第四十章 変わらぬ想い
弧を描いて飛び散る自分の血に、あたしは不覚にも結構鮮やかだなぁ、などと感動していた。
好男の喉下目掛けて突き出された剣を、あたしは自分が何してるかよくわからないまま、素手で払いのけていた。雪に触れたみたいに手に冷感が走り、鮮やかな血が空間に飛び散った。あんまり痛くないんだけど、この血の飛び散り様――確実に指が数本無くなったな。
なんて物騒なことを考えていると、飛び散った血が、正面から来ていた男の顔に掛かった。
「――! 」
脊髄反射並みの速さで男が背後に飛び退り、浅黒い手で目を擦る。思い切り血を浴びた目を瞬かせ、男が怪訝そうに顔を顰めた。
「何だ――湯? いや、汗か……」
そうか、透明になってるから血も透明なんだ。一人納得しているあたしの肩を、冷たい手が叩いた。
「ごめん……魅首……迷ってる場合じゃ、無かったね……。ぼくも、頑張る……。何をすれば、いいんだっけ……」
だから好男に刈子の予知したことを伝えろって、さっき言ったじゃないか! 血でぬめる足で必死に身体を支えながら、あたしは心の中で思わず絶叫した。脳内じゃこんなに威勢がいいのに、口から出るのは、浅くて速い呼吸だけだ。
悠を刈子のところに帰そうとするあたしの目に、男の立ち上がる姿が見えた。今からじゃ、とても間に合わない――。
どんどん熱の逃げる身体を抱いて、少ない血液を使って脳を動かすあたし。
「――そうだ」
酸欠で思考回路が色々飛んだせいか、ある考えが閃いた。傍らに佇む悠を手招きして、その両肩をぐっと掴む。
「……どう、したの? 魅首――っ」
ぼさぼさの黒髪に包まれた頭蓋骨に向けて、あたしは思い切り頭突きをかました。目の前に細かな星が飛び、意識が一瞬吹っ飛んだ。くらくらする頭を押さえるあたしの前で、悠も涙目になって頭を押さえている。
「い、痛い、よ……」
「ごめん。力加減が分かんなくなった。今の、刈子に伝えてくれ。頼んだぞ」
近付いてくる浅黒い肌の男に聞こえないよう、あたしは小声で悠にそう頼んだ。情けなく鼻を啜っていた悠がうなづき、刈子の許へ滑るように移動していく。よし、ちゃんと刈子と額を接触させてるな。
悠の様子を見届けると、あたしは男に眼を向けた。コンクリートの双剣を構え、男は円を描くように間合いを詰めてきている。あたしの背後では、好男が先ほどのことに驚いて剣を下ろしていた。これじゃ、急な攻撃にまた押されてしまう――。
悩むあたしの眼が、男の顔に掛かったあたしの血に向かう。
好男が闘えないのなら、あたしがやるしか無い。血の滴る拳を握り締め、あたしはスィフィに向けて腹の底から声を出した。
「能力を解いてくれ! 今すぐ! 」
「り、りょーかいねぃっ」
スィフィの声が聞こえ、身体に巡っていた不思議な力が消えていった。がくんと体温が下がってよろめくあたし。駄目だ、ここで倒れるわけにはいかない。がちがちと歯を鳴らしながら、あたしは男に目を向けた。思惑通り、相手は視界を奪われて怯んでいる。叩きにいくのなら、今しか無い!
両目を押さえて首を振る男目掛け、動かす度痛む足で駆けていく。
「目、目がっ……! 急に視界が――? 」
「うおぉぉおおおりゃぁあああ――――! 」
録音されてたら絶対お嫁に行けなくなるような雄叫び上げて、あたしは男の腹に拳を撃ち込んだ。真赤な血を迸らせながら、右手が男にクリーンヒットする。あぁ、やっぱり指無くなってる。三本しか無い指が折れていく様を眺め、あたしは小声で呟いた。左手じゃなくてよかった――。柄にも無くそう思ってるうちに、男の体が後方へ仰け反った。
「ぐっ……」
血の混じった息を吐きながら、男が背筋を使って体勢を立て直そうとしている。好男が動く気配はまだ感じられない。それまで動きを封じるしかない――!
多分あたしの頭は、酸欠や貧血でかなりおかしくなっていた。大和撫子の血が流れてるとは思えない乱暴さで、あたしは男に馬乗りになった。ああご先祖様父上母上、緊急事態の不可抗力ってことで、この蛮行を見逃してください。
心の中で免罪の言葉を吐きながら、あたしは男の太い首を両手で締め付けた。って言っても、指が二本無くなってるから、大した力は出ないんだけど。押し返そうとする男の両手の内肘をを両膝で押さえつけるあたし。組み伏せられた男の鋭い目が、あたしを睨み付けた。
「何故彼らに加担する? 自分の命が惜しいのか? 何千何万の命よりも――」
「モノには言い方と遣り方ってもんがあるんだよ! 命を救うためって言いながら、おまえらは何十人も殺しをしてるじゃねーかっ! ある命を救うためなら、その他の命はどうなってもいいのか? もっと……もっと他に、方法は無かったのかよ! 」
酸欠と貧血のためラリった頭で、あたしは男に感情のまま言葉をぶつけていた。無我夢中で男の身体を押さえ込むあたしの手足を、コンクリートの破片が覆っていく。それが皮膚の下に潜り込んできて、もう完全に頭がおかしくなりそうだった。
「誰だって自分の命は大事だろ! 自分の命の大切さ知らないで、どうやって他人の命の重さ知るってんだよ! おまえらが殺してきた人達だってなぁ、生きてたんだよ! 人生背負ってたんだよ! その事ちゃんと分かってんのか? なぁ! 」
どこまでも冷徹な目で睨んでくる男に、あたしは声の限り怒鳴り続けていた。感極まって目元が熱くなってくる。まだ泣いちゃ駄目だ。ここで泣いたら、第二の能力が発動したら全て台無しだ。
「――何を言い出すかと思えば、そんなことか……。くだらんな。一時の感情に支配されて、最も優先すべき事柄を見失っているのだ。群れが無ければ個が生きていけないことすら、忘れてしまっている……。やはりこちら側の人間とは、相容れることなどできぬな」
逆に説教を垂れて、男はあたしを鼻で笑った。侮蔑に満ちた男の表情を見て、かっとなったあたしは思わず右手を振り上げていた。
「てめぇ――――っ」
冷血で高圧的な男の顔面に拳が振り下ろされる。鼻柱に当たるすれすれのところで、何かがあたしの手を引きとめた。
「魅首殿……もう十分だ。これ以上は魅首殿の生命に係わる」
氷のように冷え切った声。応える暇も与えず、アズァの黒髪が男を捕縛した。別の髪束が、あたしを男から引き剥がす。宙に浮かんだあたしの身体を、黒い鎧に包まれた好男が抱きとめた。
「魅首ちゃん、大丈夫? 」
「おまえこそ大丈夫なのかよ」
手際よく足と手の治療をしてくれる好男に、あたしがぶっきらぼうに訊き返す。尋ねられた好男は一瞬眼を伏せたけど、すぐに無理に笑うとうなづいて見せた。
傷が塞がったあたしを膝から降ろし、地面に縛り付けられる男に近付いていく。
「――確かに、アズァの言動は謎が多い。それに思わせぶりなところもある。――けどさ、人間付き合いしてたら、どんなに親しくても言いたくないこと、一つや二つあるだろ? 口数は少ないけど、沢山秘密を抱えてるけど、アズァはずっとオレ達を守ってくれた。アズァが『信じてくれ』って言って、おまえが『信じるな』って言ったら――オレはアズァを信じる。だって、アズァはオレの大切な相棒だから」
朗々と、そしてきっぱりと、好男は言い切った。なんか吹っ切れたみたいに清々しい顔の好男に、男は眉間に薄ら皺を寄せている。
「そんな感情論で物事を決めるとは――」
口を開きかける男を手で制して、コンクリートに包まれたヘッドホンの男を指す好男。
「それに、自分の相棒をあんな目に合わせる奴のこと、信じられないだろ」
好男の言葉に、男の目の下がぴくりと痙攣する。精神的に痛いだろうな、だって図星だもんな。
不機嫌そうに鼻に皺を寄せる男を眺めていると、背後から甲高い声が聞こえてきた。
「なによ、あんだけ鳴り物入りで派遣されてきて、こんな小娘相手にやられちゃうわけぇ? はっ、ホント駄目ね。見てらんないわ」
十四季と闘ってるはずのドレスの女が、何時の間にかすぐ後ろで炎を揺らしていた。どうして、と目を円くするあたし達の前で、女が高笑いしている。
「あのガキは、うちのガキと遊ばせてあげることにしたわ。さぁそこの小娘、それと黒い毛玉。二人で掛かってきなさい。さもないと――」
女の真赤な爪が、つい、と空間に伸ばされる。その先にあるものを見て、あたしと好男は息を呑んだ。
「あの子の命をいただくわよ」
紅色の炎の向こう、影のように黒い男が、刈子の首筋に刃物を当てている。その下で、頭を踏まれてぐったりと目を閉じたスィフィの姿が見えた。