第三九章 疑惑
「……どう、したの……? 」
「魅首、何を企んでるのねぃー」
好男と浅黒い肌の男が闘っている中、あたしはスィフィに向かって唇に人差し指を当ててみせた。吊り広告から上半身だけだしてるスィフィが、きょとんとして首を傾げる。悠の冷たい手首から手を離すと、あたしは悠に正面から向き合った。
「確かおまえって、人の考えてることを他の人に伝えられるよな? 」
時間が無いから早口に尋ねるあたしに、悠がぼさぼさの黒髪を揺らしてうなづく。だったら、これから刈子の考えてることを逐一好男に伝えてくれないか。そう頼み込むあたしの前で、長い前髪に覆われた悠の顔が曇る。黒い空間に差す白光が透けてみえる悠の身体は、なんだか前よりもっと薄くなってる気がした。雫の滴る長い黒髪を耳に掛け、悠が言葉に閊えている。
「頼むよ! これができるのはおまえしか居ないんだ。好男に恩返ししたいんだろ? 今が絶好の機会だと思うんだけど」
宥め賺して悠にうん、と言わせようとするあたし。両肩を掴まれた悠が、苦悩の表情を浮かべて目を逸らした。
「……わからないんだ……。ぼくのしてる事……もしかしたら、好男にとってはいい迷惑だったのかも、って……。好男、女の人と一緒にいると楽しそうだったから……。色んな女の人が好男のこと好きになるように、……こっそり小細工してたけど――。そのせいで……逆に追い詰めてたんだよね……」
図書館で聞いたあれが好男の本心だったんだ……、とか俯く悠が呟いている。今更何をぐちゃぐちゃ言ってるんだ、こいつ。でも下手に刺激して協力されなくなったら困るし――。脳内の知識を総動員して、あたしは悠に言葉を浴びせ続けた。
「そんな気に病むなって! 大丈夫、好男はおまえのこと気付いてないし。むしろここで諦めたら、それこそ中途半端じゃないか? 今までは気持ちの問題だったけど、今度は命かかってるんだぞ? 」
ああ駄目だ、励ますつもりが不安にさせるようなこと言ってどうする……。こんな脅迫じみた言葉じゃ、ますます悠は協力してくれないだろう。案の定、悠は無言で佇んでるし。
頭を抱えるあたしの耳に、剣が空を斬る音が聞こえる。
まきびしだらけの地面まで追い込まれた黒髪の鎧が、コンクリートの剣を押し返した。重心がブレてよろめく浅黒い肌の男を、好男が黒髪の剣でけん制する。切先を避けて数歩下がった男が、口元を歪めて剣を構えなおした。
「相手も疲れてきているようだ。レェンは疲労が溜まると、左足の動きが鈍くなる癖がある。左右に避けさせて、体勢が崩れたときを狙うぞ」
「……わかった。頼むぜアズァ」
荒い息をしながら、好男が鎧の上から顎を拭った。黒髪の鎧の隙間から、汗が染み出ている。
対する浅黒い肌の男も、先ほどまで汗玉一つ浮かべて額から、滝のような汗が流れていた。
細剣を構える黒い鎧に、男が恨みがましい眼を向ける。
「いつも、貴女は我々の邪魔ばかり――」
男の歪んだ唇から、忌々しそうな低い声が吐き出される。男の持つ双剣の滑らかな刃面に、細かな棘が生えてきた。釣り針の先みたいに、一度刺さったら抜けなさそうだ。思わず刺さったところを想像して、背中がむず痒くなる。悠はまだ悶々と考え込んでいるようだ。背後からは、十四季の奏でるギターの音と、蟹の少年の怒鳴り声が聞こえる。振り向いて見ると、どうやら十四季が優勢らしい。
ほっと安堵の溜息を吐くあたしの耳に、歯軋りの音が聞こえてきた。
背筋を伸ばして剣を構える黒い鎧に、コンクリートの剣を構える男が、暗い敵意の視線を向けている。
「……また長話をするようだな。好男、今の内に息を整えておくんだ」
「え? あ、うん。わかった」
氷のようなアズァの声に、好男がうなづいて深呼吸している。隙だらけの好男を前にして、男は斬り込む様子すら無い。好男の右手首に光る腕時計に陰気そうな眼を向けて、男が一人で恨み節を零し始めた。
「我はいつも、任された務めを十二分に果たしてきた――。団長も、常に尽力して任務を遂行していた。なのに貴女は……持てる力を出し切ることを惜しみ、いつも作戦に余計な口を挟み、挙句の果てにはこの様だ。自分の命を守るため、故郷の民を見殺しにしようとしている」
「わたしは――」
何か喋ろうとしたアズァの声を、男の苛立った声が掻き消す。
「もう、その言い出しは聞き飽きた。そうやって、自分だけが全て分かっているような態度を取るのは止めたまえ。意味深な言葉を吐いて、敵も味方も混乱させて、――それで何か得たことがあったか? ……無かった。何も得る事など無かったのだ。誰も傷つけたくないなどと言って、結局苦しまなくていい人々まで苦しめる。以前から薄々感じていたのだが――貴女は、周りの者を振り回して楽しんでいるのではないか? 」
ほとんど息継ぎもせずにそう言うと、右手の腕時計から好男へと男の視線が動いた。大分呼吸が落ち着いてきた好男に、棘の生えた剣が向けられる。
「御前も、副団長の言動に対して疑問の一つや二つ持っているだろう。例えば図書館で話したことのように。何故、故郷の世界で苦しむ民のことを伏せていたのか。等々――思い当たることは無いか? 重要な質問を、口当たりの良い言葉ではぐらかされたことは無いか? もし該当する事柄があるのなら、それが副団長の本性だ。あれこれ綺麗事を並べながら、自分が一番得するように仕向ける――。そんな者と命運と共にすることを、不安に思わないか? 」
男の容赦ない追求の言葉に、黒い鎧が軋んだ。中に居る好男は、どうやら考え込んでいるみたいだ。まぁ確かに、思い当たることがチラホラあるけど。だからと言って、この男が言ってることを鵜呑みにはしたくないし――。もやもやするあたしの目に、男が左足首を曲げ伸ばしする動きが映った。
……まずい、今のは足の疲れを取るための時間稼ぎだったのかも。しかも好男が考え込んでいる隙に、斬りかかるつもりみたいだ。好男から気取られぬように、男が少しずつ間合いを詰めている。
いつもならアズァが気付いて注意したりするのに、さっきの言葉にアズァも悩んでるみたいだ。剣が届く距離になろうとしてるのに、全然動く気配が無い。どうしようかと辺りを見回すけれど、悠は落ち込んでるし刈子も何かぶつぶつ呟いてるし……。十四季は向こうで二人相手に闘ってるし。
助けに行ける奴が居ないじゃないか。――あたし以外は。
足元に広がる無数の針を見つめ、あたしは大きく息を吸い込んだ。踏み潰していたローファーの踵を直し、しっかりと靴の奥まで足を入れる。
「――スィフィ、能力を使いたいんだけど」
「わかったねぃ。……おいらも一緒に行こうか? 」
うねるリボンを従えて首を傾げるスィフィに、あたしは首を横に振った。横で何か呟いている刈子を指し、何かあったら刈子を守ってくれ、と頼み込む。
素直にうなづくスィフィに背を向け、あたしは好男達の方を見た。コンクリートの剣を構える男の意識は、黒い鎧の腕時計一点に集中されている。今なら多少足音がしても気付かれないかも――。
針のように尖る破片を踏み、あたしは好男達の方へ駆け出した。吐き潰したローファーの磨り減った靴底からコンクリートの破片が突き出し、あたしの足の裏を削る。足だけ痛いととても走れそうにない。ならばいっそ傷を増やしてしまえと、あたしは思い切り自分の腕を噛んだ。うん、いい感じに意識が分散されてる。下手したら気絶しそうだけど。
よろけながら走るあたしの前で、ついに男が大きく一歩踏み込んだ。一瞬遅れて反応した好男の喉下に、コンクリートの刃が迫る。
血の流れる足で勢いつけて、あたしは刃に向かって飛び込んだ。
真赤な鮮血が、まるで弧でも描くように飛び散る様子が見えた。