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第三二章 蠢く闇

 いきなり目の前が真っ暗になって、あたしは混乱していた。


 松郎とかいう奴の下衆っぷりに、キレた好男が泣きながら能力を使った――。そこまではよく覚えている。その後、何が起こったんだ? 闇に包まれて、あたしはほんの数秒前の記憶を辿った。

 確か、好男の影が動いて、急に広がったんだっけ。ということは、ここは好男の影の中ってことか?


 一寸先どころか完全に何も見えない闇の中、あたしは辺りに手を伸ばしてみた。影の中に居るってのも奇妙だけど、それに感触があるってのはもっと奇妙だ。身体を包む闇は暖かくて、まるで人肌の温水プールに潜っているような感じがする。視界が奪われているのに、なんとなく安心してしまうのは何故なんだろう?


 不思議な空間の中で色々考えているうちに、あたしは身体の傷が治っていることに気付いた。男に切られた頬の痛みが引いて、傷口が塞がっていく。長らく放置していた腕の骨のヒビも、刈子を庇ったときにできた切り傷も、全ての傷が暖かい闇の中で癒えていった。

 もしかして、これが好男の強化された能力なのか。


 暗闇の中で癒えた頬を摩っていると、今度は足から冷たいコンクリートが退いていく感触がした。固められていた両足が解放されて、暖かい血液が足先まで回っていくのがわかる。

 そうか、好男は生物だけじゃなくて物体もなおせたんだ。そう理解すると同時に、あたしの身体はゆっくりと下降を始めた。足元を支えていたアズァの髪束が解け、ざわざわと音を立ててどこかへ収束していく。多分、好男の腕時計の中へ戻っていくんだろう。


 長い距離を下降して、あたしの足が床に触れた。そのまましゃがんで床を触ると、柔らかい絨毯の感触がした。ここの床は、さっきまで崩れてコンクリート剥き出しだったのに……。元に戻っている床から手を離し、あたしは立ち上がった。濃厚な闇のせいで平衡感覚がおかしくなって、ちょっとふらつく。

 水中にいるように緩慢な動作でよろめいて、あたしは好男がいた方向に顔を向けた。真暗闇で何も見えないけど、気分の問題だ。

 図書館全体を直して、更にあたしの傷も全て治すなんて、こんな荒技を好男がやってのけるとは。これが火事場のなんとやらって奴なのかな。


 暖かい闇に包まれて、安心しきった気持ちで見上げていると、上空から光が差しているのが見えた。太陽の光とは違う、やけに白くて冷たい感じの光だ。なんか蛍光灯みたいだな。この光、どこかで見たことあるような……。

 頭の隅に何か引っ掛かって、もやもやしているあたしの頭にキラキラした破片が降り注ぐ。

 好男が能力を使ったから、また空の穴が広がったのかな――。


 破片を手で受け止めてぼんやりと眺めていると、あたしの耳に誰かの声が聞こえてきた。感触すらある濃い闇の中で、声は水中のように篭って聞こえる。


『自分が苦しいのは嫌だ……誰かが苦しんでるのを見るのも、嫌だ……』


 情けない声、これ……好男か? 妙に反響エコーがかかって聞き取り難い声は、絞り出すように独白を続けている。


『……なのに、オレ……。自分の楽しさだけ優先させちゃって――。バレなきゃいいんだって、あの子達も、オレと一緒にいると楽しそうだからいいじゃんか、って……。そうやって、自分も周りも騙して――――それが、それが一番苦しめてるってことなのにさ』


 好男らしき声は、泣いてるみたいに震える声で弱音を吐露している。なんだよ、これ――。全然らしくないじゃないか。張り手喰らっても振られても、へらへら笑って女の子口説いてるのが好男だろ? いつもと違った様子にあたしが戸惑っていると、弱々しかった声が次第に自棄やけっぽくなってきた。


『……優柔不断なんだよ。深く考えずに、楽しいことだけ追いかけて、何時の間にか雁字搦がんじがらめになってた。受け入れることも切り捨てることも出来ずに、上辺うわべだけなぞって、全部理解した気でいたんだ。そうやって……優越感に浸って……。ああ、ちゃんと分かってるよ。自分が、『正義』を名乗れるような人間じゃないってこと。……分かってるつもりだったんだ』


 なんか、聴いてるこっちが疲れてくるな……。どこからともなく聞こえてくる好男の暗い独白に、あたしは堪らず耳を塞いだ。しっかり指を穴に入れたのに、好男の声はまだ聞こえている。というか、耳を塞いでも変わらない? ということはコレ、あたしの脳内に直接響いてるってことか?

 戸惑うあたしの頭の中で、好男の声は少し吹っ切れたように明るさを取り戻し始めている。


『ここまで気付けたなら、認められたなら、しっかり謝らなきゃいけないよな――。……そうさ、見てない振りは終わりにして、ちゃんと向き合うんだ。――見たいものも、見たくないものも、全部――』


 声が途切れ、霧が晴れるように闇が消えていく。眩しい光に照らされた図書館は、まるで何事も無かったかのように、すっかり元通りになっていた。いや、ちょっと絨毯が汚れてるかも。磨き上げられたガラス窓から差し込む光が書棚を照らし、くっきりとした影をつくっている。

 夏の日差しが創り出す光景に思わず見惚れていたあたしは、近くの物音を聞いて我に返った。


 コンクリートを操っていた男が、何度も指を鳴らしたり、手を上下させている。


「――くそっ! なんで動かねーんだよ! 」


 絨毯の上に座って悪態をつく男の耳には、再生したヘッドホンが戻っていた。よく見ると、床はヒビが入ったり直ったりを繰り返している。絨毯の色がくすんで見えたのは、薄い影が床全体を覆っていたからだった。

 操ろうとする端から床を直されて焦る男に、好男が近付いていく。なんか、肌が前より黒くなってる気がする……。


 剣も出さずに無言で近寄ってくる好男を見て、ヘッドホンの男は急にしどろもどろになって弁解をはじめた。


「な、なんだよ……。そりゃ、ちょっとハメ外したかもしれねーけどさぁ――。俺だって色々鬱憤溜まってんだよ。いきなり変な奴に契約させられて、それまでの生活とか全部失ったんだぜ? 誰も相手にしてくれなくて、四六時中変な奴に監視されてさ……。そんな中で巨大な力を手に入れたら、誰だって似たようなことするだろ? な、なぁ、俺の気持ちわかってくれよ」


 あれだけ酷いことしておいて、今更何言ってるんだこいつ。涙を拭く花柄と海原を背後に、よくそんな口が利けるもんだな。苛々して拳を握るあたしの前で、好男が男の首に手を伸ばした。ひっ、と声を出す男の頭からヘッドホンが外され、コードに引っ張られてMP3プレーヤーがポケットから現れる。


「――アズァ、これを壊したら中にいる奴はどうなるんだ? 」


「相応の傷を負って、最悪の場合死ぬだろう。レェンと契約しているこの男も、同じようになるだろうな。……それでも壊すのか、好男」


 いつもより大人しい声でアズァが尋ね、好男が沈黙した。命とも言えるMP3プレーヤーを目の前にぶら下げられて、男が縋るような眼で好男を見ている。

 視線に気付いた好男が、MP3プレーヤーを握って口を開いた。


「……おまえの言ってること、ある程度は理解もできるよ。オレがおまえの立場だったら、きっと似たようなことしてたと思う。契約したのがアズァだったから、気の置けない仲間ができたから、オレはここまでこれたんだ。本当に運だよな。そっち側か、こっち側か。誰と契約するか、誰と親しくなるか。だからおまえに同情もしてる。――でも、それを理由に何してもいいって言うのは、境遇に甘えすぎなんじゃないのか? 」


 淡々と諭すように言われて、男は顔を顰めて眼を逸らした。一応耳が痛いと思っているようだけど、全然反省している感じじゃない。ここまで我慢していたあたしは、思わず立ち上がって男の頬を平手打ちしていた。静かな図書館に、頬を叩く音が響く。

 叩かれて呆然としている男の襟首を掴み、あたしは怒りのままに言葉を叫んでいた。


「何が『気持ちをわかってくれ』だよ! 何が『俺だって鬱憤溜まってる』だよ! 自分の主張ばっか叫んでんじゃねーよ! てめぇ、一度でも他人の気持ちを考えてみたことあるのか? 無いなら今、胸に手当てて考えろ! そんで、あの人達に謝れ! 許してもらえるまで謝れっ! 」


 多分その時のあたしは、鬼も驚く位怒り狂った恐い顔をしてたと思う。そんな顔を顔面三センチまで近づけて怒鳴っても、男は鬱陶しそうに鼻に皺を寄せるだけだった。くっきりと手の形に赤くなったそいつの顔をみて、あたしはなんだか空しい気分になって手を離した。


 通夜みたいな雰囲気が漂う中、好男の手に握られたMP3プレーヤーから低く刺々しい声が発せられる。


「これでよく分かった……。我が間違っていたのだ。最初から異世界こちらの人間などに任せず、我自身で動き、闘えばよかったのだ」


「――あ? 」


 MP3プレーヤーから聞こえる高慢な声に、男が顔を上げて訝しげに眼を細めた。次の瞬間、MP3プレーヤーの中から透明な針が幾本も飛び出て、好男の手を突き刺した。

 思わず怯んで好男が手を離すと、MP3プレーヤーが男の元に戻っていく。


「団長のように人体に転移しなければ、直接闘えないと思っていたが――。副団長、貴女を見て不可能ではないと気付けた。人を操れないのなら、操れるもので覆ってしまえばいい、と――」


 MP3プレーヤーが眩しく光り、薄い影に覆われた床が音を立てて割れた。好男が床を直そうとするよりも早く、細かなコンクリート片が男の身体を覆っていく。


「なっ、お、おいやめろ! やめろって言ってるだろ! 」


 止める間も無く、男の身体はコンクリートに包まれてしまった。ばらばらの欠片だったコンクリートが、男の皮膚に食い込みながら、一枚の皮のように変化していく。そのあまりのおぞましさに、あたしは足がすくんで動けなくなっていた。


「う、う……」


「我は任務を遂行する。その為ならば、多少の痛みなど甘んじて受けよう」


 冷酷な声がそう言い放ち、コンクリートに包まれた男の右腕が刃に変形していく。それがあたしに向けて振りかぶられ、刃が空を斬る音がした。

 眼を瞑るあたしの前で、刃は停止してそれ以上動かない。


「魅首、しっかり! 」


 スィフィの出すリボンがあたしを包み、刃の軌道からあたしを退けた。振り下ろした途中で止まってしまった刃に、MP3プレーヤーから低い声が聞こえる。


「……そう簡単に操れるわけではないのか。暫らく時間がかかりそうだ……。確実な勝利のために、ここは退くとしよう」


 奇妙な呪文を唱え、コンクリートに包まれた男の身体が宙に浮き上がった。図書館の天井に、上空の穴と似たようなものが現れ、男の身体が吸い込まれていった。

 ――また逃げられたのか……。


 怒りの収まらないあたしが天井を睨みつけていると、自動ドアが開く音がした。重い足音と、何かを引き摺るような音も聞こえる。


「あなたは――」


 刈子の声に、あたしは振り向いた。出入り口を見る刈子と好男が、驚いて口を開けている。いったい誰が来たのかと出入り口に眼を遣り、あたしもぽかんと口を開けた。


「この人のこと、頼んだっす! 」


 どこから現れたのか、例の蟹を操る少年が出入り口に立っていた。しかも、なんかぐったりしてる十四季を引き摺って。何が起きたのか理解が追いつかず、唖然としていると、蟹の少年は十四季を置いて走り去ってしまった。

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