第三八章 勇む心
まるでストップモーションアニメのように、コンクリートの刃が振り下ろされる様子がコマ送りに見えた。超スローモーションの刃に、ああ一年前車に撥ねられた時もこんな感じだったな、と思うあたし。あの時は運良く軽い打撲だけで済んだけど、今回ばかりはそんな幸運望めそうにない。
そんなこと考えてる暇があったら逃げればいいんだけど、頭の回転に身体が追いつかないから逃げられない。あれだけ偉そうに皆を守るとか誓っておいて、何もできないまま胴体とお別れするのか――。
刃を見上げながら絶望に打ちひしがれるあたしの視界に、黒い一閃が走った。ぶちぶちと髪が千切れる音が聞こえ、刃の動きが止まる。それと同時に、あたしの頭の回転も普段通りの速さに戻った。
黒髪の鎧に包まれた好男が、コンクリートの刃を黒い剣で受け止めている。ほんの一瞬の間に行われた早業に、敵も驚いて足を止めていた。
コンクリートの塊を従える浅黒い肌の男が、忌々しそうに眉間に皺を寄せて、目を窄めている。
「立ち塞がるのは、やはり貴女か――」
男が低い声でそう呟いた。多分、アズァに向けて言ったんだろう。浅黒い肌の男は、背後のコンクリート塊に手を伸ばした。その中から、獣のような唸り声が聞こえている。聞き覚えのある声に、あたしは図書館で最後に見た光景を思い出した。ヘッドホンの男に纏わり付く無数のコンクリート片、そして人間から別のものへ変化していったその姿。
まさかあの塊が――ヘッドホンの男なのか?
あまりのおぞましさに息を止めるあたしの前で、塊の表面の細かなヒビが蠢く。その背中から生える剣を、浅黒い肌の男が引き抜いた。灰色のコンクリートの刃先からは、真紅の血が滴っている。それに合わせて、男の服にも血が滲んだ。そうか、この二人はまだ『契約』しているから、片方が傷を負ったらもう片方も同じようになるんだ。
二人で二心一体、というスィフィの言葉をあたしは思い出す。勿論そのことを、この男が知らないはずが無い。自分も怪我すると分かっているのに、闘うために武器を創り出す――。何なんだ、この男は。
二本の剣を構える男は、まるで鬼か何かのように周囲を威圧する気を纏っている。いや別に目に見えるんじゃなくて、そういう雰囲気を醸してるってことだけど。鬼気迫る顔で一歩々々近付いてくる男に、あたしも好男も後退りした。
気圧されてかよく分からないけれど、耳がキーンと痛む。耳鳴りのする耳を押さえて、あたしはもう一つ別の雑音が聞こえることに気付いた。図書館で聞こえた、あのテレビの砂嵐のような音だ。
「……? 」
警戒して音源を探すあたしの背後で、刈子も音に気が付いたらしく、きょろきょろと辺りを見回している。
「この音……まるで、二つの世界がせめぎ合っているみたいだ……」
円い眼鏡の奥から、テンキィが言葉を漏らした。その横では、十四季が冷静な表情で律動を刻み始めていた。乾いたドラムの音と、泣くようなエレキギターの高音が空間に流れ始めた。リズムに合わせて呼吸を整えた十四季が、あたし達を一瞥する。
「……俺はあの女の相手をする。そっちは頼んだ」
赤い左目に静かな炎を燃やして、赤いドレスを着た女に刺すような視線を向ける十四季。その言葉に、あたしも好男も、そして刈子もうなづいた。大切な家族を殺されて復讐したい十四季の気持ちが、痛いほど伝わってくる。
うなづくあたし達を見て、十四季はドレス姿の女に向かって駆けていった。あっちには蟹の少年もいるんだけど……。一抹の不安を覚えるあたしの頬を、コンクリートの破片が掠めていく。重い物体が空を斬る音と、髪の千切れる音が聞こえる。こっちもこっちで気が抜けないな――。
浅黒い肌の男の猛攻に、好男とアズァは押され気味だ。姿を消して後ろからしがみ付けば、ちょっとは形勢逆転できるだろうか――。横に浮かんでいるスィフィに目配せするあたし。それに気付いたのか、コンクリートの塊が一際大きな叫び声を上げた。血飛沫を上げて無数の破片が塊から飛び出し、透明な地面にみっしり敷き詰められる。これじゃ一歩進む毎に足に穴が開いてしまう。
地面に蠢く無数の鋭い破片に、あたしは思わず尻込みした。怖気づいているあたしの前では、好男と浅黒い肌の男が絶闘を繰り広げている。男が無駄な動き一つせず二刀で斬り込めば、鎧を着た好男が華麗な足取りでそれを受け流す。
二人の剣舞のような闘いを見て、眼鏡の中のテンキィが口を開いた。
「一方的に押されてるように見えるけど、前回よりも相手の一撃が重くない……。操るものの量が少なくなっているから、かな。もっとコンクリートを分散させたら、押し返せるかもしれない」
そのためには……、と、テンキィがぶつぶつ呟きながら腕を組んでいる。そんなお喋りな眼鏡を押さえ、刈子が急に大声で叫んだ。
「好男さん、右に飛んでください! 左からくる相手の剣が変形します! 」
「! 」
甲高い声に、黒髪の鎧が空高く右側へ飛び上がった。刈子の言った通り、浅黒い肌の男が振りかぶった剣がブーメランのように変形して、さっきまで好男の胴体があった空間を切り裂いた。
上空から斬りつける好男の剣を鍔で受け止め、男が顔を顰める。
「予知能力持ちの占い師がいたか――。……まぁいい。可変未来しか見ることができないのなら、こちらにも打つ手があるのだからな」
返って来た剣を掴み取り、男がそれをまた投げた。剣が空中で砕けて、破片が好男の周りに漂う。好男もアズァも焦ってないから、避けられない数じゃないみたいだけど――。着地する黒い鎧に、男が突きを繰り出した。
「今度は左に避けてください! 」
「わか――っつ……」
刈子の言葉通り左に下がる好男のわき腹を、破片が突き刺した。一瞬よろめいて、鎧はすぐ体勢を立て直す。信じられないと目を見開く刈子に、男が冷たい視線を向けた。
「御前が予知して告げる未来は、それに対抗する手段を行ったときには既に、絶対に辿り着かない虚像の未来になっている。予知した未来を変えることができるからこそ、我が御前の言葉を聞いて更に裏を掻くこともできるのだ。そして判断、行動共に我のほうが速い。御前の予知はするだけ無駄だということだ」
「そんな――わたくし――」
口の前で固く拳を握り、刈子が小さな肩を震わせている。血を流すわき腹を押さえる好男に、刈子がごめんなさい、と呟いた。
好男が自分の怪我を治療している間にも、浅黒い肌の男は長い剣を構えてにじり寄ってくる。この空気の薄い空間で、激しく動いた好男はすっかり息が上がってしまっている。対する男は汗一つ浮かべていない。
好男の動きが鈍ってきてるのは、目に見えて明らかだ。次に一撃喰らったら……。
もう足に穴開いてもいいから奇襲するか。そう思って目の前の針山に踏み込もうとするあたしの眼に、心配そうに宙をうろつく悠の姿が見えた。ぜいぜいと肩で息をする好男の背中を、悠がさすっている。そんなことしたって、何の役にも立たないと思うけど……。
呆れながらも気遣いに感心していると、あたしの頭にある考えが閃いた。
そういえば悠って、他人の考えをそのまた他人に直接伝えることができるじゃないか。あたしの合図を刈子に伝えたときや、花柄の予定を好男に知らせたときのように。確か頭と頭を突き合わせる必要があるんだっけ。
あたしの眼が、悠から刈子へ向けられる。あの男、刈子の言葉を聞いたからわざと違う行動を取ったんだよな。ってことは、あいつに悟られずに予知を伝えれば万事解決なんじゃないか?
動悸が速まるばかりでまともに思考を纏められないけど、なんとなく上手くいきそうだ。浅黒い肌の男に気付かれないように、あたしは悠に向かって手を振った。悠がこっちに気付いて、ふらふらと近寄ってくる。その腕を掴んで引き寄せるあたしに、刈子が不審そうな目を向けている。
よし、これであいつを倒せるはず。どこから湧いてくるのか、あたしの心は根拠の無い自信に満ち溢れていた。