんが公園の木に寄りかかった途端、ズルズルと何かが落ちる音が聞こえてきた。
「え、どこからか音が‥」
私が周囲を見回して、木に寄りかかったままのアシェルさんへ視線を向けたその瞬間、その木の真上から二匹の大きな緑の蛇が落ちてきて、アシェルさんが埋まってしまった。
「アシェルさぁああああん!!!!???」
朝早い公園の中心で、ご近所迷惑という言葉が吹っ飛んだ私は思わず叫んでしまった。
ど田舎に住んでいた時は、獣の鳴き声の方が
人間より大きかった‥。