表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/53

第十八章 霊の恩返し

 何かが地面に落ちる音に、あたしの集中力が遂に途切れた。目の前に一瞬だけ家族の像が浮かび上がり、身体の熱が引くのに合わせて薄れていく。変な風に曲がっていた腕が元に戻っていく。

 完全回復とまでは行かないが、骨折していたはずの腕は骨に僅かにヒビが入った程度まで治癒しているようだ。

 果たして倒れたのは敵なのか、刈子なのか……。心配に眉根を寄せて音のした方に顔を向けると、バンダナ少年が両手を力無くぶら下げて立ち尽くしていた。倒れたのは、刈子だ。


「刈子っ! 」


 アスファルトの上に広がるお下げ髪に駆け寄るあたし。ちくしょー、あたしがもっとしっかりしていたらこんな事には……! 今更後悔しても遅いのに歯噛みしながら走るあたしの前で、刈子がよろよろと立ち上がる。


 あんなボロボロの身体だっていうのに、まだ闘うつもりなのか? 膝を震わせ必死に身を起こす刈子の手がバンダナ少年に向けて伸ばされるのが見える。釣られて少年に眼を向けると、なんか白っぽいもやもやしたものの中に入っていくところだった。こいつも、女の子を操ってた奴や十四季達を襲った変な女みたいに、他の世界へ逃げるつもりなんだな。

 

 バンダナ少年を飲み込んだ白いもやはあっという間に閉じてしまった。追いかけたかったけど、今は刈子の介抱をしなくっちゃ。両手を地面について肩で息をしている刈子に近付くと、何か喋っているのが聞こえる。


「……して……あの子……」


「おい、大丈夫――か? 」


 また電波を受信してトランス状態になってるのかと、恐る恐る声を掛ける。苦しそうに口で息をしていた刈子の顔があたしに向けられた。眼鏡の奥の青い目が潤んでいるのは、どこか怪我でもしたからだろうか。心配だけど何をすればいいのか全然分からないで手持ち無沙汰になっているあたしの背後から、好男の声がする。


「魅首ちゃん、刈子ちゃん、二人とも無事か? 」


 これが無事そうに見えるのかと突込もうと振り返ると、好男も無事とは言い難い風体だった。ぱりっと糊の効いていたシャツは破れてところどころ血が滲んでいるし、何より頭部が……。眼のやり場に困るあたしに、好男も気まずそうに苦笑している。小指に掛けた小さな赤いキーホルダーらしき物を電灯に輝かせ、一寸おどけた様子で口を開いた。


「鍵束にコレ付けといて良かったよ。切れ味鋭いからアズァの髪も楽々切れてさ。お陰で刃こぼれして使い物にならなくなったけど――」


 そう肩を竦めて笑うと、好男は溜息を吐いて虎刈りになった髪を触った。ああ、携帯用の小型ナイフか。そういえば伯父さんから貰ったことがあったような……。ヴィ、いや、ビ……?何だったっけ。興味無いからすぐ無くしちゃったんだよな。

 とりあえず好男は元気そうだ。よかった良かった。それにしても、どうしてナイフとか持ってるんだよ、危ない奴だな。


 悶々と思考するあたしの耳に、今度は十四季の呻き声が微かに聞こえる。そうだ、あいつ確か目を――。刈子を好男に託して黒髪の小山に走り寄り、掻き分けるあたし。腕の痛みを我慢しながら掻き進めると、ぎっしり詰まった髪の中から十四季の服の端が見えた。あと少し、だ。励ましの言葉を掛けながら更に掘り進めると、やっと全身が見えてきた。左目を抑えてうんうん呻ってる以外は何処にも怪我は無さそうだ。ほっと安堵の溜息が出る。

 ……でも、この様子じゃ立ち上がることはおろか人の声に耳を傾けることも無理だろうな。ヒビの入った腕は震えて力が入らないし、悪いけど好男に動かしてもらおうか。助けを求めて振り返り、あたしは開いた口を閉じた。



 あたしの円くなった瞳に、ちゃっかり刈子を抱きしめている好男が映っている。それはまぁいい。いや、普段ならスルーしないでどつくけど。問題なのはその後ろだ。あたしを助けたあの変な暗い奴が、雫を滴らせて好男の背後にぴったり張り付いている。


「……ん?どした、魅首ちゃん」


 目敏く視線に気がついた好男が小首を傾げた。傾く好男の頭が、背後から抱きついている半透明の腕に触れて、そのまま通過した。あたしと違って、好男はあいつに触れないみたいだ。


「よ、好男、おまえの後ろに……」


 言われた好男が振り返り、その頭と肩が背後の人っぽい何かの身体の中を通過した。人っぽい何かの腹の中で二、三度辺りを見回した好男が怪訝そうな顔をあたしに向ける。


「何も無いけど? 」


「あ……うん」


 ごめん、何でもない、と呟くあたしに、好男の背後に立つ何かが手を振っている。やっぱり好男にはこいつが見えないみたいだ。一緒に居る刈子も好男の背後に居る存在に全然気付いてないみたいだし……。困惑するあたしの肩の上を暖かい風が吹く。


「手伝おっかぁ魅首ぅー」


「へ? あ、ありがと……って」


 聞き覚えのある声に驚いて首を回すと、あたしは絶句した。朝焼けの空を背景に、ファイルに挟まれた電車の吊り広告がぷかぷか浮いている。

 これだけでも十分異常事態だってのに、広告の中で元気そうに跳ね回ってるスィフィの容姿が更に妙なことになっていた。眉間に皺を寄せて眼を細めるあたしの耳に、スィフィの神経を逆撫でする笑い声が聞こえる。


「あっははは! 魅首の顔、変だねぃー」


 腹を抱えて笑い転げるその姿は、どうみても『成長』していた。もともと長かったピンクと緑の髪は足首まで届くほど伸びて、小生意気だった幼い顔はさらに生意気な青年の顔になっている。

 なんてこった、子ども状態でも苦労してたってのに、これから更にウザさに磨きが掛かるっていうのか。

 いやいや、ていうかそもそも何でこんな急激に成長するんだ。リュックサックの中の蟹の殻を食べて栄養素を摂ったってのか?

  理不尽さで痛む頭を抱えるあたしに、その頭上を蝶のように飛び回る広告の中から笑い混じりの声が雨みたいに降り注ぐ。


「ふふふー、驚いてるねぃ。まぁー……おいら故郷むこうじゃモテモテだったしぃー。見惚れちゃうのも無理ないかなぁ」


 見惚れる? 何をほざいてるんだコイツ。変態ナルシストは好男だけで十分間に合ってるっつーの! しかもさり気無く自慢とかしてるし、上から目線で偉そうだし……。こっちはおまえを助けるために色々闘ってへとへとだっていうのに。

 心をささくれ立たせているあたしの気持ちも知らず、変な光に包まれた広告が白む空をひらひら舞っている。


「ん? どうしたねぃ? ほらほら、早くとっちゃんの手当てしようよぉ。おいらが有り余る素晴らしき力で運んであげるからぁ」


 ムカつく態度で見下し気味に言って、広告からカラフルなリボンが何本も躍り出た。十四季を包むリボンを見て、あたしの脳内に電車内の嫌な思い出が蘇る。あのときこいつに同情さえしなければ、こんな面倒なことに巻き込まれずに済んだってのに……。


 苦い気分で俯くあたしを、はいはい急いでねぃー、とスィフィが浮かれた軽い声で急かす。これで一つ貸しだからねぃ、とか戯言ぬかしてやがるし。くっそ、腕を怪我してさえいなけりゃ、こんなムカつく天邪鬼の力なんて借りずに済んだのに。


 鬱々とした思いで十四季を運ぶファイル入り広告の後ろをついて歩くと、刈子を抱えた好男に声を掛けられた。


「皆怪我して……大変なことになったな。あっち側に此処がバレてるのが心配だけど、今は手当てと休息が先、かな」


「――うん」


 俯き気味に生返事をするあたしの顔を好男が覗き込む。図々しくってイラつくけど、とてもどつくような元気は無い。

 顔色悪いよ、腰でも打った? とか失礼なこと言ってくる好男に気だるい一瞥を遣ると、あたしは玄関の敷居を跨いだ。カラフルなリボンの塊と黄ばんだ吊り広告が、白と黒で統一されたスタイリッシュな居間に浮かんでいるのが見える。何か、シュールすぎて笑えてくるな……。食卓の横でふっと笑い声を漏らすと、全身の力が抜けてそのままへたり込んでしまった。


「み、魅首ちゃん? 」


 くらくらする頭を抑えるあたしの肩に好男の手が触れる。おまえ刈子はどうしたんだよ、と思って首を捻ると、連ねた椅子の上に刈子がぐったりと横になっているのが見えた。疲れて眠ってしまったようだ。……そりゃそうだよな、まだ六時前だし、あんなことがあったし。ぼーっと刈子の寝顔を眺めるあたしの視界に、好男の顔が急に横から割って入った。


「魅首ちゃん、どっか怪我したんじゃないの? 本当に顔色悪いけど――」


「あたしは平気だってば。……それより、十四季と刈子の手当てをしてやってくれ。十四季は左目を怪我してるし、刈子も……」


 特に十四季の怪我は放っておいたらヤバそうだし、と続けようとしたあたしの口がぽかんと開いたまま止まる。真摯な態度で頷いて刈子達の治療に向かう好男の背後に、またあの暗い奴がぴったり張り付いていた。

 思わず疲れてるのかと目を強く擦るあたしの手に、ひやりとした何かが触れた。あいつに間違いないだろうけど、何だか目を開くのが躊躇われる……。いっそこのまま気絶した振りをしてやろうかと考えるあたしの耳元で、あの……、と呟くのが聞こえた。擦れた声が伝わると共に、冷気も一緒に流れてくる。

 一瞬で背中の毛が全部逆立ったけど、好男が居るのにこいつの相手をするわけにはいかない。かといって、もう動く元気も無いし――。


 どうしようかと悩んでいると、好男が刈子を抱えて十四季とスィフィの居る寝室へ移動していく音が聞こえた。今なら大丈夫だと目を開くと、ぼさぼさの黒髪で覆われた顔が超至近距離であたしを覗き込んでいた。思わず声を漏らして後退りするあたしの肩を、干からびた手ががっしりと掴む。


「あ……待って……怖がらないで……」


 この状況でどうやって怖がるなって言うんだよ! と心の中で一人突込みの声を上げるあたし。

 あたしの肩を掴むそいつの手は氷のように冷たくて、今度は能力の作用では無く、本当に鳥肌が立ってきた。


 夏だから涼しいのは大歓迎だけど、流石に震えるほど寒いってのは勘弁願いたい。ドン引きしているあたしの前で、ぼさぼさ髪のそいつはよく見えない顔を恥ずかしそうに伏せている。


「あの……その……まだ、自己紹介、してなかったから……」


 低く擦れた声が干からびた唇から出た。まるで告白する乙女みたいに恥らう人間っぽいそいつを、少し冷静になって見詰めるあたし。身体は干からびてるのに全身びしょ濡れで雫を垂らしてるって、矛盾にも程があるだろ……。


 警戒心丸出しのあたしの視線に気付いたのか、そいつのぼさぼさの頭が少し動いた。黒い前髪の下から死んだ魚みたいな濁った目がこっちを見詰め返しているのが見える。怪しさ全開の目の前の何かに、あたしは恐る恐る尋ねてみた。


「おまえって――やっぱ幽霊なのか? 」


 悪い冗談みたいな質問に、そいつは素直に頷いて見せた。成程、やっぱりか……。はっきり幽霊だと分かったけれど、これは安堵するべきなのか怯えるべきなのか。助けてくれたから悪い奴じゃないとは思いたいけど、見た目がアレすぎるんだよなぁ。


 悩みつつ、あたしは目の前で正座する幽霊に視線を向ける。長くてぼさぼさの黒髪、骨と皮ばかりの干からびた身体、風化して色の分からなくなった服。そして極めつけに際限なく滴り落ちる雫達。

 どこをどう見ても祟るぞ呪うぞって雰囲気だ。一昔前に流行った女幽霊の代わりにテレビから這い出てきたって、誰も不思議に思わないレベルだ。いったい何故こんな奴があたしを助けてくれたのか……兎に角自己紹介とやらを聴いてみるか。


「おい、名前教えろよ」


 未だ不信感を拭えず顔を顰めたまま、あたしは怪しい幽霊に先を促した。ぼさぼさの髪が少し揺れ、嬉しさのせいか若干高くなった声がひび割れた唇から漏れる。


「……えっと、久遠くおん ゆう……って、言うんだ……。悠って、呼んで……欲しいな……」


「――ん、わかった。あたし丙盟 魅首だから。魅首って呼んでくれ」


 やたら口篭る幽霊に乱暴に名前を教えると、悠と名乗ったお化けは嬉しそうに居住まいを正した。膝と膝が触れ合うくらいまで近付いてきて、冷気で背筋がぶるっと震える。鳥肌の立つ腕を、ヒビの入った骨を刺激しないように摩り、悠に続きを尋ねた。


「で、……悠。一寸、いやかなり訊きたい事があるんだけど」


「何でも……訊いて……。答えられることなら……全部答える、から……」


 擦れた声で悠が言い、雫の落ちる髪を揺らして頭を傾げた。よーく見ると、身体が透けて居間の向こう側が見える。非日常な事が起こりすぎて幽霊にもあまり動揺しなくなってきたあたしは、悠の言葉に甘えて胸の内に抱えていた質問を全てぶち撒けた。

 何故あたし達を助けたのか、何故最初会った時は何も言わずにすぐ消えたのか、そもそも何で幽霊になってまでこの世に留まっているのか、さっきから好男の背後にぴったりくっ付いてるのはどんな理由があるのか……。矢継ぎ早に尋ねるあたしに、悠が言葉を詰まらせる。


「ん……と……。どこから、話せばいいのかな……」


「どこからでも。全部答えるって言ったよな? だったらどの質問から答えてもいいし、質問に答えるって話し方が難しかったら普通に身の上話してくれればいい」


 顎に手を当てて考え込んでいた悠が顔を上げ、やけに嬉しそうに頷いた。何だか長い話になりそうだと直感したあたしは、身体を冷やさないように傍に転がっていたタオルを羽織った。多分好男が寝てたやつだろう。これだけ大きければ毛布の代わりに悠から流れてくる冷気をシャットアウトできそうだ。


 雪だるまみたいになったあたしを見て、悠は何時喋りだしたらいいのかと機会を窺っている。幽霊なのにやけに控えめな悠に、あたしは眼で話の続きを促した。


「えっと……。何でキミを……魅首を……助けたかっていうと、ね……。キミが、魅首が……、好男の仲間、だから……」


 今にも息を引き取りそうな感じで悠がぼそぼそと呟いた。いや、既に死んでるから、もう息はしてない……はずだよな。小鳥の巣にでもされてたのかと訊きたくなるぐらい絡まってる髪を弄りつつ、悠がぽつりぽつりと自分のことを話し出す。


「ぼく……三高さんに……このアパートの前の大家さんに……すごくお世話になって……。沢山、面倒見て貰って……。好男、三高さんの孫、だから……。恩返ししたくって……」


「――ちょっと待て。おまえ男なのか? 」


 うっとりと幸せそうに語る悠を制止して、あたしが性別のことを確かめる。髪の長さや大人しい喋り方からてっきり女だと思っていたのに。訊かれた本人はきょとんとして小首を傾げている。


「……うん、多分……。二十年位前のこと、だし……自分のこと、あんまり覚えてないけど……」


「そ、そっか――。途中で止めてごめんな。続けてくれ」


 雲みたいに掴みどころの無い喋り方をする悠に、あたしは眼を泳がせた。そうか男か――。何をそんなに気にしてるかって、さっきまで好男の背後にこいつがぴったりくっ付いてたことをだ。男か女かで大分意味が違ってくるじゃないか。

 目の前で何度も顔に掛かる髪を掻き分ける悠を見て、あたしは一寸好男に同情した。こんな幽霊、しかも自分と同性の奴が背後霊だなんて……教えてやりたいけど、知ったらどうするだろうな、好男。

 思い切り嫌がる様を想像しているあたしに、悠はマイペースに一人で話を続けている。


「……好男に、幸せになって欲しい、から……出来ること、色々、頑張ったんだ……。デートで、好男の彼女が……好きなお店の予約、取れるように……とか……。喧嘩しちゃったら、……仲直りできるように……とか。……部屋、一寸温度下げて、二人がくっつくようにしたり……。彼女に、近付く男がいたら……化けて出てみたりとか……」


 何かいくつか怖いことも混じってたような気がするけど――幽霊相手に突込むだけ無駄だな。楽しそうに語っている悠に適当に相槌を打つあたし。話を聴いてみたら、本当に恩返しをしているだけで特に害があるわけでも無いようだ。ああ、勿論好男に対しての話だけど。

 陰鬱そうな外見と違い、性格はポジティブらしい。……ちょっと方向性が間違ってる気もするが。


 ぼさぼさ髪の幽霊は喋り出したら止まらない性質らしく、口篭る喋り方のせいもあって、あたしは何時の間にか睡魔に負けて瞼を閉じていた。悠の語り掛けはまるで子守唄のように心地良い。疲れていたせいもあってか、暖かいタオルに包まれてまるで雪だるまのような姿のまま、あたしはそのまま気持ちよく眠りに落ちていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ