Another World the 5th chapter
青い空の下、緑色だった図書館前の並木道は、真赤に燃え上がっていた。
完全に崩壊した図書館と燃える並木道、その光景はまるで映画の中のように非現実的だ。
その非現実的な風景の中で、霞恋が真赤なドレスを灼熱の風に翻していた。背後には、前方を気遣う紅太の姿も見える。
「テレビ中継を見て飛んできたら、探してた奴と会えるなんてね。ツイてるわ」
真赤なピンヒールを履いた足を上げ、霞恋が足元に倒れている十四季の腹を小突いた。血混じりの息で咳き込む十四季を見て、紅太が霞恋の腕を引っ張る。
「や、やめるっす! これ以上何かしたら、あの人死んじゃうっす! 」
「うるさいわね! あんただって、わたしと一緒にこいつを攻撃したじゃない。今更何良い子ぶろうとしてんのよ」
腕を振りほどいて、霞恋が紅太を突き飛ばした。吹き飛んで地面に尻もちをついた紅太は、言い返すことが出来ず泣きそうな顔をしている。これだからガキは嫌いなのよ、と霞恋が吐き捨てるように呟いた。
血反吐を吐きながら立ち上がろうとする十四季に、コツコツとヒールを鳴らして霞恋が近付く。
「あんたがここに居るってことは、図書館の中で闘ってるのはあんたのお仲間ってことよねぇ? 」
十四季の顎を掴み、霞恋が猫なで声で尋ねる。近くの木に生える大枝が、火の粉を上げて燃え落ちた。火の粉の降り注ぐ中、十四季は質問に沈黙で答える。
虫の息の十四季に睨み返され、霞恋が眉間に皺を寄せた。
「……ふん、いいわよ。あんたを殺したら、すぐ確認に行くんだから」
掴んでいた顎を離し、霞恋が右手を上げた。手の平から紅蓮の炎が生まれ、それが巨大な火塊へ成長していく。ちりちりと銀髪を焦がす炎に、十四季が苦痛の表情を浮かべた。
十四季の左目が、炎に呼応するようにぼんやりと赤く発光している。霞恋がそれに気付き、炎の勢いが少し弱まった。
「なにこれ? 気持ち悪い。……カンツァ、説明しなさいよ」
「――この少年は、確かクゥイと契約していた。物に転移した俺達と違って、団長の要望のため、クゥイは人体転移の実験に使われていた――。クゥイの転送は失敗はしたが、それでも俺達より『契約者』との結びつきが強いのだろう。転移できた左目に対応して、この少年の左目からも強い力を感じる」
霞恋の命令に、頭に着けた櫛の中から声が答えた。長い説明を聞いて、霞恋が腕を組み、改めて十四季を観察する。
「へぇ……。道理でガキのくせに妙に強かったのね。甘く見てたら散々な目にあったわ」
棘のある声で霞恋がそう言い、腕にできた擦り傷を摩った。腕以外にも、いくつか擦り傷が出来ている。ほんのかすり傷程度のそれを眺め、霞恋の目下に皺が寄った。
このわたしを傷つけて、只で済むと思ってるの、と霞恋が低い声で呟いている。
再び手から炎を創り出す霞恋の後ろで、紅太は眉を八の字にして様子を見守っていた。どうしてこんなことになってしまったのか、紅太がTシャツの胸元を握り締めて自問する。
スォンの眼を盗んでこの世界に戻ってきてから、紅太は姉との約束の本を探していた。市立図書館の本棚に隠してあったそれは、何故か魅首の手に握られていた。奪われた珠も、どうやら彼女が持っているらしかった。取り戻したかったけれど、二対一の戦闘が怖くて、紅太は逃げ出した。
十分に準備を整えて彼女達の家に行ったときには、中はもぬけの殻になっていた。
そうしてあてどなく街を彷徨っていたら、テレビで図書館崩壊の中継が行われていたのだ。
向こうの世界の小屋でレェンのことを聴いていたから、紅太は迷わず図書館へ足を向けた。
魅首から本と珠を返してもらうためだ。
ところが紅太を待ち受けていたのは、崩壊する図書館の前で死闘を繰り広げる霞恋と十四季だった。
中に居るであろう魅首を気にする紅太に、押され気味の霞恋は自分を助けろと命令した。紅太は暴力的な霞恋のことを良く思っていなかったけれど、『味方』だから仕方なく援護した。
力の差はあっという間に覆され、銀髪の少年は死ぬ寸前まで追い詰められた。
そして今、辛うじて息をする十四季を、霞恋が炎で焼こうとしている。
「ぼ、ボク……こんなつもりじゃなかったっす……」
痛めつけられる十四季の姿を涙目で見つめ、紅太が言い訳を呟いた。まるで最初に能力を発動させたときのようだ、そう紅太は思った。胸の奥が締め付けられるようで、苦い感情が湧き上がってくる。
自責の念に囚われる紅太の目が、十四季の赤く光る左目と重なった。苦しそうに窄められた目は、まるで紅太を責めているようだ。あんたも攻撃したじゃない、と、こだまする霞恋の声が心に細かい傷をつける。
これ以上見ていられないと顔を逸らす紅太の耳に、擦れた声で呟く十四季の言葉が聞こえてくる。
「どうした……。何を迷っている……」
「え――? 」
今にも息絶えそうにも関わらず、十四季が喋っている。どうやら、今の問い掛けは霞恋ではなく自分に向けられたものらい。何を思って銀髪の少年が自分に話し掛けるのだろうか。紅太が驚いていると、十四季の火傷した唇が再び開いた。
「貴様には……守るべき人がいるんだろう……。迷うことは……無い。自分が信じた道を行け……」
「何言ってるの? 朦朧として夢でも見てるのかしら」
切れ切れに話し掛ける十四季の肩を、霞恋が揺する。体力を使い果たしたのか、十四季は目を閉じて地面に倒れた。力なく開いた口元から、血が混じった唾液が流れて地面を赤く染めている。
「守る……人……」
まだ微かに呼吸している十四季を見つめ、紅太は言葉を繰り返した。その心の中に、優しく微笑む姉の姿が思い出される。そうだ、自分は姉を守ると決めたんだ。そのために、強くなると誓ったんだ。
熱い想いが込み上げると同時に、何故この少年が自分の姉のことを知っているのかと疑問が湧く。
「どうして、姉ちゃんのこと――」
知っているの、と尋ねようとして、紅太は口を噤んだ。目の前では、霞恋が十四季にとどめを刺そうとしている。瞼を閉じて横たわる少年には、抵抗する力など残っていない。
一人の人間の命が消えようとしている。そう感じて、紅太の心がざわめいた。
「……ボク……」
銀髪の少年は、自分の信じる道を行けと言った。信じる道とは? 自分の姉を守ること? Tシャツを握る紅太の手が汗ばみ、心臓の鼓動が速くなる。姉を救う代わりに、スォンは向こうの世界を救うことに手を貸してくれと言った。
それはつまり、この少年のような人々を手に掛けろということだ。
姉を救うためには自分が強くならなければいけない。でも、そのために力を得ようとすれば、他の人の命が犠牲になる。
「ボクの……信じる道……」
もう一度呟いて、紅太は眼を上げた。霞恋の掌の中で、灼熱の炎が揺れている。十四季はもう息すらしていないように見える。紅太の中で、姉を守らねばという気持ちと、このまま少年を見殺しにしたくないという気持ちがせめぎあう。
霞恋が、紅蓮に燃える拳を振り下ろした。
「――やっぱり、ボクは……! 」
一瞬遅れて紅太が立ち上がり、霞恋と十四季に向かって駆けていく。驚いて振り向いた霞恋の背後、図書館の中から、真黒な闇が溢れて辺りを包んだ。