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第二六章 軋む世界

「魅首ちゃん、魅首ちゃん」


 名前を呼ばれ、あたしは目を覚ました。起きたばっかりでぼやけた視界に、好男の姿が映る。昨日のよれよれだった姿が嘘のように、好男は元気そうだ。無精髭がちゃんと剃られてるし、ぱりっと糊の効いた新しいシャツを着ている。


 ここは十四季の家なのに、どこから着替えを持って来たんだろう?寝起きでぼーっとしている頭で、あたしはふとそう思った。窓から差し込む朝日に目を細めるあたしに、好男が紙袋を差し出す。


「さっき一度オレんに帰ったんだ。ついでに着替えも持って来た。これ、制服」


「あー……ありがと。横置いといてくれ、後で着替えるから」


 好男に礼を言い、あたしは寝返りを打った。……あたし、脱いだ制服いつ洗ったっけ? 確か好男の家で風呂に入るために制服を脱いで、そのままだったはずだ。なんとなくもやもやした気持ちになるあたし。まぁ、多分刈子が洗濯してくれたんだよな。うん、そう思っておくことにしよう。間違っても好男が洗ったんじゃありませんように。


 こっそりそんなことを考えていると、好男が肩を掴んで揺すってきた。ああもう、しつこいな。顔をしかめて狸寝入りを決め込んでいると、耳元でスィフィの声がした。


「魅首ぅー、寝てると置いていかれるよぉ。かるっちもとっちゃんも、ヨッシィの車に乗って待ってるんだよ。はやく図書館いこうよぉー」


 皆車に乗ってる? スィフィの言葉を聞いて、あたしは飛び起きた。電気の点いてない居間は、好男以外誰もいない。微かに残る味噌汁の匂いを嗅いで、あたしは好男に尋ねた。


「もう飯食ったのか? 」


「そうだよ」


 軽い調子でうなづく好男を前に、あたしはがっくりと項垂うなだれた。






 揺れる車内で、あたしは両手におにぎりを二つずつ持ち、存分に白米の旨みを味わっていた。うまいうまいと連呼するあたしに、助手席に乗る刈子が照れて笑っている。


「そんなに喜んでもらえるなんて、嬉しいですわ」


「いいなー魅首ばっかりー。おいらにもちょっと分けてよぉ」


 吊り広告の中からリボンを伸ばして、スィフィがおにぎりを奪おうとする。それを華麗にかわしながら、おまえはさっき食ったんだろ、とあたしが反論する。車が揺れるほど大騒ぎしているあたしとスィフィの横で、十四季が苦笑を漏らした。……なんかこいつ、昨日の一件でふっきれたみたいだな。


 少しぎこちなく笑っている十四季からは、以前のような刺々しさが無くなっている。十四季の変化に気がついたあたしの動きが鈍り、スィフィのリボンがおにぎりを一つ取っていった。


 その後も好男達とくだらない話で盛り上がっていると、車が図書館の前で止まった。エンジンを止めて鍵を抜きながら、好男が口を開く。


「オレ、昼に約束があるから今日は別行動でよろしく。まぁ、すぐそこの公園にいるから。何かあったら呼びに来てくれ」


 じゃあな、と好男が格好良く車を降りた。その背後には悠がくっついている。去っていく好男に手を振り、刈子が助手席から振り返る。


「あの――わたくしも少し個人的に調べたいことがあるんです。お先に失礼しますね」


「ん。わかった」


 刈子が車から降りて、遠慮がちに扉を閉めた。車内に取り残されたあたしと十四季は互いに沈黙している。しばらく様子を見てから、あたしは十四季に声を掛けた。


「……おまえは何か用事ないの」


「ああ。無い」


 正面を見たまま、十四季が素っ気無く答える。ここまで言い切られると、もう返す言葉が無い。再び沈黙して妙な雰囲気が車内に満ちる。この重々しい空気、苦手だ。図書館のトイレで着替えてこよう。逃げるように立ち上がるあたしのポケットから、ぱさりと本が落ちた。十四季がそれを拾い、ぱらぱらと中を見た。


「……これ、魅首が作ったのか? 」


「えっ? いや、違うし。図書館の本棚の奥に挟まってたんだ。ほら、蟹の殻で攻撃してくる奴いたじゃん、多分あいつのだよ。すごく欲しがってたし」


 中に何が書いてあるんだ? 疑問に思って開いた本を覗こうとすると、十四季が顔をしかめて本を閉じた。そのままあたしに本を差し出し、十四季が忠告する。


「中身は見ないほうがいい。……紅太、だったか? あいつと闘えなくなるぞ」


「ふーん――? わかったよ。我慢する」


 闘えなくなるって、どういうことだろう。戦意を吹き飛ばすほど、とんでもなく衝撃的なことでも書いてあるのかな。見たい気持ちを抑えながら、あたしは本をポケットに仕舞い車を降りた。





 よく冷房が効いて居心地の良い図書館の中、パソコンブースで、着替え終わったあたしは、去年公開されたアクション映画のDVDを見ていた。ヘッドホンを被って夢中で画面を見ているあたしに、スィフィがあくびを交えた声で話しかけてくる。


「こぉんな退屈なもの観てて、何が面白いのねぃ? 」


「はぁー? ……殺陣だよ、殺陣。そりゃ、話はぶっ飛んでてめちゃくちゃだけどさぁ――。このワイヤーアクションとか、さっきの三十人連続切りとか、まじすごいだろ。おまえ寝てて観てなかったのか? 」


 いかにこの映画が面白いか力説するあたしを、スィフィが鼻で笑う。


「そんなことぐらい、おいらにも出来るもんねぃ。できて当たり前のこと見てて面白いわけないじゃん」


 そう言って、しかもこの人達は映像のトリックで出来るように見せかけてるだけだしぃ、とスィフィが文句を垂れ始めた。人がせっかく楽しんで観てるってのに、その腹が立つ態度は何なんだ。ムカついたあたしは、思わずスィフィに喧嘩を売っていた。


「おまえ、自分はすごいすごいって散々言ってるけど、全然そんなこと無いじゃねーか。あたしが使える能力は四人の中で一番しょぼいし、おまえ自身もアズァみたいに援護できるわけじゃないし。口先ばっかりなんだな」


 ちょっと言いすぎた気もするが、今まで溜まってたことが言えてすっきりした気分だ。言い返せないだろうと思って画面に眼を戻すあたしに、スィフィが質問を投げ掛ける。


「……前に話したこと、覚えてる? 」


 前? いつのことか分からないし、こいつと話したことなんて普段は忘れたことにしてるから、答えようが無い。あたしが黙って画面を見つめていると、スィフィは静かに話を続けた。


異世界こっちで使えるようになる能力は、おいらと魅首、両方の影響を受けるって、話したよねぃ」


「――それがどうしたって言うんだよ」


 やけに大人しい声のスィフィに、あたしはぶっきらぼうに返事をした。きっとまた元気が無い振りをして、あたしを同情で釣ろうとしてるんだな。もうその手には乗るもんか。


 絶対に甘い態度をとらないと心に決め、あたしは画面をじっと見つめた。背後から、何時に無く落ち着いたスィフィの声がする。


「ねぇ魅首、『世界』って何だと思う? 魅首の思う『世界』って何かな。それはヨッシィやかるっち、とっちゃんの思う『世界』と同じものなのかな。どうして、おいらのいた『世界』と、この『世界』は違うのかな」


 何だなんだ、こいつも刈子の電波に毒されてしまったのか? やたらと『世界』と繰り返すスィフィに、思わず振り向きそうになる。ぐっと堪えて、あたしは冷静さを保つため、スィフィの言ったことを脳内で繰り返した。



 あたしの思う『世界』か――。多分スィフィが言っている『世界』とは、世界そのものを指すのではなく、自我みたいなものを指すんじゃないか? それならさっきの問い掛けも意味がわかる気がする。

 現代国語か倫理の時間に、『自分』というものは周囲の情報によって構成されるって確か習った。例えるなら球体パズルだ。真ん丸な球体の内側が『自分』で、外側はそれを取り巻く世界。いや、数学で習ったベン図のほうが分かりやすいかも。自分がAという集合なら、Bという集合の他人が居る。AとBは互いに共有する部分もあれば、そうでない部分もある。そういった集合が沢山あつまったものが世界。



 ……考えすぎて、頭が痛くなってきた。こんな意味の無いことを考えさせて、スィフィはあたしに何をさせようとしているんだ? ガンガンと痛む頭を抑えながら、あたしは恨みがましい目でスィフィを睨んだ。宙に浮かぶ吊り広告の中から、スィフィが澄ました笑顔でこっちを見ている。


「昨日見た本の背表紙、面白そうだったねぃ。認識は騙る―あなたの世界は脳の中に在る―……だっけ。ここまで言ったら流石の魅首でも、もう分かったよねぃ」


 勝手に話を纏められて、あたしは首を傾げた。あたしが『世界』と認識しているものはあたしの脳が見せる幻で、それは周囲の情報から組み立てられたもの……ってことか? なんか間違えてる気がしてならないし、さっぱり意味がわからないんだけど。


 納得してないのが顔に出ていたのか、スィフィが肩を竦めて首を横に振った。


「やれやれ、困ったもんだねぃ。自分が使った能力がどんなものだったのか、もう一度じっくり考えて欲しいんだねぃ。とっちゃんは自分一人であそこまで能力を使いこなせるようになったってのに、魅首はダメダメだなぁー」


 はぁー、とスィフィが大きく溜息を吐いて、こっちをちらりと見た。なんだよ、あれだけ意味深なこと言っておいて、結局あたしを馬鹿にしてるだけじゃないか。むっとしているあたしに、スィフィはぺろっと舌を出して謝った。


「……今のは冗談だねぃ。魅首が強くなれるようにアドバイスしたかったんだねぃ。じゃ、おいら寝るよん」


 そのまま広告の奥に引込もうとするスィフィを、あたしは手を伸ばして呼び止めた。


「おい待てって! ……今のが理解できたら強くなれるのか? その、もっとヒントとかくれよ。――ていうか、こんな小難しい問答より、手っ取り早く強くなる方法があるんじゃないのか? 」


 そんな方法があるわけ無いと思いつつ、あたしはスィフィに尋ねた。背中を向けていたスィフィが振り返る。なんだかその顔は、今までよりずっと大人びて見えた。


「おいらと一心同体になるんなら、今よりずっと強くなれると思うよ。魅首が苦痛に耐えられるなら、の話だけどねぃ」


 スィフィが静かにそう呟き、広告の奥へ消えていった。一心同体? 強くはなりたいけど、あのスィフィと一心同体になるっていうのは、生理的な拒否反応が――。思い悩むあたしの耳に、変な歌が聞こえてきた。



 映画の音声かと思ったけど、この映画にそんなシーンは無かったはずだ。歌はだんだん大きくなってきている。どうやら誰かが歌いながらこっちに歩いてきているらしい。こんな下手糞で変な歌を公共の場で垂れ流すとは、他人の迷惑顧みない奴だな。


 仕切られたブースから顔を出して見回すと、歌声の源らしき男の姿が見えた。大きな青色のヘッドホンから変な歌が大音量で漏れている。歌ってたんじゃなくて聴いてたのか。どっちにしろ迷惑な話だ。

 それにしてもどうしてあんな変な歌を大音量で聴いているんだろう。不思議に思って男を観察していると、男がこっちを見た。あたしと男の視線がばっちりぶつかっている。


 男の虚ろな眼に背中の毛が立ったけど、一般人にはあたしが見えてないし大丈夫だよな。そう言い聞かせているうちに、男がどんどんこっちに近付いてくる。なんでこっちに来るんだ? いや、きっと偶然だ。どきどきする胸を押さえると同時に、男があたしの目の前で止まった。


「――あんた、俺のこと見えてるな」


 仕切りに腕を凭せ掛け、男がそう言った。驚きで頭が真白になるあたしの耳に、ヘッドホンから流れる変な歌が入っていく。気持ち悪いメロディに紛れて、誰かが男に命令する声が聞こえた。


「殺せ。そいつは『契約者』だ」


「りょーかい」


 たるそうな声で男が答え、ごてごてした指輪だらけの右手を上げた。男の手の動きに合わせ、図書館の床が音を立てて割れていく。塊となったコンクリートが次々と宙に浮いていく様を、あたしは口を開けて見つめていた。いきなり緊急事態だ。喉がからからに渇いて、息をするのも苦しい。でも、皆に敵が来たことを知らせないと――。


 浅い呼吸を繰り返すあたしに向けて、男が右手を振り下ろした。あたし目掛けて、数十㎏を軽く超えるだろうコンクリートの塊が降り注ぐ。


 思わず頭を抱えてその場にしゃがみこんだあたしの視界に、色とりどりのリボンが、あたしの身体を包み込もうとする様子が一瞬だけ見えた。

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