第三五章 忍び寄る崩壊
雰囲気に流されて一通り馬鹿騒ぎしたあたしは、疲れてベッドに倒れこんでいた。仰向けに寝るあたしの横では、スィフィの入った広告が宙に浮いている。こんなに笑ったのって何時以来だろう。頬とお腹が、笑いすぎで筋肉痛を起こしている。他にもあちこち痙攣している身体で寝返りをうって、あたしは溜息交じりの声を出した。
「……ふー、疲れたぁ」
「お疲れさんだねぃ、魅首ぅ」
わざとらしくスィフィが言い、どこかで聞いたような会話になった。あの時の再現だと気付いたあたしの口端が、にやりと持ち上がる。にやつくあたしを見て、スィフィも悪戯っぽく微笑んだ。こいつと二人っきりなのに、こんなゆっくりと時間が過ぎるなんて。
ぼーっと天井を見上げるあたしの肘が、リモコンに当たった。
ベッドの端からリモコンが滑り落ち、テレビのチャンネルが切り替わる。ニュースでもやってるかな、と身を起こすあたし。その目に、市立図書館の様子が入り込んできた。
なんで図書館がテレビに映ってるんだ? 疑問符を浮かべるあたしの前で、テレビの中から必死の実況が聞こえてくる。マイクを握っているのは、昨日好男を名指ししていた女芸能人じゃないか。
『――の崩壊の様子をお伝えしてきましたが、いったいどういうことでしょうか。一瞬の内に図書館は元通り、何も無かったように建っています。CG加工など一切しておりません、正真正銘ヤラセ無しの生放送です! こんな不思議なことが、現実に起こるなんて――言葉がありません』
一生懸命実況する女を見て、あたしは唖然として固まっていた。今、『お伝えしてきましたが』って言った? ていうことは、図書館がヘッドホンの男によって壊されるところとか、好男の能力で再生するところとか、全部放送されてたのか?
疑問に思うまでもなく、まさにその通りなのだが、突然のことすぎて頭の理解が追いつかない。間抜けな顔してテレビを見つめて、そういえば昨日『電話しなきゃ押しかける』とか言ってたなぁと思い出す。また好男の姿が全国に晒されてしまったんだろうか。ていうか、花柄と海原の姿も放映されたんだろうな。
三人にちょっと同情するあたしの眼が、テレビの一点に吸いつけられる。夏の日差しを浴びて建つ図書館の上に、もやもやした黒い穴が開いていた。あたしが見たときは、穴から白い光が出てたはずだけど――。
濃い霧みたいな謎の穴を見つめるあたしの前で、テレビの中の女が実況を続けている。
『ご覧下さい、図書館の上に現れた謎のホール! あれはいったい、何なんでしょうか? 異空間へと繋がる超次元ワームホールなのか、はたまた素粒子実験の不慮の事故で生まれたブラックホールなのか! 詳しいことは今、専門家に問い合わせている最中です。それでは一旦CM! チャンネルは、そのままでっ! 』
「あららー……これは困ったことになっちゃったのねぃー」
食い入るようにテレビを見つめていたあたしの横に、スィフィが移動してきた。橙色のリボンをくねらせて、リモコンのスイッチを押す。テレビ画面から光が消え、あたしは我に返った。
「今の――何だったんだ? あの、図書館の上に出来てたもやっとした穴」
眉根を寄せて尋ねるあたしに、スィフィも困ったと肩を竦めている。広告があたしの顔の高さまで上がり、丁度眼と眼が対等の高さになった。おちゃらけた仕草で髪を弄り、スィフィが片眉を上げる。
「故郷の世界が壊れ始めたときも、あんな感じのものが空にいっぱいできたのねぃ。専門家が詳しく調べてるうちに、あれはどんどん大きくなって、故郷の世界が段々おかしくなっていったんだ」
「そうなのか――」
スィフィの言葉を聞いて、あたしは顎に手を遣った。あの穴ができたせいで向こうの世界が崩壊し始めたのなら、あれを放っとくとこっちの世界もヤバイんじゃないのか。我ながら珍しく冴えた頭でそう思っていると、考えていることが分かっているようにスィフィが話し始めた。
「あの穴が何で故郷に現れたのかは分からないねぃ。でも、こっちに現れた原因は多分――おいら達がこっちで大暴れしたせいだと思うねぃ。ほら、能力を使う時に感じたよねぃ? 故郷から異世界へ、凄い勢いで力が流れ込んでくるのを」
そう言って顔を覗き込んでくるスィフィに、あたしはうなづいた。確かに能力を使うときはいつも、どこかからあたしの中へ力が流れ込んでくる感覚があった。スィフィの言ってることが合っているとすれば、図書館で目にした事象も納得できる。好男とヘッドホンの男が能力を使う度に、あの穴が広がっていったんだから。
頭の中でこんがらがった状況を整理するあたしに、スィフィは休むことなく話し続けている。こいつ、何時に無く饒舌だな。さっき過去をカミングアウトしたことで吹っ切れたのかな。大袈裟に身振り手振り交えて話すスィフィを、あたしはじっと見つめる。
「――だからね、もともとはそんなに近くなかった二つの世界が、おいら達が能力を使うことによって、次第にくっつき始めたんじゃないかと思うんだねぃ。そんでもって世界を隔てる壁が薄くなって、くっ付いちゃって、故郷の壁の破れに合わせて異世界の壁も破れちゃったんじゃないかなぁ」
「……思う、とか、じゃないか、とか――そんな推論ばっかの話されても困るし。もっと簡潔にまとめてくれないか? 」
抽象的なことばっかり言われて、あたしの脳は容量オーバー寸前だ。まとめろ、と言われたスィフィが一瞬喋るのを止めた。うーん、と腕を組んで呻った後、深刻そうな顔で囁くスィフィ。
「つまり、これ以上異世界で能力を使うのは危ないってことねぃ」
「んなこと言われても――。どうすればいいんだよ。まさか、向こうの世界に行けとか言い出すんじゃないだろうな」
釘を刺すつもりで言ったあたしの言葉に、スィフィが顔を輝かせて激しくうなづいている。……言わなきゃよかった。額に手を当てて後悔するあたしに、スィフィは頬を上気させるくらい興奮した様子で熱弁ふるっている。
「おおー、それだよ魅首ぅ! それだったらおいらもバリバリ闘えるし、異世界に負担もかからないし、まさに一石二鳥だねぃ! ……ただ、おいら達は自力で故郷に帰れないって問題があるけど」
急にテンションを落として、スィフィが項垂れる。ほんと落差の激しい奴だな――。見てるこっちが疲れてくるっつの。しかも何か期待を込めた目でこっちを見てるし。
「……あたしに期待したって、良い知恵出ないぞ。他を当たれよな」
全くもってその通りのことを言うあたしに、スィフィは悲しそうに指をこねくり回している。ったく、わざわざ一番頭悪いあたしに訊かなくても、もっと頭良い仲間が居るじゃないか。テンキィとかアズァとか、十四季……は微妙かな。好男はもっと微妙……刈子は何か違うし……。
花柄は部外者だから論外、とまで考えて、あたしは何をやってるんだと自分に突っ込んだ。
アズァとテンキィ、どちらが頼りになりそうか悶々と考え込むあたし。その周りを、まるで回遊するようにスィフィがぐるぐる回っている。なんか、動くものがあるとそっちに意識がいっちゃって、集中できない……。
「あーもう、スィフィ! 気が散るからじっとしててくれよ! 」
「そんなこと言われてもぉー。おいら考え事してるときは、身体動かさないと集中できないんだもん」
またこいつ、ああ言えばこう言う……。拗ねた様子で生意気言うスィフィに、あたしが若干イラついていると、刈子が寝室に飛び込んできた。
「み、魅首さん! 大変です、図書館が、テレビが――」
「ああ、実況中継? さっきまで見てたよ。好男達が映ってたかも知れないけど、あの非常事態だから誰も気に留めてないだろ。ていうか、そうだといいよな」
息を切らしてテレビを指差す刈子に、あたしはのほほんと先ほど見たテレビの話をした。そうじゃないです、と刈子が首を横に振っている。ひったくるようにしてリモコンを手に取り、刈子がテレビの電源を入れた。
さっきまで女芸能人が映っていた画面には、ただ図書館だけが映っている。
特に変わったことは無さそうだけど――、と言いかけるあたしの眼が映像の変化に気付いた。
「これは――! 」
図書館の前を通る並木道が、奇妙なことになっている。まるで火に焼けるように黒く変色して落ちる枝、灰になって散る葉――。あたしの脳裏に、昨日図書館のパソコンで十四季と見た画像が過ぎる。
炎も見えずに、燃えていく。
あの女の仕業だ。
横に浮いていた広告を掴み、空いた手で刈子の手を掴むと、あたしは寝室から駆け出た。弾む息で見回した居間では、十四季が大型テレビの前で腕を組んで立っている。
「十四季、これ――あいつの能力だよな」
自分でも驚くくらい険しい声で尋ねるあたしに、十四季が静かに頷いた。その眉間には、深い皺が刻まれている。睨むように見つめていたテレビから眼を逸らし、十四季があたしに顔を向けた。その赤い左目が、白い光を反射してぎらついている。
「操る物質以外は、俺達の能力は機械や一般人に認識されない。――間違い無いな」
呟くようにそう言う十四季の指は、半袖から出る腕に食い込むほど爪を立てていた。血が滲むほど腕に爪を立てる十四季に、刈子が心配そうに声を掛けている。
……あの女、前に闘ったとき、あたし達以外の人間をも平気で殺そうとしてた。このまま黙って見ていたら、また犠牲者が出てしまう。一刻もはやく図書館へ向かわないと。
ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、好男も奥の部屋から居間に出てきた。十四季と刈子から近況を聞いて、好男は顔を曇らせる。その背後からは、花柄が小首を傾げてる姿が見える。
好男が左手首を顔の前まで持ち上げ、腕時計の中のアズァを見つめる。……あれ、好男ってば何で両手に腕時計してるんだ? それも良く似た型の――。
戸惑うあたしの前で、好男が苦悶に満ちた声でアズァに話し掛けた。
「――アズァ、どうしても訊きたいことがあるんだ。どうして闘うのか、その理由を教えてほしい。保身のためでも、何か為すべき事があるからでも、何でもいいんだ」
好男の問いかけに、時計の文字盤に影が現れる。暫らく沈黙していたアズァが好男を見上げ、全てを凍りつかせるような冷たい声で訊き返した。
「……何故、そのようなことを」
「恐いんだ――。オレ達が闘うことで、抵抗することで、向こうの世界の人達が苦しむことが。……いや、向こうの世界だけじゃない。オレ達が居るせいで、オレ達の世界の人達も巻き込まれて苦しんでる。耐えられないんだよ、オレ。……そーいうの。だから――免罪符が欲しいのかもしれない。もやもやしたままじゃ、闘えないんだ」
顔を苦痛に歪めて、好男が吐き出すようにそう言った。何も今そんなこと言い出さなくても、と思いつつ、はらはらした気持ちでテレビを一瞥するあたし。――でも、好男が挫けたままじゃ、あの女ともまともに闘えないか。ここは一つやる気が出るようなことを言ってくれ、アズァ。
祈るような気持ちで腕時計を見つめていると、アズァの声が聞こえてきた。少し躊躇うような沈黙のあと、冷たいけれど凛と徹る声で、アズァが好男に語り掛ける。
「どうして闘うのか、今は明かすことはできない。――けれど、これだけは信じてくれ。わたしは決して悪戯に、故郷の民を苦しめるようなことはしない。異世界の皆が、これ以上傷つくのを黙って見ているつもりも無い。好男――。あともう少しの間だけ、わたしを信じてほしい」
ここからは見えないけれど、きっとアズァは真直ぐに好男を見つめているんだろう。好男も真剣な表情をして、長い間の後にうなづいた。好男の左手首から、アズァの腕時計が見えなくなっていく。
見えない時計のズレを直して、好男があたし達に百点満点の笑顔を向けた。その右手に、偽物の腕時計が光る。
「――ごめん、待たせちゃったな。行こう、皆。もう迷わないから」
大きく一歩踏み出す好男の手を、花柄が後ろから握って引き止めた。はっとして振り向く好男に、花柄が思い切り抱きつく。いきなりの抱擁にうろたえる好男。その胸に顔を埋めて、花柄がくぐもった涙声を出した。
「絶対、ゼッタイ無事に帰ってきてね。――約束だよ」
それだけ言って嗚咽を漏らす花柄の震える肩を、好男が力強く抱きしめる。大丈夫、心配しないで――、と呟く声を聞いて、それって何か生きて帰ってこれなさそうなんだけど、と思うあたし。十四季と刈子が、眼のやり場に困っている。
花柄の首筋に口付けすると、好男は後ろ髪引かれるように花柄から手を離した。涙に潤んだ眼の花柄が、あたし達に向かって手を振っている。
「――車出してくる」
ちょっとうわずった声でそう言うと、好男は素早く踵を返して玄関から出て行った。慌てて刈子が後を追い、十四季も険しい顔で二人の後を付いて行く。花柄に挨拶して、あたしもアパートの外に駆け出した。真夏の陽が傾き、空が橙色に染まっている。
図書館の方角へ眼を向けるあたしの顔に、突然何かが覆い被さった。
「――--っ? 」
直ぐにそれを剥ぎ取って眺めるあたし。薄汚れた布切れだ。どこかで見たことだあるような気もするけど――。ところどころに付いた血の染みが不気味だ。捨てようとしたあたしの手の中で、布から聞き覚えのある声が聞こえた。
「君は――スィフィの『契約者』か! 丁度よかった、数日前ここで諸君と闘った、紅太という少年を探しているのだが……」
喋る布を片手に、あたしは唖然としていた。どこかで見たことあると思った布は、あの蟹の少年のバンダナだった。なんでこれが、いや、こいつがこんなところに居るんだ。また理解の範疇を超えた事態に固まるあたし。
まだ熱気が消えきらない夏の空に、あたしに話しかける暑苦しい熱血漢の声がよく響いた。