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第三一章 惹かれあう絆 後編

 硬いコンクリートの床にぶち当たり、男の着けていた青いヘッドホンが砕けた。


 これでこいつも大人しくなるはず――。

 弾む息を整えながら、あたしは黒い剣を突きつけられた男を見た。目だけ下を向いている男の前では、好男が肩で息をしている。さっきの激しい鍔迫り合いで疲れたんだろうな。

 とにかくこれで一件落着……。そう思うあたしの耳に、男の忍び笑いが聞こえてきた。


「……? 」


 あれだけ好き勝手ほざいてた手前、負けたのが悔しくて発狂したんだろうか?

 いぶかしむあたしの前で、男は剣を突きつけられていることも構わずに爆笑している。


「はは、ははははっ! 引っ掛かった! 本当に引っ掛かりやがった! 」


 天を仰いで笑い転げ、男の頬を涙が伝う。

 引っ掛かった? どういう意味だ?


 警戒しているあたしが拳を握ると、男が笑い泣きしながら剣を手放した。重いコンクリートの剣は宙に浮かんだまま、ゆっくりと槍に形を変えていく。――ヘッドホンを壊したのに、まだ能力が使える?

 目を見開くあたしの耳に、男の愉快そうな声が聞こえる。


「どーせ、ヘッドホンから声が聞こえるから、そこにレェンが居るとでも思ったんだろ? ホント、単純思考だよなぁー。何のためにヘッドホンしてるかぐらい、考えることもできないのかよ? ククッ」


 侮蔑の篭った声でそう言って、男は切れたコードを掴んで引っ張った。男の上着のポケットから、青色のMP3プレーヤーが覗く。陽光を反射してキラリと輝くそれを見つめ、あたしと好男の瞳孔が広がった。

 精神的衝撃で固まるあたし達の前で、MP3プレーヤーから高圧的な声が発せられる。


「……種明かしをしては、隠していた意味が無いだろう。どうして御前はいつも、一つ二つ余計なことをするのだ。早く仕舞え」


「んだよ、うるせーな。ほら、こいつショックで動けなくなってるじゃねーか。結果が良ければ過程はどーでもいいんだよ」


 MP3プレーヤーから聞こえる命令を突っぱねて、男の手が宙に浮かぶ槍を握った。困惑していた好男が我に返り、男の首筋に切先を当てた剣を握りなおす。


「まだ能力が使えても、おまえの負けに変わりは無い! 降参するんだ」


 黒髪の剣を構え、好男が男に向けて叫んだ。槍を構える男が一際大きな声で笑い、その目尻から涙が零れる。


「負け? 俺が? 冗談きついぜ! 負けてるのは――あんたの方だ」


 流れる涙が顎を伝って落ちると同時に、男が槍を突き出した。一直線に尖った穂先が鎌状に変形して、髪の剣を切り裂く。

 そのまま突進してくる男の攻撃を避けようと、好男が後方へ退いた。壁際に近付いた好男の腕を、コンクリートが変形して拘束する。逃げ出そうともがく黒い鎧に向けて、男の操るコンクリートの刃達が襲い掛かった。


「――好男っ! 」


 思わず心配して声を上げるあたしの前で、コンクリート片がぱらぱらと床に落ちていった。まるでサーカスのナイフ投げのように、コンクリートの刃達は好男の輪郭ぎりぎりの場所に刺さっている。

 とりあえず無事だったことでほっと溜息が出たけど、少しでも好男が動いたら傷だらけになるだろう。いや、好男が動かなくても、この男がちょっと刃を操れば……。


 頬骨に触れている刃を見て、好男は冷や汗をかいている。好男を助けなくちゃ、そう思って踏み出そうとする足が、何かに引きとめられた。疑問符を浮かべて振り返ると、足にコンクリートが纏わりついている。


「いつのまに――? 」


 足に絡む流動体状のコンクリートは、アズァの張った髪の網を伝ってここまで上ってきたみたいだ。ひび割れだらけだった図書館の床が、まるで底なし沼のようにどろどろに溶けている。

 見た目は柔らかそうだけど、感触は固体のコンクリートそのままだ。あたしのすぐ傍を飛んでいたスィフィも、背後から忍び寄ってきたコンクリートに捕らえられてしまった。


 ここまで能力を制御できるなんて――。男の所業に、あたしのこめかみをじとりと汗が伝った。……そういえば、さっきから妙に暑い気がする。図書館の冷房が壊れたからってのは分かるけど、肌に触れる空気は明らかに体温より熱い。これも、上空に現れた穴が引き起こす現象なんだろうか――。


 だらだらと汗を流すあたしの前で、槍を持つ男が宙を歩いて好男に近付いていく。恐怖のせいか浅い呼吸を繰り返す好男の首筋に、ぴたりと槍の穂先が当てられた。おののきながらも相手を睨みつける好男を、男が口元を歪めて嗤っている。


「気分はどうだ? 似非英雄さんよ。どっちが『正義』か、これで決着ついたな」


 気味の悪い忍び笑いを漏らす男の前で、黒髪の鎧が顔を俯けた。兜の隙間から、好男が悔しそうに両目を閉じている様子が見える。その首筋を槍の穂先でつつき、男が嗤いながら好男に話しかけた。


「冥土の土産に教えてやろーか? 俺の能力は、珪素化合物を自由に操る力だ。シリコン、珪酸カルシウム、その他諸々(もろもろ)――。地上にある岩石の大半が俺の支配下にあるんだよ。勿論、人工物のコンクリートもな。どうだ、絶望したか? 冥土の土産にはちょうどいいだろ? はははっ」


「松郎、余計なことを言うな。早くとどめを刺せ」


 クリップで襟元に留められたMP3プレーヤーからイラついた声がして、男を急かした。刃に囲まれた鎧は身じろぎ一つせず、只沈黙を守っている。

 意地悪く笑っていた男が顔を歪め、つまらなさそうに唇を突き出した。


「……相変わらずお堅いなぁ、嫌になるぜ……」


 とめどなく小言の流れるMP3プレーヤーに、男が口角を下げて大袈裟に溜息をついた。昆虫標本みたいに壁に張り付けられた好男から眼を逸らし、男が図書館の中を見回す。

 崩壊した図書館の中には、男とあたし達、そして海原と花柄しかいない。その二人もあたしと同じように溶けたコンクリートに足をとられ、床の上でもがいていた。そのすぐ傍で刈子もコンクリートから足を引き抜こうと無駄な努力をしている。


 眼下で必死に抵抗している刈子達を眺め、男がにやりと口端を上げた。

 男が眼を放している隙に壁から逃げ出そうとする好男に、コンクリートの槍が投げつけられる。


「おっと動くなよ。せっかく今面白いことを思いついたんだからさぁ、あんたもちょっと付き合えよ」


 下卑た笑みを浮かべ、男が指を鳴らした。合図と共に、床が変形して刈子達が上へ運ばれる。男が海原の襟を掴み、無理矢理自分の傍へ引き寄せた。

 あたし達の姿が見えていない海原は、何が起こってるのかさっぱりわからないみたいだ。急に身体が引っ張られて、涙に潤んだ眼がせわしなく辺りを見ている。


「やっ……先輩、怖い……! 」


「何する気だ、てめぇっ! 」


 怯える海原を舐めるように見ていた男が振り向き、あたしがいると見当つけたところへ眼を向けた。


「何って、決まってんだろ――。こっちもボランティアでやってるんじゃないんだ、ちょっとは息抜きってのが必要だろ? こんな風にな」


 男の骨ばった手が海原の顎を掴み、乱暴に口元を奪った。震えていた海原の眼が見開かれ、涙が頬を伝う。こいつ――! あたしの胸の内に怒りが燃えたけれど、足が固められているから身動きが出来ない。

 このコンクリートから抜け出せたら、こいつの顔を思い切り殴ってやれるのに……!


 悔しくて爪が食い込むぐらい拳を握るあたしの横を、数本のリボンが掠めた。緑色のリボンが男の手に巻きつき、海原から引き剥がす。


「やめるねぃ! その子とっても嫌がってるじゃん! 」


 半分コンクリートに埋まった吊り広告から、スィフィの叫ぶ声が聞こえた。広告の中からリボンを出して抵抗するスィフィに、男が鬱陶しそうな眼を向ける。


「あ? ……うぜーな。静かにしてろ」


 絡まったリボンを振りほどき、男が右手をスィフィに翳した。あっという間に、スィフィの入った広告はコンクリートに包まれてしまった。同時に、あたしの身体にも、もの凄い圧力がかかる。

 これじゃ息をするのも苦しい――。


 身動きできないあたしと好男の前で、男は刈子達三人の前に立ってそれぞれを見比べている。


「んー、ガキに興味は無いし……。俺のこと見えてない奴はつまんねーし――」


 左右に振っていた男の眼が止まり、海原をなぐさめている花柄に視線が注がれた。その顔に、好色な笑みが浮かぶ。

 指を鳴らして花柄を近くに移動させる男に、好男が声を上げた。


「――やめろっ! これ以上彼女達に手を出すな! 」


 鎧の一部を変形させて、好男が男の背中を攻撃しようとする。素早く男が振り向き、花柄の顔にコンクリートの刃を当てた。


「……動くなって言っただろ? 黙って見てろよ……。今度攻撃しようとしたら、こいつの綺麗な顔に消えない傷をつけてやるぜ? 」


「――っ」


 苦しそうな顔をして、好男が男から顔を逸らした。白くなるほど唇を噛み締める好男に、花柄が震える声で空元気を演じている。


「好男くん、わたし、大丈夫だから……。んっ……」


 気持ち悪い手つきで男にわき腹を撫でられ、花柄の身体がびくんと震えた。


「花柄……! 」


 必死に耐える花柄の名を呼ぶ好男の声は、絶望の色が滲んでいる。人質を取られて見守ることしか出来ない好男に、男がわざとらしい声を上げた。


「へぇ、あんたら知り合いなんだ? そりゃいいや。おいおまえ、こいつが傷つくのが嫌なら抵抗するんじゃねーぞ」


 薄桃色のシャツを掴んで顔を引き寄せ、男が花柄を脅す。男の要求に、花柄は無言でうなづいた。沈黙が支配する空間に、好男が息を呑む微かな音が聞こえた。

 男の歪んだ口が花柄の首筋に近付き、唇から覗く男の舌が花柄の柔らかい肌を舐め上げる。ねっとりと舌が通った後には、細く糸を引いた唾液が道筋を残していく。


 ――この男、マジで許さない――! まるで自分がされてるみたいで、恥ずかしくて腹立たしくて仕方が無い。この場で自由に動けたら、あの男を思う存分殴れるのに。怒りに燃えるあたしの視界が、だんだん狭くなっていく。このままじゃ、酸欠で意識が飛びそうだ。


 激しい怒りであたしがなんとか意識を保っている間にも、男は花柄の身体を気持ち悪い手つきで触っている。小さな耳たぶを唇でんで、男が花柄の胸元に手を伸ばす。

 薄桃色のシャツの隙間から胸の谷間に手を入れられ、花柄の身体がびくんと震えた。思わず花柄の名前を呼ぶ好男の頬を、コンクリートの刃が抉る。


「つっ……」


「わ、わたし……平気だよ。……っ、好男くんが助かるなら、わたし、わたし……んんっ」


 がたがた震えて涙を流しながらも、花柄は無理に笑って好男を気遣っている。開いた口に舌を入れられ、それ以上先を聞くことはできなかった。悶える花柄の身体を押さえ込み、男が薄桃色のシャツのボタンを外していく。ただ見てるしかできないなんて、こんなのって――!


 現実を直視できずに目を閉じるあたしの耳に、幽かな呟きが聞こえてくる。


「……めろ……やめろよ……」


 そよ風にも掻き消されそうな震える声で、好男が苦しそうな表情でそう繰り返していた。鎧が解けて顔が見えるようになった好男を、男が花柄から唇を離して馬鹿にした様子で見下している。


「はは、惨めだなぁー。でもさ、一応了承はとってるんだぜ? 同意の上でやってることをやめろって、見苦しいと思わねーの」


 なぁ? と男が花柄の顔を覗き込み、長いスカートの上から足を撫で上げた。びくっと足を震わせて顔を顰める花柄に、男はにやにやしながら膝下丈のスカートの裾をゆっくりと持ち上げていく。


「あっ、や、やめ……」


「あいつがどうなってもいいのか? ん? 」


 耳元でいやらしく囁いて、男が再び花柄を脅迫した。人の気持ちを手玉にとって、こいつ――。

 泣きながら首を振る花柄の足を、内股に向けて男がゆっくり撫でていく。海原のすすり泣く声の中で、カリ、と何かが硬いものを掻く音がした。


「――? 」


 朦朧としてきた意識の中で、音の聞こえた方に眼を向けるあたし。視線の先では、好男がコンクリートの壁に爪を立てていた。よほど力を籠めているのか、爪が割れて赤い血が出ている。刃に囲まれた肩はぶるぶると震え、俯いた顔は歯を食い縛っていた。


「やめろって、言ってるだろ――――」


 今まで聞いたことの無い低く押し殺した声が、好男の真一文字に結ばれた唇から出る。その声が微妙に震えているように聞こえたのは、あたしの気のせいだろうか。


 只ならぬ雰囲気を感じ取ったのか、男が手を止めて振り返った。垂れていた好男の頭が持ち上がり、鋭く光る眼が男を射抜く。真上から降り注ぐ陽光に作られた好男の影が、ざわざわとうごめく。


「オレの彼女達に――手を出すな! 」


 真正面から男を見据えて、好男がありったけの声で叫んだ。

 その真直ぐな眼から一筋の涙が溢れ、図書館全体が黒い影に覆われた。

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