第三四章 君と共に
居間から持ってきた新世代据え置きゲーム機で、あたしは最新ソフトを十二分に味わっていた。旧世代機の頃からずっとファンだった、任侠アクションRPGだ。豪快に敵を蹴散らす主人公を操作して、あたしはすっかりご満悦だった。好男の奴、結構いい趣味してるじゃないか。やっぱりゲームは爽快アクションだよな。
そんなこと考えながらひたすらコンボを稼いでいると、刈子が本から顔を上げた。
「あの……魅首さん。もう少し音量を下げていただけませんか? 」
「ん。ごめん」
どうやら夢中になりすぎて、かなり五月蝿かったらしい。リモコンを手に取って音量を下げると、刈子はまた本に没頭し始めた。眼鏡を外したから、本に顔をかなり近づけないと文字が読めないようだ。刈子のお下げ頭は、大きな児童書にすっぽり隠れてしまっている。
音を半分以下に抑えたゲームは、なんだか物足りない感じだ。もっと爆音で、でも刈子や他の人に迷惑掛けないように楽しむには、どうしたらいいのか……。答えは簡単だ。ヘッドホンをすればいい。
そこまで考えて、脳裏に青いヘッドホンの男の姿が過ぎった。ああもう、あんな奴のことなんか忘れていたいのに。急に鳥肌の立ってきた足を摩り、あたしは顔を顰めた。これからヘッドホンのこと考える度に、あいつのことが思い出されそうだ。
うんざりするあたしの眼に、ラックに置かれたヘッドホンが映る。その色は奇しくも青だった。微妙な気分になりながら、それを手に取ろうと立ち上がるあたし。
手がヘッドホンに触れる距離に入ったとき、壁の向こうから篭った声が聞こえてきた。好男と花柄の声だ。
別の部屋にいるのに、声は結構はっきり聞き取れる。こんな壁でいいのかと思いつつ、もとがボロアパートだから仕方ないか、と諦めるあたし。立ち聞きするのも悪いから、さっさとゲームに戻ろう。
そう思ってヘッドホンを持ち上げると、コードが滅茶苦茶絡まっていた。ケータイの充電器とか卓上ライトとか、いろんなコードがヘッドホンのそれと絡まっている。このまま力任せに引っ張ったら、確実にラックが倒れるな……。
仕方無く床に膝をついて、コードをほぐし始めるあたし。薄い壁の向こうからは、好男と花柄の会話が聞こえてくる。……なんていうか、聞こえてくると聴きたくなってしまうものなんだ。コードを丁寧にほぐしながら、あたしはこっそり聞き耳を立てていた。ああ、こんなはしたない人間に育ってしまってごめんなさい。
誰にとも無しに懺悔するあたしの耳に、好男の声が入ってくる。
「……ごめん。オレ、おまえのこと守ってやれなかった――」
悔しそうな色を滲ませて、好男の声がそう言った。衣擦れの音がして、今度は花柄の声が聞こえる。
「謝らなくて、いいの。好男くんが元気にしてくれてたら、それでもう大丈夫だから」
包み込むように優しい声で、花柄がそう呟いた。あたしの手許で、コードがようやく一本ほどける。よし、あと四本だな。会話が気になりながらも、早くゲームの続きがしたいと心が焦る。黙っている好男に、花柄が更に語り掛け始めた。
「――今までずっと、好男くんはわたしの話を聴いてくれたよね。暗くて重い悩みの相談も、お天気の話みたいな、どうでもいい話題も、好男くんは全部聴いてくれた」
そうかそうか、好男ってやっぱりマメなんだな。これで女たらしじゃなければ言うこと無いんだけどな。滔々(とうとう)と語る花柄に、心の中で相槌を打つあたし。壁の向こうに耳を澄ませながらも、手は忙しくコードをほぐしている。あと三本だ、もうちょっと。
「わたし、好男くんに話聴いてもらえて、すごく嬉しかった。うん、うん、って相槌うってくれる好男くんの声がとっても優しくて、話してると疲れが消えていくの。好男くんが居てくれなかったら、きっとここまで仕事続けられなかったと思う」
コードがまた解け、ついに残すところ二本になった。ここまでくれば後は簡単だ。やっとゲームに戻れると胸を弾ませるあたしの耳に、花柄の声が聞こえてくる。
「わたし、好男くんにいっぱい支えてもらった。だから、今度はわたしが好男くんを支えたい。助けたいの」
おっと、これは聞き捨てならないセリフだな。突然の告白に、好男がどう出るか気になるところだけど、コードが完全にほぐれたしゲームしよう。ヘッドホンを持ってテレビの前に帰ると、あたしは端子を挿入しようと手を伸ばした。
全く同時に、寝室の扉が開いて、扉の前を通っていたコードをがくんと引っ張った。
「あっ」
短く声を上げるあたしの前で、テレビ台ぎりぎりに置いたゲーム機がコードに引っ張られて落ちる。派手な音を立てて床にぶつかり、プラスチックの黒い外装が粉々になって飛び散った。ディスクが飛び出し、表面に大きな傷がつく。扉を開けた十四季が、足元で砕けたゲーム機をみつめている。
「……ごめん」
「まだセーブしてなかったのに――」
いやいや、そんなことより、また好男のもの壊したことの方が重大だろう。開口一番出た言葉に自分で突込みを入れ、あたしは床に散らばった破片を集めた。扉が閉まらないように背中で押さえながら、十四季もしゃがんで破片を拾っている。
騒動に気付いた刈子が、どこから取り出したのかガムテープで細かな破片を綺麗に取ってくれた。
「破片を全部集めておけば、好男さんの能力でまた元に戻せるんでしょう? 正直に言えば許してくれると分かったし、そんなに落ち込まなくてもいいじゃないですか」
にこやかに微笑みながら、刈子がガムテープを丸めてゴミ箱に捨てた。
「なっ、ちょ……っおい! 言ってることとやってることが矛盾してるじゃねーか! 」
「あ、あら? すみません、習慣で身体が勝手に――」
慌ててゴミ箱からガムテープを取り出すあたしの背後で、刈子が両手を頬に当ててテンパっている。ったく、しっかりしてるようで結構抜けてるんだよな。勘弁してくれよ――。
他にも破片が飛び散ってないか、と床に這いつくばるあたしを置いて、刈子は眼鏡を取りに行ってしまった。まぁ、刈子にとってテンキィ入りの眼鏡は心の拠り所だし、しょうがないか。
十四季と二人で黙々と破片を拾っていると、急に十四季が口を開いた。
「……あの札、使ったようだな」
札、という言葉を聴いて、あたしの手が止まる。そういえば、御札があったお陰でヘッドホンの男に一杯喰わせてやれたんだよな。いつか使うときが来るみたいなこと十四季が言ってたけど、本当にその通りになるとは。十四季にそのことを感謝と一緒に伝えるとあたし。赤い左目を円くして、十四季が困惑した顔になる。
「札を生きている人間に使ったのか――? 」
「うん、そーだけど」
何をそんなにうろたえてるのか、十四季が珍しく眉を八の字にしている。どうしたんだ、と尋ねると、躊躇いがちに十四季が話し始めた。
「死んだ人間も、今生きている人間も、霊体は基本的にそう大差無い。札を使われた霊が弱るように、人間も精神が弱ることがある。……よほど煩悩に溺れた人間でない限り、そうそう無いこととは思うが――」
「ふぅん? ……特に変わったことは無かったけど。あたしも足に刺さったけど、何ともないし」
そう言って足を指すあたしに、精神が単純すぎて札が効かなかったんだろう、とか十四季がぬかしている。生意気を言うのは相変わらずみたいだな。思わず米神の血管を浮かせるあたしに、十四季は集めた破片を差し出した。
「――けれど、相手が敵ならば心配より喜ぶべきか。魅首も気付いているだろう、『契約者』が使える能力は、その者の精神力に依存していることを」
なんかまた訳わかんないこと言い出したな……。能力が精神力に依存する? それって、スィフィが言ってたことと何か関係がありそうだな。最も、精神力ってのが何なのかがさっぱりわからないんだけど。十四季があたしの顔をしげしげと眺め、諦めたと言わんばかりに溜息を吐いた。
んだよ、失礼な奴だな――。むっとするあたしを置いて、十四季が立ち上がり居間に去っていく。
十四季と入れ替わるように、空中に漂う吊り広告が寝室に入ってきた。
「よぉスィフィ。さっきの話、何だったんだ? 」
尋ねるあたしに、スィフィは小さく首を振った。まだ話すときじゃないとか何とか言っている。その声は、なんだかいつもより元気が無い。こいつが大人しいと、何かあるんじゃないかと勘繰っちゃうんだよな。警戒しながら、あたしはスィフィに声を掛けた。
「どうしたんだよ、元気無いな。腹減ってるのか」
「――違うねぃ。まだおにぎりは胃の中に入ってるねぃ」
力なく首を振って、スィフィがあたしの顔の前まで降りてきた。なんか本当に元気が無いな……。しょんぼりとして項垂れるスィフィを見て、あたしの脳裏に炎を操る女と闘ったときのことが思い出される。まさか、またどこか怪我したんだろうか。
心配して顔色を窺おうとするあたしに、スィフィがぼそぼそと小声で呟き始めた。
「……魅首の、言ったとおりだったねぃ。おいら、さっき何も出来なかった……。ただレェンにやっつけられて、岩の下でもがいてただけ――。口先だけで、全然力が無い……とんだ道化師だねぃ」
「お、おい。何だよ急に――。そんなに気にしてたのか? あんなの口から出任せだから、さらっと流してくれればいいのに」
湿った空気を吹き飛ばそうと、そう言ってみたけれど、スィフィは俯いたままだ。いったいどうしちゃったんだ、こいつ。戸惑うあたしの前で、スィフィが両拳を握っている。
「あのね、魅首――。おいらの能力……『世界』を変える力なんだ」
「――? 」
俯いたスィフィの口から、今、とんでもない言葉が出た気がするんだが。『世界』を変える? 大袈裟にも程があるんじゃないのか。でも、この態度は嘘吐いてるって感じじゃないし――。あたしが言葉に詰まっていると、スィフィが顔を上げた。広告の中からあたしを見つめる小さな目は、必死に何かを訴えかけている。
「本当は、魅首に自分で気付いて欲しかったんだねぃ。これから芽生える能力に、制限付けたくなかったから――。おいらみたいに、限界作らないでほしかったから」
スィフィの声からは、いつもみたいなおちゃらけた感じが全く消えてしまっている。どうやら、本気で言ってるみたいだ。まるで出合ったばかりで同情を引いてた時のように、スィフィは悲しそうな顔で背中を丸めている。
「おいら、この能力のせいで皆から嫌われてたねぃ。故郷が壊れ始めたのも、おいらのせいだって言われたねぃ。……おいらも、その言葉に言い返すことが出来なかったんだ。『あのお方』がおいらのこと呪ってからは、誰もおいらと口を利いてくれなくなったねぃ。おいら、すごく寂しくて……。異世界に来て、仲間ができて、嬉しくてついついはしゃぎすぎちゃったねぃ」
なんかスィフィが言ってるから聞き流しそうだけど、かなり悲惨な過去じゃないか。あたしや十四季に向かって『一人ぼっちは寂しい』って言ってたのは、こういうことがあったからなのか――。いやいや、そう簡単に信じるな。こいつには過去に何度も釣られて痛い思いをしてるじゃないか。
心の中で同情するか突っぱねるか、悶々とするあたし。やっぱりまだ信じられない、と結論付けようとするあたしの耳に、スィフィの声が聞こえる。
「おいら、魅首と会えてよかった。最初は、こんな乱雑そうな子、嫌だって思ってたけど……。ウェジュと闘ったときも、カンツァと闘ったときも、スォン先生、レェンと闘ったときも、魅首はおいらが諦めても諦めなかった。そして悩んでる皆のこと、ちゃんと考えてたねぃ。魅首を見てて思ったんだ。おいらも諦めずに、故郷の皆と向き合わなきゃって」
「……」
スィフィの言葉を聞きながら、あたしは自分の耳を疑っていた。これが、あの天邪鬼なスィフィ?
信じられないと広告の中を覗くあたしの眼と、スィフィの眼が合う。その真直ぐな目を見て、あたしの心の天秤がゆっくりと傾き始めた。
ああそうか、こいつも色々抱えてたんだな。それでちょっと歪んじゃって、アレな性格になってしまったんだ。だからって、最初にした非道の数々を許すことは出来ないけど。
スィフィの澄んだ瞳を見つめ、あたしは最初に交わした会話を思い出していた。つまりあの言葉はあたしの同情を買うためなんかじゃなく、本当に本心から言ってたってことだったのか。
そう思うと、なんだかスィフィのことが単なるムカつくイカレ野郎には思えなくなってきた。これまで散々あたしの神経を逆撫でしてきた言葉達は、全部寂しさの裏返しだったってことか。まったく、とんだ甘えん坊だ。これでは別の意味で呆れてしまう。
沈黙するあたしの前で、スィフィは縋るような目をしている。もう子どもじゃなくて青年の姿に戻ってるんだから、泣き落としを使おうとするのは止めてほしいんだけど……。頭を掻くあたしに、スィフィがおずおずと尋ねた。
「魅首、おいらと一緒に闘ってくれる? おいら、もう一度だけ『あのお方』に会いたいんだねぃ。そして、今度こそしっかり向かい合って話したいんだ」
そう言って、スィフィはあたしの返事を身動き一つせず待っている。
――そんな風に言われたんじゃ、断ることなんてできないじゃないか。……ていうか、断る気なんて最初からさらさら無いけど。
澄んだ瞳を潤ませるスィフィの前で、あたしは肩に掛かる髪を後ろへ払いのけた。
「ったく、今更何言ってるんだよ。あたしはとっくに覚悟決めてるっつの。しっかりしろ、スィフィ! おまえが支援してくれなきゃ、安心して闘えないんだから」
うん、我ながら素直じゃない。まぁでも、今までに比べたら上出来かな? また凹ませてやしないだろうかと、恐る恐るスィフィを盗み見るあたし。電車の吊り広告の中で、ピンクと緑の髪を揺らすスィフィの顔に、安堵の笑みが広がっていく。
「ありがとう魅首ぅー! やっぱりおいらが見込んだだけあるねぃ! 」
「はっ? ばっ――おまえ、何言ってるんだよ! さっきの雰囲気はどーした! 」
「いつまでも暗い雰囲気だと疲れるねぃ。やっぱり明るくしてるのが一番でしょー」
満面の笑みを浮かべながら、スィフィがけらけらと笑い声を上げている。広告から飛び出る色とりどりのリボンが空間を彩り、暖かい色を撒き散らしていく。
ほんと、こいつはお調子者なんだから――。半分呆れつつ、あたしもリボンを手にとって馬鹿騒ぎに参加することにした。たまには、こういうのも悪くないかもな。
にやりと笑うあたしの眼と、微笑むスィフィの眼が合った。ありがとう、と小さく呟くスィフィの声は、何だか震えているようだった。




