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第三章 奇妙なこと始まる

 スィフィなる広告に閉じ込められた二次元人間を学生用肩掛け鞄に入れて、あたしは都心のプラットホームのコンクリートを踏んだ。転落事故防止のため設置された、列車が来たときだけ開く自動扉があたしの後ろで大仰な音を立てて閉じた。


 流石都会の人口過密地だけあって、夕暮れ時のプラットホームは人で賑わっていた。いわゆるアフターファイブを楽しむためにばっちりメイクをキメたOLのお姉さま方がミュールの踵をこつこつ鳴らして女子高生よりは少し長めのスカートを揺らしエスカレータを降りてくる。キャッチーなお兄さんや住所不定そうなおっさんの中、急にスィフィが喋りださないようにあたしは肩掛け学生鞄をしっかりと握り締めた。


 手垢が沢山ついて赤黒くなったエスカレータの持ち手を心細い気持ちで握るあたしを、ケータイで話しているばりばりの営業マンが追い越していく。広すぎてどこからでたらいいのかわからない改札に切符を通し、あたしは電気で溢れていて、けれどもゴミも地面に溢れているキレイなんだか汚いんだかよくわからない都会の駅を見回した。

 まるであたしの気持ちを代弁しているような暗雲垂れ込める空を見上げるあたしの肩を、後ろから男が思い切り突き飛ばした。


「うわっ! 」


 タバコの吸殻だらけの地面にもんどりうって倒れるあたしを跨いでピアスだらけの男は横断歩道を渡っていく。かっとなったあたしはすぐさま起き上がるとその男へ一直線に走った。


「なんだよテメー、人のことナメてんのか? 」


 男にガンつけて凄むが、白黒縞々の横断歩道を歩く男は道路の向うを見たままで全然こっちを向かない。頭に来て男のジッパーだらけの服を掴むと、男はあたしが掴んだところを見て無言でジッパーを下げた。柔らかなあたしの手の皮がジッパーに挟まれる。


いたっ! 」


 思わず手を離してしまうと、男は点滅し始めた青信号に少々早足になりながら横断歩道を渡っていってしまった。慌てて赤信号の中のらくら歩く人間達を掻き分けて後を追うと、男は既に何処かの角を曲がって見えなくなっていた。


「くっそー……」


 人のこないゴミ箱の横でジッパーに挟まれて赤く腫れてきた手を摩りつつ行儀の悪い言葉を吐いていると、地面に置いた学生鞄の中からスィフィがけらけら笑う声が聞こえてきた。


「あぁそーそー。言うの忘れてたけどぉ、おいらを所有している間は普通の人に魅首の姿は見えなくなっちゃうからねぃ」


「はァ? 」


 顔を歪ませて学生鞄を睨むと、またけらけらと笑い声が聞こえた。あたしは四つん這いで鞄に近付き、電車から盗ってきた古い吊り広告を取り出してその中で笑っている緑とピンクの髪の人間を睨みつけた。


「どういうことだよっ」


「どうって言われてもぉー。生きる波長が違うおいらと契約交わした魅首の波長がおいらと一緒になって、他の人に見えなくなっちゃった、それだけのことだよん」


「それだけって―――もの凄く重要なことじゃんかよ!そーいうことは早く言えっ! 」


 生死に関わる重要な事をさも軽そうに話すスィフィにあたしは激怒する。どこが生死に関わるかって? 人間から見えないんだったら、青信号で横断歩道渡っていても、カーブしてきた車に轢かれて死ぬかもしれないってことですよ。骨折でもしてごらんなさい、病院に行ったって姿が見えないんだから名前を呼ばれて診察室に行っても診てもらえないんだから。

 そんな見えない状態で死んだら誰も死体を片付けてくれない。何処かで野垂れ死んで誰にも気付かれず腐って異臭を放つ……考えただけでも身の毛がよだつ。


 見えないことで起こる様々な危険を想像して鳥肌を立てるあたしの横で笑い転げるスィフィ。何をしても神経に障るこいつを睨みつけるあたしの頬に、冷たいものが当たった。


「……? 」


 反射的に見上げると、空まで聳えるビルの間から小粒の雨が幾つもいくつも降ってきていた。突然の雨に傘を持っていないあたしは二つの手で頭を覆う。間抜けな格好で雨を凌ごうとするあたしの耳に絹を裂くような悲鳴が聞こえた。

 学生鞄の上から聞こえた叫び声にあたしは首を回してスィフィを見る。同じように頭上に両手を翳すスィフィがこの世の終わりが来たような顔で雨が降る空を見上げていた。


「た、助けて濡れちゃうよぉー! 」


 涙声で懇願するスィフィの腕に一滴の雨粒が落ち、水彩インクで描かれたイラストのようにスィフィの輪郭が滲んでいる。散々あたしをコケにしたスィフィの困る様子をいい気味だと面白がって見ていると、広告中で濡れていない場所を逃げ回るスィフィが怒った声であたしに命令した。


「なにぼーっとしてるのさ! 早くおいらをこの鞄の中に入れてくれよっ! 」


「ふん、今まで偉そーにしてたから天罰が下ったんだよ。二度とあたしを騙さないって言うなら、この中に入れてやってもいいけど? 」


 そう言ってスィフィを学生鞄から下ろしてポリバケツの蓋の上に置き、あたしはスィフィに学生鞄を見せびらかす。得意になるあたしに、スィフィはとんでもないことを言い放った。


「ふんだ、いいもんねぃ! 雨に滲むのは魅首だって同じなんだから」


「な、なんだって? 」


 スィフィの悪い冗談としか言えない発言を真に受けてあたしは自分の身を眺め回した。小雨で湿った地面に肩掛け学生鞄が音を立てて落ちる。

 あたしの肘が、濡れた水彩画のように滲んでいた。丁度スィフィに雨粒が当たったところだ。あたしとスィフィは同じところが同じように滲んでいた。


「ほーらねぃ、言ったとおりでしょ」


 拗ねたように腕を組んでそっぽを向くとスィフィは偉そうに言った。そして降って来た雨粒がその胸に当たった。スィフィのトータルコーディネート完全無視のでたらめな服装にじわじわと染みが広がっていく。


「ひ……! 」


 胸にぬめっとした感触を覚えたあたしは自分の胸元を見た。紺と白のセーラー服が輪郭を失って空間に溶け出していく。溶ける恐怖に歯の根が合わなくなったあたしは即刻スィフィの入った広告を掴み取ると、持っていたハンカチで水分をふき取り防水加工の学生鞄に放り込んだ。


 広告を雨から隔離して染みの侵食は収まったけれど、胸と肘の溶けた部分は元に戻らない。兎に角濡れないところに避難しようと早足に歩くあたしの横で、学生鞄の中からスィフィの怒った声が聞こえる。


「だから言ったじゃん。この染みは乾かしても取れないからねぃ。勿論魅首の溶けた部分も戻ってこないよ。これを治せる人はこの世界でたった一人しかいないんだから」


 只でさえ理解不能で奇怪な人生未曾有の事件に巻き込まれて意気消沈しているあたしに、スィフィは無慈悲な勧告をする。憤慨と混乱で頭がいっぱいいっぱいになってしまったあたしは、取り合えず雨に濡れない安全な場所を目指した。

 行き先は、あたしが借りたボロアパートだ。

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