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第三七章 狭間

 全身を冷気に包まれて、あたしは思わず固く目を瞑っていた。まるで渦巻く波の中にいるように、身体が色んな方向へ振り回される。平衡感覚が狂わされて、上下左右の感覚さえも曖昧になったきた。気持ち悪すぎて、悪酔いしそうだ。

 胃の奥から酸っぱいものが込み上げてきて、あたしは口元を両手で押さえた。腕に絡まっていたリボンが解けていく感触がしたけど――。吐き気を堪えるのにいっぱいいっぱいで、そんなことに構っている余裕は無かった。


 兎に角気分を落ち着けようと、浅い呼吸を繰り返した。肋骨がめいいっぱい広がるまで息を吸い込んでも、肺に全然空気が入ってこない。それにすごく寒い。鳥肌の立つ腕を摩りながら、あたしは何時の間にか身体の揺れが無くなったことに気付いた。

 ――と言っても、相変わらず重力の存在を感じることができないのだけれど。

 恐る恐る目を開くと、そこには不思議な光景が広がっていた。


 真黒な空間を、冷たい白光が貫いている。深海の中をライトで照らしてるみたいな感じだ。この光、図書館上空の穴から漏れ出ていた光と同じだ。

 光源を探ろうと首を回し、身体を捩るあたし。何も無い空間で身体の向きを変えるのは、思ったより難しかった。必死に両手両足をばたつかせて、やっと少し方向が変わるくらいだ。それだけ苦労して向きを変えても、見える景色にあまり変化は無い。悪戯に疲れが溜まるだけだと気付いたあたしは、仕方なくじっとしていることにした。


 真っ暗な空間に浮かびながら、あたしは震える身体を摩った。ここがスィフィ達の言ってた向こうの世界なのか? なんだか酷く殺風景で、とても人が住めた場所じゃない。そもそも、上下の区別も付かないのは、住居を構える上で結構な問題なんじゃないか?

 暗く寒い空間にケチをつけながら、あたしは目だけ動かして辺りを見た。漆黒の空間に白い光があるだけで、本当に何も無い。何も――ていうか、皆どこ行っちゃったんだ?


 異様な空間の中でやっとそのことに気付き、あたしは慌てて皆の名前を呼んだ。喉から出た声は広がることも無く、ただ暗い空間に吸い込まれていく。駄目だ、声が遠くまで届かない。

 叫んでも無駄だと気付き、あたしは肩を落として身を丸めた。それにしても、ここはホント寒いな……。とくに左肩の辺りがすごく寒い……。……いや、冷たい……?


 制服の上から、何か冷たい固体が触れている。限界まで首を回して振り返ると、長い黒髪の下から白濁した瞳がこっちを見つめていた。死んだ魚みたいな目で見つめてくる悠に、あたしは小さく悲鳴を上げてしまった。


「ひっ――な、なんだ悠か。驚かすなよ! ていうか寒いから離れろっ」


「……ごめ、ん、なさい……」


 言葉をつっかえながら悠が謝り、そのままゆっくりとあたしの正面まで滑るように移動してきた。あたしは身体の向きを変えるだけで、あんなに苦労したっていうのに。なんで悠は難なく移動できるんだよ。いくら幽霊だからって、そんなの理不尽だ。

 なんて腹の中で呟くあたしの顔を、悠が覗き込む。雫の滴る頭を傾げ、悠が干からびた唇を開いた。


「怒って、いるの……? 」


「怒ってないけど。ていうかさ、あたし達が図書館で闘ってたとき、おまえどこいたんだよ? まさか恐くて隠れてたのか? 幽霊なのに――」


 眉を顰めて言及するあたしに、悠は口の前に手を持っていき顔を俯けている。


「……ごめんなさい……。その、札、が……怖かったから……。札から出る気、が痛くて……。なんだか、自分が消えちゃいそう、だったから……」


 そう小声で言う悠の身体からは、空間を貫く白い光が透けて見える。どもりながらも何度も謝る悠を見て、あたしは少し反省した。そんなに謝らなくてもいいって、と悠に言って、話題を切り替える。


「ところで、好男達はどこに居るんだ? おまえはこの空間を自由に動けるみたいだし、ちょっと探してきてくれると嬉しいんだけど」


 出来る限り粗暴にならないよう、あたしは悠に皆の捜索を頼んだ。余計なこと言って凹ませないよう気を遣ってるあたしに、悠は骨と皮だけの首を傾げている。


「皆、すぐ傍にいる、よ? ……魅首には、見えないのか、な」


 枯れ枝みたいな悠の指が、あたしの近くを指し示した。身体を捻って指された方向を見るけど、真っ暗な空間が広がっているだけだ。悠には見えて、あたしには見えないってことなのか……。考え込むあたしの耳に、スィフィの声が微かに聞こえてくる。声が小さすぎて、何を言ってるのか聞こえないくらいだ。

 もっとよく声を聴こうと耳を澄ますと、いきなり真正面から朱色のリボンがこっちに迫ってきた。目に刺さりそうな勢いに、思わず手で顔を庇うあたし。一瞬の後に訪れたのは、背中を何かがつつく感触だった。


「-―? 」


「あー、ここに居た! やっと見つけたねぃ。やれやれ、もうちょっとで永久的にどっちの世界からもサヨナラするところだったねぃ」


 疑問符を浮かべて目を開くと、朱色のリボンは目の前で急に捻じ曲がって背中のほうに伸びていた。

 なんでわざわざ、こんな手の掛かることするんだ。随分酔狂な真似してくれるじゃないか。機嫌を損ねて鼻に皺を寄せるあたしに、スィフィの声が段々近付いてくる。リボンをあたしの腹に巻きつけて、それを手繰ってきているようだ。


「おいスィフィ、ここはどこなんだ? ここがスィフィの住んでた世界なのか? 」


「まさかぁー。こんな殺風景なところに住んでるわけないねぃ。ここは――うーんと、二つの世界の隙間かな? ほら、あっちの亀裂から図書館が見えるしぃ」


 背後から聞こえる声がそう言って、リボンがあたしの身体の向きを変えた。なるほど確かに、もやもやした穴の向こうに図書館が見える。真っ暗な空間に浮かぶ図書館の屋根は、なんだかすごくミスマッチだ。蟻のように小さな人々を見て、あたしの腕にまた鳥肌が立つ。


「――なぁ、皆は? 一緒なのか? 」


 尋ねるあたしの頬に、生暖かい感触がした。後ろから顔を包むごつごつした感じ――これ、手か。骨ばってるから好男かな。でも、それにしてはちょっと小さい気がする。いったい誰のものなのかと考えるあたしの頬を、後ろから伸びる手が引っ張って遊んでいる。こんなことする奴、スィフィ以外にいないけど――。なんとなく嫌な予感がして振り向くのを躊躇うあたしの耳に、スィフィの間延びした声が聞こえてくる。


「んっとねー、近くに居ることは居るんだけど……。この空間、変に捻じ曲がっちゃってるんだよねぃ。『世界』を認識する基準を変えないと、まともにモノを見ることもできないのねぃ」


 大変なこと言ってる割には緊張感の無い声で、スィフィがぼやいた。おいらの言いたいことわかる? と、スィフィが耳元で尋ねている。耳に掛かる微かな息にますます嫌な予感を覚えながら、あたしはうなづいてみせた。


「能力を使えばいいってことだな。――でもあたし……どうすればいいか全然分からないんだけど」


 認識の基準とか意味不明なこと言われて、一瞬で全て理解するなんて無茶すぎる。だいたい、そんな能力持ってないし――。困惑するあたしの頭を、体温の低い手がすっぽりと包み込んだ。


「大丈夫だいじょうぶ。おいらが力を貸すから。魅首は何を基準にするのかだけ決めれば万事解決ぅ」


「んなこと言われても――」


 渋るあたしの頭を、骨ばった生温い手が撫でている。まるで幼児扱いされてるみたいで、ちょっとムカつくんだけど。唇を尖らせながら、あたしは辺りを見回した。


 基準、か――。何に対する基準なのか、まずそこが分からない。まぁでもスィフィが何とかしてくれるみたいだし、適当に決めちゃっていいか。酸欠でぼーっとしてきた眼が、図書館の屋根に注がれる。そこに向かって伸びる光を眼で追うあたし。


 よし決めた。あの光の線と同じ高さが地面ってことにしよう。心の中でそう呟いた途端、あたしの頭の中に新しい『概念ビジョン』が流れ込んできた。雲を掴むようだった今までのものと違って、今度のは随分はっきりしている。『概念』が流れ込んでくると同時に、宙に浮かんでいたあたしの身体が一定方向に引っ張られ始めた。丁度、あたしが地面と決めた方向に。

 転がって着地すると、あたしはすぐさま立ち上がった。さっきよりかなり視界がよくなったみたいだ。それに身体も動かしやすい。


 白い光が走る暗い空間を見回していると、近くでどさどさと何かが落ちる音がした。振り向くあたしの眼に、好男と刈子、それに十四季の姿が映る。いや、それだけじゃない。バンダナの中に居たスォンとか言う奴も、何故か人間大のサイズに戻って目をこすっていた。


「なっ、どうなってんだよ――? 」


 絶句するあたしの前に、吊り広告が移動してくる。それを見て、あたしはやっぱり、と肩を落とした。今まで二次元でしか見たことがなかったスィフィが、広告から上半身だけ立体的に飛び出している。

 うねるリボンを片手で弄びながら、あっけらかんとした様子でスィフィが喋りだした。


「何驚いてるのぉ? あ、もしかして、おいら達は故郷むこうでも物の中に棲んでると思ってた? そんなわけないねぃー。物に棲んでるのは、異世界あっちの毒気に侵食されないようにするためだもん。正直、めっちゃ窮屈だったんだよぉー」


 そう言いながら、スィフィが大袈裟に肩を回して凝りをほぐしている。いやまぁ、なんとなく分かるけどさ――。何の前触れも無く物から出てきたら驚くだろ、普通。

 物の中に人が入ってること自体がまずおかしいんだけど、と二重に突込みを入れるあたし。それにアズァやテンキィは、腕時計や眼鏡から出てきてないじゃないか。好男と刈子を眺めていると、アズァがスォンを厳しい声で問い詰めた。


「こんな場所に連れてきてほしいと頼んだ覚えは無い。約束を反故ほごにするのなら、こちらもそなた達を攻撃しないという誓いを撤回させてもらう」


「ま、待ちたまえ――。我輩はきちんと故郷むこうへ帰る詞を唱えたのだ。しかし途中で何かに阻まれて……」


「そう、団長に阻まれたのだ。異世界あちらから故郷こちらへ、これ以上異分子が流れ込まないように張られた光の壁に、な――」


 うろたえるスォンを遮って、遠くから威圧的な声が聞こえた。眩しい光の筋の中から、浅黒い肌の男が現れた。誰だ、あれ? よく見ようと目を細めるあたし。男の後ろから現れたコンクリートの塊を見て、あたしはやっと男が誰なのか分かった。MP3プレーヤーの中に居た奴だ。

 レェン――、と呟くスォンに、男は冷たい一瞥を投げた。


「故郷に帰れないと気付いた時はどうなるかと思ったが――狭間に誘い込んで闘うという思惑があったのだな。こやつ等は、自力では故郷にも異世界にも逃げられない……それを利用しての作戦か。口先ばかりの腑抜けかと思っていたが、見直したぞスォン」


 背筋の凍るような冷笑を貼り付けて、男がこちらに向かってくる。物音のする背後を見ると、真赤なドレスを着た女が両手に炎を燃やしている。その横には、蟹の殻粉がたくさん詰まった袋を握る少年の姿が。しまった、囲まれてる――。


 じりじりと追い詰められ、あたしの顎を冷や汗が伝い落ちた。今まで一人ずつでも苦労してきたってのに、いきなり三人相手とかヤバイ。もうヤバすぎる。絶体絶命だ。

 真白になった頭で必死に打開策を考えるあたしの眼に、コンクリートの刃が空を斬る姿が見えた。

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